3C組の保護者の皆さんへ 3

先週のPTA総会は、ご苦労さまでした。生徒の現在の様子の一端を窺えたのではないでしょうか。資料は、全体総会のものと、学年総会のものの2部ございますので、もしお持ちでなかった場合、連絡してください。最後に行った学級懇談は、保護者の皆さんの上手な自己紹介で会を和ませて頂きました。生意気に、親同士の良好なコミュニテイ作りが、子ども達にも影響しますと話させて頂きました。3Cの保護者になったことも、何かの縁です。どうぞ、3C保護者の会も、ひとつのクラスのように、思い出に残るものになることを願います。

 やさしさ回収

 

先週の土曜日でPTA総会なのに、わたしは法事で、実家に戻っていました。数年ぶりに弟とも再会しました。弟は、アニメーターというちょっと耳慣れない職業をしています。現在、テレビ放映をしている『テニスの王子様』や、劇場版の『名探偵コナン』で、キャラクターデザインや作画監督を手がけているのです。忙しいので、ここ数年合う事ができませんでした。これはいい機会だと思って、「画用紙に、アニメ書いてよ」と言って、無理やり書かせましたよ。すらすらと何も見ずに、11枚のぱらぱら漫画を書く姿は、やっぱりプロですね。今朝の朝の会で、C組のみんなに披露しました。興味のありそうな子と、まったくなさそうな子、それぞれですね。

朝の会が終わって、真っ先にKさんが、画用紙を手に持ってうれしそうに眺めています。イラストが上手なKさんにとっては、ただの画用紙も、自分の夢の世界の入り口に思えるのかもしれません。放課後には、Kくんが、「自分にコピーをください。」と懇願してきました。Kくんにとっては、未知の世界が急に身近になった驚きがあったようです。

 

 わたしが小学校5年生のクラス替えの時、担任として教室にやってきたのは、おっかなそうな男の先生でした。5年6組の44人。県で最も大きな小学校にいたんです。学年全部で270人近く、全校で1000人以上の児童がいたのですから、クラス替えになる度、周りには、知らない人ばかり。ただでさえ、不安だというのに、担任の先生は、ブスーとしたおっかなそうな人。もう、4月のドキドキは最高潮でした。挨拶もそこそこに、おっかなそうな男の先生が、明日まで持ってくる物を言います。

「明日まで、掃除で使う雑巾を、1人1枚持ってくるように。雑巾は、お家の人から、縫ってきてもらいなさい。みんな、それができるね。」

今と違って、雑巾なんてお店で売っている物ではありません。各家庭で縫ってこしらえる物だったのです。おっかなそうな先生が最後に言う、“できるね”という台詞は、“約束だから、絶対守れよ!”と聞こえてしまうんです。第1印象は、大切ですね。

「どうしても、無理だという人は、手を挙げて!!。」

と見ると、隣の女の子が手をすくーと挙げました。なんと、勇ましい、なんと無茶苦茶なと思いましたね。でも、その女の子の目は、凛としているんです。

「あの、先生!!わたしのお母さんは、今、病気で入院しているんです。祖母も目が悪くて、縫い物はできません。わたしの手では、明日までは無理だと思います。」

 なんと、ハッキリ、そしてなんと自分の思いを上手に伝える子だろう。隣の女の子を見て、なんか自分と住んでいる世界が違うような気がしましたね。

女の子に対して、先生はなんて言うのか、43人全員、水を打ったような静けさです。

「じゃあ、誰か、その子の分まで、1枚縫ってきてくれ。以上!」

 

 みんな初めて会ったような人ばかりで、その子のことなんて知らない人ばかりです。みんなキョロキョロ、どうしていいのかわかりません。その女の子も、申し訳なさそうに下を向いてしまいました。それよりもまして、みんなのやさしさが明日まで集まるのかどうか、もし集まらなかったら、このおっかなそうな先生は怒るんじゃないか、真っ先にそれが頭に浮かんだのも事実です。

 

 終わりの会で、わたしは雑巾で黒板を拭くことにしています。明日のためです。朝、きれいな黒板を見てスタートするのと、汚いまんまでスタートするのとでは、雲泥の差なんです。だから、ずっと続けてきました。そしたら、ある日、Uくんが、黒板を拭いているわたしの隣に来て、「先生、俺やるよ。」そう言ってくれるのでした。わたしがいなかった土曜日の午後、生徒達が帰った教室に入ってみると、黒板は、そう、きれいに拭かれていました。Uくんが言葉通りに行って帰っていったのです。こんなこと書くと、誰かが、Uくんに対して冷やかし半分の言葉をいい出すのでしょうか。心に思ったことを、すんなり行ってくれるそのやさしさを育てるのも、枯らすのも、わたしを含め、周りのみんなひとり一人の態度で決まります。やさしさが集まるクラスは、どうすればいいのでしょう。

体調を崩して、ひとり家で休んでいるKくんを見舞いに行った時、「昼はどうする?」って聞いたら、「自分で米といで炊きますから大丈夫です。お母さんの代わりに、いつも炊事手伝ってやってますから。」と答えます。「え、うそ!」なんて、きっとみんな、学校での姿からは、想像もつかないでしょう。この文をみて、冷やかしたりするのでしょうか?多分、本人はこのことを紹介されることは、本意ではないかもしれません。でも、人間はいろんな姿を持っているということを知って欲しいんです。いろんな面を持って生きているんです。弱そうな人も、強そうな人も、それはある一面だけに過ぎません。本当は、弱そうな人ほど、芯が強かったり、強そうな人ほど、人の目を気にする繊細な人だったりするものです。

やさしさを回収しようとすると、何かが邪魔します。照れや恥ずかしさ、そして周りの目。やさしさを簡単に回収できるクラスにするって、そんなに難しいのでしょうか。

 

 小学校の新しいクラスが決まった日、家に帰ると、雑巾を明日まで縫って持っていくことを母に伝えました。でも、あの隣の女の子のことが頭を離れません。全然話をしたことのない子の雑巾を持っていくと、変におもわれやしないか、悩みました。でも、思い切ってもう1枚、母に追加のお願いをしたんです。自分の勇気と、あの女の子の勇気を天秤にかけて考えたんです。

 

次の日、新しい学級の5年6組に行くと、女の子の机の上に、40枚以上の真新しい雑巾があがっていました。わたしも、雑巾の山の上に、母が縫った雑巾をのせます。

「ありがとう。」女の子がにっこり笑顔で返してくれました。

 やさしさが集まった形が、この雑巾の山なのです。こんな時は、誰もこのやさしさに冷や水をかけたりする人なんかいませんね。

教卓では、あのおっかなそうな先生が、やさしい笑顔の先生に変わっていました。

 

 やさしさは、集めようと思えば、本当は簡単に集まるものなのです。

 

ご意見・ご感想をお願いします。

 

 

 

 

 


戻る