3年A組の保護者の皆さんへ 17
いよいよ卒業の日です。保護者の皆さま、1年間、ご支援ありがとうございました。これまでのクラスの旅路は、決して順風満帆だったわけではありません。
4月当初から、他を受け入れようとしない狭い考えと自分中心の独りよがりの考え方に閉口したこともあります。狭い人間関係の中でしか、暮らせない現代の中学生。より広い人間関係を求めてスタートした4月でもありました。
『井の中の蛙』では、いけないと話したこともありました。もっと、広く物の考えや視野を広げて欲しい。自分の考えと合わない人間ほど、自分を成長させてくれる出会いだと語った、運動会。文化祭。このクラスは、行事のために苦しみの種が運ばれるクラスでもありました。そのクラスも今日で終わりを告げます。クラスの成長は、ひとり一人の成長の証でもあるのです。
最終号の、たよりです。1年間本当にありがとうございました。
井の中の蛙、大海を知らず
何を贈ろうかなと、数週間考えました。
中学校3年生の卒業担任となると、やはり贈り物を考えるのです。
何も1年間担任しただけで、生徒達の全てをわかったつもりは、さらさらないのです。3Aの生徒達がわたしに見せた姿は、ほんの数パーセントにしかすぎないでしょう。もっと、わたしが知らない良さや輝きがあったはずです。それを、なかなか引き出すことができなかった自分の無力感を、生徒達の笑顔をみればみるほど感じているのです。
ただ、わたしは、3年生を担任すると、いつもこうも考えています。
「わたしは、これまで引き継がれてきた義務教育のタスキを最後の学年で引き継いだアンカーなのだ。」と。小学校1年生から中学校3年生までの9年間、生徒達は様々な担任と出会ってきました。そして、わたしが、その義務教育の幕を下ろす役に、たまたまなったのだと・・・。夢や希望を持って、入学したあの小学校1年生。小学校1年生の最初の先生からじゅんぐりじゅんぐりに引き継がれたタスキが、今、ようやくわたしによって、ゴールに運ばれるのだと。
だからこそ、これまでの先生方の意に背かないような、その方々の願いにも答えるような贈り物をする必要があります。
先日、前の号でご紹介した、『どんぐり母さん』という紙芝居サークルを3年A組にもお招きして、最後の道徳の授業を行ないました。紙芝居の内容は、耳の不自由な子ども達が酒田聾学校という学校で暮らしている、その暮らしの小さな小さな出来事を題材にした絵本を基にしています。
お母さん達の熱心な演技が、静かに心に入ってきます。
最後にお母さん方ひとりひとりが、言葉をプレゼントしてくれながら終わりました。
この紙芝居を完成させるのに、かかった時間。自分達のために練習を重ねた時間。きっと忙しい合間を縫っての練習の日々だったでしょう。
最後に感想を求めた、Nさんは、思わず「わたし達のために、こんなに準備してくれて・・・。」と言って、声を詰まらせてしまいました。本当に感動しました。お母さん達に。そして、その紙芝居の裏に思いを抱き感動の涙を流す、あなた達に。
あの日から数日間の卒業がいよいよ迫った日々は、色紙の交換会が花盛りでした。
「先生!書いてください。」とYくんが、わたしに色紙を持ってきました。
「先生の言葉には力あるんだよなあ」と、Yくん。
「お、嬉しいねー」と、特別ていねいに書いてあげました。
“言葉に力がある”というのは、わたしにとって最高の誉め言葉ですね。ありがとう。
この1年間、このクラスを持って考えた事は、いろんな言葉を贈ろうと思ったことです。本当に力のある言葉なら、その人の心や考え方まで影響を与えると思っているからです。だから、たくさんの場面で語ってきました。
もちろん、なかなか言葉が、君達のこころに届かなくて、頭の白髪が倍以上になったのも事実です。B組やC組との違いを指摘されて、苦しんだ日々があったことも事実です。
でも、“言葉を贈ろう”という気持ちは、萎える事はありませんでした。
“言葉に力がある人”しか、わたしは信用しません。言葉に力がある人は、その裏に、血のにじむような苦労や辛さを体験しているからです。冒険もしていない人が、エベレスト登山の素晴らしさを語っても、この言葉は空を駆け巡るだけです。
わたしの今やっている職業は、楽しいことより辛い事のほうがずっとずっと多いです。でも、唯一やりがいがあるのは、言葉を伝えることができる職業であること。その手段の一つに、このたよりもありました。
たよりには、自分の過去の出来事や出会った人を通して、あなたに語りたい言葉を伝えてきたつもりです。でも、この文を書きながら考えたのです。ひょっとすると、わたしが、あなたに伝えようと思って書いていたこのたよりは、わたし自身の過去を振り返り、今の考え方を見つめなおし、この道でいいんだと確信するための作業だったんじゃないのかと。
わたしは、過去の自分や出会った人たち、その人たちのいるあの時代に戻りたいとは思いません。けれど、過去の自分や出会った人たちから学んでいた自分を確認する時間は、大切にしたいと思います。実は、そんな時間こそが本物の宝物なのかもしれませんね。
君達に贈り物を上げようと考えた末に出た結論がこれです。ちょっとがっかりしましたか。でも、本物の宝物ってやつは、もらう物にはないんですね。人にあげようとした物の中にこそ、実は隠れているんですね。それも、出た結論の一つ。
君達に贈ってきた数々の言葉は、わたしにとっての宝物だったのです。
井の中の蛙は、実は、わたし自身だったのでしょう。君達は、これから、広い世界に旅立ちなさい。
でもね、
いつだったか、『井の中の蛙』ではいけないと言ったけれど、実は、あの話にはもう1行、付け加えがあるのです。
井の中の蛙、大海を知らず。されど、
空の高さを知る
井の中の蛙だからこそ、誰もがわすれた美しい心を持ち続けているのです。
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