3年A組の保護者の皆さんへ 16
3月です。3Aのクラスには、4月からの進路が決まった12名と、これから受験を控える25名が混在しています。受験を控えている者も辛いけれど、実は進路を決めた人も辛いのです。騒ぎたくても騒げない。自分だけお祭りはできない。でも、抑えきれない気持ち。“全員が進路を決めるまで“というキーワードのもと、残りの日々を過ごすのです。
公立校の入試倍率が発表されました。これまでにない、高い倍率となった高校があります。このクラスにも、その高校を受験する生徒がたくさんいます。誰だって、落ちる人数に自分が入ることを想像してしまいます。不安との戦いのスタートです。
人生は流れの中
あと2日もすると、3月です。春の足音が聞こえてくる季節になりました。
このたよりも、残すところ、あと1枚か2枚というところでしょう。
今年のたよりにも、わたしが出会ってきたいろいろな方々を登場させ、それを通して、3A の保護者のみなさん、生徒諸君、いや自分自身を振り返ってきたように思います。
夢にまでみた、プロ野球の選手になった、K中時代の教え子、佐藤賢くん(たより11)。
わたしに、新しい教育について熱く語ってくれ、“命の授業”で全国的に注目された、神奈川県の茅ヶ崎市立浜之郷小学校長 大瀬敏昭先生。(たよりbS)
そして、わたしの学生時代に出会った、恩師やいつも周りにいてくれた悪友たち。
人は、人と人との出会いで『人間』(じんかん)になるという、まことにストレートな思いで、このたよりを書きつづけてきました。
先日、あるお母さんからお手紙をいただきました。
いつもお世話になっております。 実は、N小を今年度、卒業する6年生に、わたし達、読み聞かせグループで、何か心に残るものをプレゼントしたいと考えていたところ、とてもいい本だったからとの声があがり、昨年度先生にお借りした「十四の心をきいて」の大型紙芝居を作ろうということになりました。ただ今製作中です。 発表の時は、是非紹介していただいた高橋先生にご出席いただきたく、乱筆ではございますが、ご案内の筆をとらせていただきました。…略 |
そのような、お手紙です。
昨年、2年B組のたよりに、鶴岡の童話作家つちだ よしはる氏の展示会に行ったこと、そこで受けた純粋な感動。そして、「十四のこころをきいて」という絵本について。それらを、載せました。そうしたら、あるお母さんが、是非その本を、貸して欲しいというメッセージを頂いて、お貸ししていたのです。
あの後、大型紙芝居の完成まで、様々なご苦労があったことでしょう。その過程を知らないわたしにとっても、実に嬉しいお手紙となりました。
早速、本校の教頭先生にそのことをお話し、30分間のお休みをもらいました。発表会にいくためです。
ヤクルト球団に入団した、佐藤賢くん。フジテレビの夜のニュース番組で、プロ野球界の“高見盛”なんて呼ばれていました。
ドラフト会議後、あの相撲界の高見盛の風貌とそっくりな、おっとりした性格で、マスコミの方々からも愛されている彼を知り、本当に嬉しかったものです。
ところが、生死をさまような病気になりキャンプ中倒れたというニュースが入ってきたのは、今月の2日でした。
浦添キャンプ初日にアレルギー反応を起こして2日に緊急帰京した、ヤクルトのドラフト6巡目ルーキー佐藤賢投手(22=明大)が3日、東京都内の病院で検査し「運動誘発性アナフィラキシー」と診断された。球団トレーナーによると、食物に対するアレルギーが練習によって誘発されたという。病状は落ち着いているが、血液検査の結果が出るまでは様子を見る予定。また、球団はアレルギーを持つ他の選手に対して、キャンプ終了後に精密検査を行う方針を決めた。 (日刊スポーツ) |
幸いなことに、現段階では、命に別状はないということですが、さぞ、本人やご家族は不安な毎日を過ごしているでしょう。
プロ野球に入団が決まった時に、このたよりに、彼のことを載せました。その後、こんな苦労が待っているとは誰もが思ってもいなかったことでしょう。
人生は、いつも流れの中です。よどんで止まることはありません。成功や失敗、喜びや苦しみというのは、表面的な結果にすぎません。その結果にたどるまでの、曲がりくねった道を一歩一歩歩んだ営み、それこそが、時に人生を光り輝かせることになるのでしょう。
最後は、命の授業の大瀬敏昭校長先生です。
あのたよりの数週間後、驚くことがありました。わたしに、ご本人がメールを贈ってくださったのです。
『私のことを書いて頂き恐縮しています。 どういうルートからか、いのちの授業についてマスコミの知るところとなり、全国の新聞に掲載されるところとなりました。その反響の大きさに驚いております。NHKを含め、各民放からのテレビ取材依頼もありましたが、NHKを除いてすべてお断りしました。NHKでは、先の「教育ツゥデイ」に続いて長期取材が始まります。また機会がありましたらご覧ください。わたくしは、6月始めまた体調をくずし入院して治療を受けていましたが、今は復帰しいつものように勤務しております。来週27日には、市教委指定の研究発表を予定しており、教職員一同、また全国の皆様と交流できることを楽しみにしているところです。・・・略』 大瀬 敏昭 |
わたしの人生の中で出会った方で、教育に対してあんなに熱い人はいませんでした。多分これからも…。
命の授業のことが、新聞記事になって、このたよりでご紹介したのです。あれから、末期癌を患いながらも、大瀬校長は、命について、子ども達に授業をしていったのでしょう。その後の大瀬先生の人生の流れは、遠い山形からでは理解しえません。
人の人生は、今が全てではありません。いい時だって、悪い時だってあります。このたよりで紹介した方々の、その後の生き方をみてもわかります。
人は人生の流れの中で、いつも今を精一杯歩んでいるのです。受験が終わっても同じです。受験が終わって、バタンと足を止めるのではありません。
あるお母さんの手紙も、佐藤賢くんも、大瀬敏昭校長も、おたよりでご紹介した時点から、みんな、一歩一歩歩み出していたのです。平凡な日常の中にこそ、一歩一歩確実な歩みが行えるかどうかで、人の人生の値打ちは決まるのだと思います。
受験だって同じなのですよ。受験が終わったら、そこからまた一歩一歩歩んでいくのです。
いつか、3Aのあなた達がわたしのたよりに紹介されることもあるのかもしれません。きっと、それは、これまでのあなた達のことではなく、たよりに書くその時点で、精一杯歩んでいるあなた達のことを知った時でしょう。
正月1月3日、大瀬敏昭先生が人生の歩みをお止めになりました。
☆大瀬敏昭校長先生のご冥福を慎んでお祈り申し上げます。
ご意見・ご感想をお願いします。 |