3年A組の保護者の皆さんへ 2

この時期は、どの担任の先生も学級評議員をお願いをするという難題に取り組みます。皆さんから頂いた投票用紙の票数をもとに、お宅の方に電話をおかけします。仕事でお忙しい中で引き受けて頂けるか、こちらとしては気が重くなる一方です。そんな中、S.Yくん、S.Nくん、S.Kくん、H.Kくん、T.Aさん、T.Hさんのお家の方が学級評議員に、N.Kくんのお母さんが母親委員に快くお引き受けして頂きました。本当にありがとうございました。また、S.Kさんには、A組の世話役になって頂きました。

授業が始まりました。どの先生も、最初の時間に工夫しています。どんな学習でも、生徒のやる気に火をつけるかどうかは、出だしできまりです。隣のT田先生は、5円玉を持って授業に行きました。心に火をつける教師を目指したいものです。

 現在、放課後は、新入生の部活動見学が続いています。たくさんの新入生に囲まれて練習をすることでいつも以上に張り切って練習をしているようです。その後は、遅くまで駅伝の練習が行われています。陸上の専門家である、今年いらしたS先生も、駅伝部の能力を見てやる気まんまんです。今年は山形県で東北大会が行われるため、東北大会出場権は6つと増えました。その6つの中に、がんばれば入れそうということ。まずは、5月の地区大会が大切です。

 

千年燈明

山寺の立石寺には、千年間、灯しつづけている燈明があるということを学校帰りに車のラジオで知りました。わたしも山寺には、数度行って、あの長い階段を上りましたが、千年燈明のことについては知りませんでした。千年間絶えず灯をともしつづけているほど、大変大切に扱われている“ともし火”です。その火は、その昔、比叡山の延暦寺から分火されたものなんだそうです。その昔といっても、貞観2年(860年)の創建の時に分火されたというのですから、はんぱじゃありません。ほとんど『おじゃる丸』の世界です。ある時、織田信長が、比叡山の焼き討ちをした際、延暦寺の火が消えてしまい、この山寺の灯をもっていったんだそうです。ま、そういうめったにないことのために、なにもそんなにまでしなくてもという話なんですけど。とにかく、ずっと千年間、灯しつづけている火なんです。千年も灯し続けてきたんです。なんかの拍子で、「ふー」って息をかけて消してしまったらどうなるんだろう、まだまだ仏心のないわたしは考えてしまいます。

家に着いてやっと一息です。きっと、生徒達もそうでしょう。新しいクラス、新しい人間関係の中で生活しているのです。本人は気づいていなくとも、心は必ず疲れているものです。

「今日ね、学級委員に立候補したんだよ。」小学校3年生の長男が真っ先に教えてくれます。ずいぶん思い切ったことをしたもんだと、父であるわたし。「でもね、落ちたんだ。」と長男が楽しみにしていたテレビを見ながら話します。すかさず「挑戦したことがすごいことなんだよ。」と奥の方から妻が、鍋を片手に勇気づけます。横顔からはわかりませんが、やっぱり本人には、「ショックだったんじゃないかな−。」と着替えながら考えました。こんな時、親はなんて言ってあげたらいいのでしょう?

 

小学校も中学校も、子ども達は今、それぞれの係を決めたり、委員会を決めたり、班の仕事を分担しあったり、大忙しの時期です。そんなことで、4月は自分がこのクラスに何ができるか考える時期であり、自分の活躍の場を決める時期でもあるんです。保護者の方々もそうです。夜には、PTAの評議員の方々に集まって頂き、広報部や研修部などの係分担を行います。『子ども達のために、できる限りのことはしてあげよう。』という言葉が、何回も会議の中に登場するんです。

3年A組でも、今週は、学級や専門委員会の組織決めを行いました。1番重要ポストである、学級自治委員には、男子はS.Kくんが、女子は、T.Rさんが選ばれました。本人の希望というよりは、お願いの形で決まった感が強いですね。それでも、この二人なら一生懸命にやってくれるでしょう。さっそく、毎時間の号令の担当をお願いします。みんながざわついている時は、静かになるまで待って号令をかけてくれます。これだけでも、立派なリーダーです。

 

わが子の落選について、父として、何か励まそうと思ったんですが、あまり励ましの効果はないようにも思います。実は、わたし、こう見えても、中学生の時、生徒会長に立候補したんです。そして、見事に落選。落ちるのは、遺伝ではないでしょうけど、勇気を振りしぼって立候補しての落選の気持ち、それはわたしにもわかるんです。こんな時は、励ましよりもいっしょに、残念がるほうが実は嬉しかったりするんですね。

そこで、

「実はね、父さんも中学校の時、立候補して落ちたんだ。」と話しました。

長男は、はじめてテレビからこちらに顔を向けます。そして、「どんな気持ちだった?」って尋ねるんです。

「そりゃあ、めっちゃくちゃ悲しかったぞ。」とわたし。

「ふーん。」何かわかったようなわからないような、返事が返ってきましたね。

 

人間の強さは、弱さと同じところにあると思うんです。本当に心が強い人は、人の心の弱さを知っています。自分から何でも行う自立した人は、逆に人に頼る依存の素晴らしさを知っています。だから、強い人間にしたいのなら、人の弱さを教えなくてはならないし、自立した人になってもらいたいのなら、相手に頼ることの素晴らしさ、助け合うことの尊さを教えなくてはならないんじゃないかと。

本当に優しい子どもは、何かしら心が傷ついた経験があるものです。だから、傷ついている子を見ると、感じちゃうんです。自分もそうだったって。

わたしは、このように感じているのです。人間を育てるときには、遠回りをしなくてはいけないということを。

人の心に火を灯すという作業は、大変なことです。人の心には、たくさんのともし火の火だねがあります。その火だねを絶やさないように火を灯しつづけてやるのは、やはり周囲の大人の温かいまなざしや言葉がけなんでしょう。千年燈明の火には及びませんが、せめてその子がしっかり自立していけるまでは、火を灯しつづけてやりたいものです。

 

「実はね、僕、家の人みんながびっくりするかなーって思って、立候補したんだよ。」

わたしの弱さのあとに来たのは、心の奥に灯ってある、わが子の本音でした。

 

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