3年A組の保護者の皆さんへ 3
先日は、授業参観、PTA総会、学年総会、そして学級懇談と、お忙しい中ありがとうございました。学級懇談の際に、中学3年生を持つ親として知っておいて欲しい、『3つの壁』についてお話させていただきました。「この3つの壁はどの子にも訪れるし、どの子どもにとっても、乗り越えなくてはならない壁になるでしょう。まずは1つめの壁、部活動が終わったときに訪れる虚脱感をどうするかです。」そんな話をさせていただいたら、あるお父さんから、「その時、親はどうしてあげたらいいのですか?」という質問が飛びました。「そうですね。負けたときは、残念だったなあっていっしょにがっかりすることも大切でしょうし、それまでがんばったその子なりの努力を称えることですよね。それで、その際に意外と有効なのが、“間接的に伝える”ことです。例えば、手紙に書いて、そっと部屋に置くとか、“父さんが感動したって言ってたっけよ”と、お母さんが言うとか。直接的に“残念だったなあ”ということよりも、誰かが変わりに伝える、手紙にして伝えるなんてことは、特に心が滅入っている子ども達にとって、もやもやの気持ちを消化させるきっかけになったりするんです。」そんな風に応えました。間接的に伝えることで、その人が自分のことを本当に大事に思ってくれているんだなあと、その愛情の深さを想像するのです。人間って、見えないものにこそ、本当の真実をかぎとる力があると信じています。
見えない部分…
最近、我が家の郵便ポストに1通のはがきが届いていました。そのはがきは、昨年までM中で音楽の授業を行っていて、この春ご退職になったT先生のものでした。T先生のご退職は、わたしにとって突然で、ずいぶん驚いたのですが、それと同じようにもっと驚いたのは、近況を知らせるおはがきでした。いただいたおはがきは、全て手書きで書かれているのです。普通、職場が変わったり、あるいは退職なされた際に、その旨を通知する手紙は、印刷屋に注文したり、ワープロを利用して、その文面の例を活用して印刷するものが一般的です。その人に向けてのメッセージは、ちょちょっと1、2行、印刷した文面の隅に書くのです。わたしもそうしてきました。でも、T先生のおはがきは、違います。全てが手書き。多分、先生のように、経験豊かな方ならば、少なくとも何十通と手紙を差し出したでしょう。それを全部、手書きで出されたのでしょうか?このようなことに、わたしは、T先生という方の人となりを感じてしまうのです。これまで、自分が異動した際に作った、異動を知らせる手紙と比べながら…。そして、この1枚の手紙におかけになった時間を想像すると、そのありがたみに、頭が下がるのです。
教室という空間をどのようなものにするかは、生徒の心を安定させるためには、とっても大切なものです。学級がスタートしたときには、何にも貼られていない、がらーんとした教室を、どのような掲示物で、心楽しいものにしていくのか頭を悩ませたりもします。“教室環境を整える“なんて言ったりしますが、この環境は1年限りの期間限定です。だからこそ、毎年同じ、どの教室に行っても同じというものではなく、ここで生活をしている、子ども達の息吹を感じるようなものにしたいものです。年度当初は2、3時間程度、この教室環境整備のための学級活動の時間が、どの学年のどのクラスにも与えられます。
幸い、Nさんはイラストがとっても上手です。何もみないで、アニメのキャラクターを、どんどん書いてくれます。おかげで、教室のあちらこちらに、かわいく微笑みかけるキャラクターが出来上がりました。現在、平成15年度の3年A組らしい教室へと変貌している最中です。
最近、放課後の教室を見回ると、正面黒板の上の方に貼ってある、様々な色の花々がどんどん増えていっているのに気がつきます。タンポポやひまわりなど、大きさも形も色も、本当に様々です。ここ数日、色紙で作ったそれらのものが増えていきているのですね。誰が作ってくれているのでしょう?
その答えは、数名の生徒達の日記をみてわかりました。
「花いっぱいになりましたね!もっと書きたいんだけど、花がうかばなくなってきて…。本など見てがんばりマス!」「○○さんと作ったよ。あと花がほとんど思い浮かばない。」
なんて書いてあります。
わたしは知らなかったのですが、休み時間などで、余った色紙を利用して作ってくれている生徒達がいたんですね。どんな気持ちで作っているのでしょう。きっと、作ったものを教室に飾る、それ自体が楽しく、嬉しいのでしょう。数名の生徒達が、放課後や休み時間に一生懸命、花を考え、描いている姿を想像します。3年C組の鈴木先生が「教室の装飾、先生がやったんですか?」なんて聞いてきます。「なんだか、ホッとするなあ。」
「生徒達が勝手にやったんですよ。」ちょっと、誇らしげに語るわたしです。
わたしは、実はラジオが好きなんです。でも、決してテレビよりいいなんて、比較していうのではありません。ラジオというメデイアは、目に見えない分、人々の右脳に働き、想像力を掻き立てるのです。実は、人は、本能として、聞くことよりも見ることの方を信頼しやすい、やっかいな面があります。最近まで、テレビのチャンネルをつけると当たり前に戦争の様子が映像で映し出されてきました。戦場の模様や捕虜となった人々、爆撃のシーン、そしてその前で平然と状況を話すリポーター。リアルな映像を見れば見るほど、これまでの戦争という見たことも経験したこともない、ただ想像でしかなかったものが、身近に感じられるようになりました。なんだかその結果、平和がどんどん、安っぽく、軽くなったような気がしてならないのです。
見るということは、大切です。でも、それよりもっと大切なことは、見えない部分を想像することなのです。あふれる情報を見ることによって、見えない部分を想像しようとする心を失いつつある日本人。そんな日本人を一人憂いているわたしは古いのでしょうか。
花を作ってくれたことに対するお礼のコメントを日記に書きました。すると、一人の女子生徒が次の日、同じ日記にこう書いているんです。
「わたしは、切っただけだけどね…。37枚作らなきゃ!一人ひとり違う花!!」と。
そうか、この子たちが休み時間に描いて作ってきた花は、A組ひとり一人の花だったのか。ただの掲示物としかとらえていなかった、わたしの浅はかな想像力はふっとびます。
中学生って、これだから、困っちゃうんです。
キリトリセン
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