3年C組の保護者の皆さんへ 2
年度始めの今は、何かと決め事が多い時期でもあります。学級の中では、学級自治委員をはじめ、各専門委員会、教科係り、清掃活動や集配活動などを班単位でしてもらうための係り分担など、何かと大変です。特に、人の上に立つリーダーを選ぶのは、年々至難の業となってきました。それだけ、集団をまとめることの大変さを理解しているのかもしれません。でも、わたしが見た限りそれだけではないんですね。なるべく“目立つことは避けたい”という意識が働いていることが強いようです。集団の中に埋没して、身を隠すという行動は、動物としては正しい行動でしょう。でもそれは、あくまでも危機的状況の時にとるべき行動パターンなのです。日常生活から、そんな行動が目に付くというのは、それだけ、これまでこの子ども達が体験してきた日常には、他人から見られる視線にこだわらなければいけないほど、人間関係において何かしらの危機的状況があったのかもしれません。1日、2日を見ただけでわかりませんが・・・。
自分自身を思いっきり表現できる、そんな安心な日常を作っていきたいものです。
か細く、か弱い種
今年は、いろんな入学式を体験しました。M中の入学式はもちろん、娘の小学校の入学式、そして、定時制高校の薄暮に行われた入学式です。昨年、一緒に働いたS先生は、東北芸術工科大学に入学しました。働きながらの受験勉強、入試、いろいろ大変だったでしょう。それだけでも感心します。その上合格だなんて、生徒にとっても素晴らしい目標となります。4月初旬の朝刊には、その芸工大の入学式の模様が写真入りで、紹介されていました。4月は、いろんなスタートを切る季節なんですね。
M中の入学式で、N小の齋藤教頭先生の祝辞は、ちょっと変わっていてよかったですね。
“はたらきアリ”の話でした。
「はたらきアリって知ってますね。あのはたらきアリについて、研究している学者がいるんです。はたらきアリをよーく観察すると、はたらきアリのくせに、何もしていないアリがいることを発見したのです。するとその学者は、その何もしないはたらきアリだけを集めて、ひとつの巣を作らせました。どうなったと思いますか?
これまで何もしていなかったアリは、急に働き始めたそうです。次にこの学者は、はたらきアリの中でも、一番働き者ばかりを集めて、さっきと同じようにひとつの巣を作りました。今度は、どうなったか、わかりますよね。そう、今度は、はたらき者のアリの中でも、ぜんぜん働かないアリが出てきたのです。
環境が変われば、これまでとは違う自分に変われるということです。小学校の時ではできなかったことも、中学校という新しい環境で、できるようになるのです。みなさん、がんばってください。」
さすが、以前少年自然の家に勤務していた先生だなあって、思って聴いていました。
人間って、実はこのままじゃいけないって、いつも考えている動物なんですね。誰もがそう。このままでいいなんて思ったら、おしまい。小さいけど、「よし変わろう」と思う気持ちの種は、4月になると、あちらこちらで生まれるのでしょう。でも、この種は、実に、か細く、育てるのに大変難しい種なのでもあるのです。
この日の夕方は、定時制の高校の入学式に行きました。昨年の卒業生が入学したこともあり、招待されたのです。決して多いとはいえない、来賓の数ですが、控え室では、定時制高校出身の年配の方もおり、母校への愛着をわたしに話してくれます。
入学式は、午後の5時から始まります。働きながらの生徒ということもあり、後ろに座っている生徒の年齢もばらばらです。この高校に通うことになった理由もばらばら。中国から来た人。他の高校から転学してきた人。会社に通いながら通学しているお父さんらしい人。多分、先生よりも年が上なんてことは、この学校では不思議でもなんでもないことなのでしょう。こんな入学式もあるのです。
式の最後には、1年生の担任の先生から全校生徒に向かってのメッセージがありました。これもこの学校ならではの慣習みたいです。それまで、ちょっとお堅い話が続いたので、少々疲れ気味の生徒達ですが、知っている先生ということでその話に興味津々です。
そして、その先生は、「みなさんは、ニュースステーションという番組知っていますか?」そんな話から、メッセージを始めたのでした。
M中3年C組では学級自治委員を決めました。
「これまでどうやって決めてきた?」と聞くと、「す!」「す!」と答える生徒達。
「“す!”って何?」と聞くと、「推薦!」と答えます。ということで、推薦でやってみました。するとさっそく「○○がいい」と生徒。「な、○○がいいよな」と同意を求めます。周りの生徒は、ニヤニヤと笑う始末。
次の時間。ちょっと語らせてもらいましたね。
「君らのいう“推薦”っていうやつは、俺にとったら“はめる”とか“落とし入れる”っていうやつだね。もし、君らがいう推薦のこの姿が常識だとするなら、俺にとってこの常識は、非常識ということになる。人には、いろんなタイプがいる。その立場にふさわしい人間。その立場には合わない人間。そんなことは、君らが一番知っている。立場にふさわしい人間が、とことん活躍できる姿が本当にすばらしいと思う。」
人の考えってやつは、なかなか変わることは難しいのも事実です。ただ、集団の中に、「正しいことは正しいと言える」正義を作らなくてはなりません。正義という種もまた、はじめはか細く、か弱いのです。
定時制高校の入学式のメッセージの続きです。
「ニュースステーションという番組は、18年間という長い間続いた名物番組で、この春最終回をむかえました。キャスターの久米 宏という人は、思ったことをずばずば言う毒舌が有名で、好きな人も嫌いな人も多いのですが、この人柄がまた、この番組の名物でもありました。別段、この久米 宏という人がいいとか悪いとか、そんな感慨がわたしにはありませんが、たまたまこの最終回を見ていました。歯に絹かぶせぬ言い回しで、政治についてか、経済についてか、はたまた教育についてか、この日本社会に対して批判的なことを言って終わるんだろうなあと思っていました。そしたら、わたしの思っていたのとはちょっと違う終わり方でした。久米氏が最後に言った言葉がこれなのです。
『これが本当に最後です。実は、わたしは、小学校の6年間、ずっと通信簿には担任の先生から、こう書かれてきました。“久米くんは、何をやっても長続きしない”と。6年間ですよ。ずっと同じこと書かれてきたんです。でも、こうやってひとつの番組を18年も続けることができました。こんな人間になりました。先生、見てますか!!』そして、久米氏は、ガッツポーズをしました。生徒の皆さん、皆さんはいろんな思いがあってこの学校に入学しました。でも、この学校に通う生徒は、みんな他の学校の高校生よりも大人です。なぜなら、たくさんの挫折を経験してきたからでしょう。絶対に、卒業して、昔の自分を知っている人たちに、「どうだ!変わったろ!」って、ガッツポーズをしましょう。」
これまで、ざわついていた生徒たちも、みんなこの言葉に何か感じたようです。
確かにここにも、“よし変わろう”という、小さく、か弱い種が生まれていました。
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