3年A組の保護者の皆さんへ 8

 

 二学期に入り、一週間が過ぎました。「先生、明日7時に学校を開けてください。」前日に、Yくんがわたしにこんなお願いをしにきます。運動会の組看板の遅れを取り戻したいのだそうです。夏休み、計画通りに進めた他のクラスとの遅れは歴然。ここに来て、ようやく本腰を入れてきました。

行事の時の3年生の登校は早い。普段なら8時に登校といっても、「無理!」「不可能!」という言葉で一点張りなのですが、行事の時は、7時だろうと何だろうときちんと登校するのです。あの「無理!」「不可能!」という言葉は、どこにいってしまうのでしょう。学校で行われる大きな行事は、いわば“祭り“の日のハレの日と同じです。ハレの日だから、こころが燃えてテンションも上がりっぱなしです。その一方で、このハレの日に、あえて冷めた目で、ものや人をみる子ども達もいます。自分の活躍する場を見出せない寂しい思いを持ったりすると、人はどうしてもニヒリズムに走るのです。熱いこころと冷めた目、それが混ざり合って、今、学校はあるのです。

 

こころをひとつにって、そういうことです

 

最近、教室に言葉のシャワーを設置しております。言葉のシャワーと言っても、ただ、わたしが思ったことや感動した詩や文を教室に掲示しつづけるのです。今回新しく、黒板の上に掲示した言葉は、

成功するということ。

 それは、努力に成功するということ。

 イチローはこのことを「準備」と言っていた。

 彼は、大リーグに行く前に既に、成功していたということ。

以前、わたしが見て感動した言葉を掲げました。

 運動会前だから、掲げたわけじゃないのです。今だから、来るべき入試に向けての準備が今大切なのです。準備というのは、目の前のものではなく、将来にむけてのものなのです。

 朝のプリント学習を、しっかり取り組む人、ごみになる人。入試の当日には、もう既に合否が決まっているんです。そういうことです。

 

 同じ仲間であっても、こころが熱くなると必ず、互いのこころとこころが擦り切れます。運動会のリーダーもその繰り返し、投げ出す寸前な人もいます。それでも、幸か不幸か、1回目の応援合戦では、白組が1位でした。1年生の女子生徒が言います。「3年生についていって、これからもがんばります。」リーダーの立てたプログラムにしたがって、1,2年生は一生懸命やります。

あるクラスでの出来事を紹介しましょう。

例年行われる運動会で、名物となっているムカデ競争で、問題が起こりました。

組頭:「僕は、ムカデで優勝したいだ。」

Aくん:「僕もそうです。でも、Cくんには悪いけど、Cくんがいると優勝できないのです。」

Bさん:「多分、Cくんが入らなければ優勝はできると思うけど、Cくんもチームの一員なんじゃない。」

 

このクラスは、最後の運動会の最終競技のムカデで優勝を目指して練習をしてきたのですが、どうしても、一人だけ巨漢なCくんがブレーキになっていました。

クラスのみんな、Cくんがはずされても仕方がないと、思うようになっていました。

 

そのとき、ある生徒が発言しました。

「わたし思うんだけど、運動会はみんなのものだと思う。出たいのに出られないなんて、ひどすぎるよ。」

「僕も優勝はしたい。でもこんなやり方で優勝するのなら、やめた方がいい。」

いろいろと意見が出されました。そして、誰かがCくんに声をかけたのです。

「Cくんは、どう思う?」

 Cくんは、しばらく考えていましが、意を決したように、それでも静かな小さな声でこう言いました。

「僕もムカデに出たい。でも僕がいると優勝できないということだよね。」と。

 

Cくんの発言の後、しばらく、クラスには沈黙が続きました。

そして誰かの一言。

「練習しようよ。最後まであきらめず。誰がでる、でないなんて決めることじゃないよ。」

 

話し合いはおわった。

その後、このクラスの生徒達は、一生懸命に練習しました。Cくんも人一倍努力しました。

 

大会当日。プログラムも進んで、いよいよ最後のクラス対抗ムカデ競争です。

「よーいどん!」

 

結局、最下位でした。

クラス全員、涙を流しました。でも、一人もCくんを入れたことに後悔をしている人はいません。

後悔しているところか、クラスみんな満足の涙でした。最後にCくんのムカデがゴールす

ると、みんな抱き合って喜ぶのです。

 

こころをひとつにという言葉は、簡単な言葉ですが、本当のひとつっていうのは、そういうことなのです。

 

いくらリーダーが、怒鳴ってもついてくる仲間や後輩がいます。リーダー達が仲たがいをしても、他のみんなは、じっとリーダーの指示に耳を傾け、大声で期待にこたえようとします。

こんな自分達にも、ついてきてくれる仲間の姿を知ったとき、もし、“感謝”という言葉がこころに芽生えたとしたら、それはリーダーとしての勉強が終りを告げたときです

 

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