3年C組の保護者の皆さんへ 7
『コートに咲いたいろんな目標』
わたしは、中学、高校、大学とソフトテニス部の部活動を行なったという青春時代の持ち主です。中学、高校は、そうでもないのですが、大学で、部活動に所属するというのは、結構珍しいものです。部活動ですから、正式な大会があります。勝ち負けで、嬉し涙、悔し涙を流します。それはまるで、中学生の敗戦に落ち込む姿と、何も違いません。20歳も過ぎた、いい大人が、一勝、一球に、涙するのです。だから珍しいのです。だいたいは、愛好会とか同好会などのように、ちょっとレクリエーション的に汗を流して、あとは勉学やバイトにふけるという方が、ごくごく一般的です。体育専門大学で無い限り、そうでしょう。
わたしは、地元にあるY大学に通いました。本当は、別の道に行きたかったのです。教員という道は、決してわたしの目指す道ではありませんでした。それでも、なぜ地元大学に入学したか?そのことについては、多分いつかお話することになるでしょう。今は、そのことについては、触れずに、大学時代での部活動について、わたしの心に今もとどまっていることについてお話しします。
実は、自慢なんですが、わたしは、ラッキーなことに、東北大会で準優勝したことがあります。その年の年間ランキングも、東北で2位でした。全国大会では、ベスト64が最高でした。ベスト64というのは、なんだかたいしたことないように聞こえるかもしれませんが、出場選手が多い中で、しかも全国大会のレベルで5回か6回は勝たなくてはなりません。こっちの方が、やや自慢度が高いですね。
でも、テニスの技能が得意だったから、大学でも続けたわけではありません。テニスなんて、高校時代でやめようと思っていました。
初めての大学生活、一人暮らし、何かと心細くなる精神状態から抜け出すのは、中学、高校とやり続けた自信でした。新しい環境で、一人ぼっちになりがちな自分に勇気を与えるのは、好成績なんかじゃありませんね。ひとつのことをやり続けてきたという自信でした。そんなもんなんです。
大学のテニス部の部活動に入り、驚いたのは、みんな真剣に取り組んでいたということです。監督やコーチなんていません。練習から遠征の手配、大会の宿泊申込みなど、全て自分達学生でやるのです。小さな地方大学です。これまでそんなに、強いわけはありませんでした。
東北学生連盟っていう組織があって、テニスが強い大学は、1部というグループで試合をします。強くない大学は、2部というグループなんです。ま、サッカーの“Jリーグ”と“J1”みたいなものです。多分、力の差は、もっと歴然としているでしょう。それでも、毎年1部のビリになったチームと2部で優勝したチームと、『入れ替え戦』なんていう試合をします。そして、まぐれでも、2部のチームが勝ったら、次の年は、1部に昇格するのです。負けたチームは、次の年は2部です。だから、2部のチームは、1部で試合することを夢に頑張れるのです。
ところがどうしたことでしょう。わたしが入部した年は、なんと、埼玉でインターハイ(全国高校総体)の出場経験者や、北海道チャンピオン経験者、はたまたテニス界では、有名な宮城の高校のそれもキャプテンなど、そうそうたる経歴の人間たちがずらっと入部したのです。先輩達も大喜びでした。1年目から、この1年生部員は、大車輪の活躍をします。
そして、2年目には、1部昇格。そして、来年は、1部で夢の優勝を狙う位置までつけてしまったのです。
そんな頃からでした。ミーテイングの度にこんな話が、出始めたのです。
それは、「この部活動を、試合で活躍することを目的としたチームと、試合に参加することを目的にしたチームの2つに分けよう。」という内容でした。
実は、我がY大学は、いろんな学科が集まって学ぶ総合大学なのです。医者を目指すものは医学部に、法律家を目指すものは法学部に、教師を目指すものは教育学部に、エンジニア、研究者を目指すものは、理学部、工学部などに、いろんな夢を目指す学生が集まる大学なのです。
だから、テニス部の部活にも、「初心者だけど体を動かしたい。」と思って入学した医者の卵や、「運動部なんて生まれて初めて。」という、技術者の卵。「勉強だけの人間にはなりたくはない。」と入部した理学博士の卵。そんな部員たちもいました。
もちろん、その卵たちが、中学、高校、まして全国大会クラスの部員と、いっしょの練習なんて無理があります。それでも、みんないっしょに練習していました。
ボールは打っても、返ってきません・・・。
そんな状態で、夢の1部優勝ができるわけはありません。だから、部活を、“経験者と初心者に分けよう”という案がでたのです。もっとはっきり言うと、“うまい人とへたな人を分けよう”というのです。
その案が話しに出る度に、初心者であるいろんな卵達は、寂しそうな表情になりました。
わたしはこの話の方向に進むことに、納得がいきませんでした。なぜかというと、わたし達経験者の邪魔にならないように、いつも脇で練習している、医者、エンジニア、博士の卵達の顔は真剣そのものでした。決して、いい加減な気持ちで練習をしていません。
わたしは、知っているのです。夜遅く死体解剖の実習をした後もナイターで練習している、Aさんを。カモシカの研究で、数ヶ月山にこもった後、風呂にも入らず、真っ先に練習に参加したSさんを。試合では、1回戦負けが多かった彼らでしたが、まぐれでも、1回勝った時、大はしゃぎしていた表情を。
4年の時、わたしはミーテイングでこう言ったんです。
「この大学のよさってこう思うんだ。みんな一つの部にいるんだけど、みんな目標は違う。優勝を目指す人もいれば、1回戦突破を夢見ている人もいる。そして、試合に出させてもらうだけを目指している人もいる。いろんな目標が、コートの中にある。それがいいんじゃないか。」って。
彼ら卵たちが、いつも、一生懸命白球を追う姿は、わたし以上でした。そして、何よりも、わたし以上に、テニスを楽しんでいました。それを教えてくれる存在が、どうしてチームの邪魔になるのでしょう。
結局、わたしが過ごした4年間、経験者も初心者もみんなみんな一緒の練習をしました。
そして、1部での優勝は実現しませんでした。
一度だけ、青森大会のときに個人戦で、決勝戦に出場したのは、わたしの大学最後の試合でした。結果は、ファイナル負けでした。それでも、ふとネット裏を見ると、卒業論文、就職活動、実験、実習で忙しいはずの、あの卵たちの顔がありました。
みんな、この試合のため、徹夜で車にあいのりして、やってきてくれたのでした。チーム戦でもなく、個人戦だっていうのに・・・。
残念会は、盛り上がりました。テニスコートにあった、いろんな目標たち、それらが叶った数は少ないです。でも、みんなそれぞれの目標に向かってきたという自信は、胸を張れます。
多分、この自信は、卵の殻を破る時の、次の勇気へと変わるでしょう。いや、変わるのです。
いよいよ地区総体ですね。今一つ考えてみませんか。この2年半という時間。あなたがいた部活動の中には、どんな人がいましたか?それぞれが、それぞれの、いろんな悩みを抱えながら過ごしてきたはずです。
それでも最後まで、それぞれがそれぞれの悩みや苦しみを抱えながら、今日までやってこれたことは、優勝することよりも、価値が低いことですか・・・。
そう、みんな戦友なのです。
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