3年A組の保護者の皆さんへ 12
今週は、授業研究会という、我々教師の研修が目白押しの一週間でした。早下校で、ご迷惑にお感じになった方もいるのではないでしょうか。火曜日は、3年A組の学級活動の授業を、およそ50名くらいの先生方に参観してもらいました。授業内容は、“人生ゲームを使って、人生を考えよう“です。わたしの手作りの人生ゲームで、18歳から、老後までの人生をゲームの中で考えてもらいました。ゲームが終わって、全員に、「あなたにとって高校受験って何?」と、ちょっと意地悪な質問をぶつけました。「人生最初の試練」「夢に向けての第一歩」「次のための準備段階」…全員が、自分の言葉で語ってくれました。ゲームを通して、過去と現在と未来が点から線に変わってくれたのなら、授業のねらい達成です。
庭の桜の木
荒れ放題のうちの庭に、桜の木があります。新築した時、あるお父さんから、もらった苗木でした。手入れもしないで、ほったらかしにしていた木でしたが、大きくなりました。ただ、数年前の大雪で、枝の幹を折ってしまったのです。隣のじいちゃんから「もってねーの(もったいないの)」と言われてしまいました。でも、木ってすごいなあと思ったのは、その折れた箇所から、今や立派な次の幹が出来上がって、空に空に伸びていっているんです。見た目は、途中で曲がっているのでカッコ悪いのですが、立派な我が家のシンボルツリーです。
そのお父さんは、トラック運転手でした。
「何があっても、晋作先生の言うごどはきがねばなんねなだぞ。」
と、ことあるごとに息子に声をかけてくれる人でした。ありがたいとは思いましたが、ちょっと恥ずかしい気もするのが正直なところでしたね。
K中の3年担任のとき、わたしは毎朝、K町のA地区に通ってから出勤しました。(Kスキー場があるところです。)実は、2年生の頃から、1日も学校にこなくなってしまった男子生徒の家を訪問するのが目的でした。毎朝、あのお父さんのトラックとすれ違います。あのお父さんの自宅も、A地区なのです。
「先生知らねがった、Y君の家さ、毎日行ってんなだってな。Mさも、お前、会長なら
お前も向かいに行げっていってんなだ。」
いつだったか、飲み会の席でそんな言葉を言ってくれるお父さんでした。そして、
「先生さ迷惑がけでっがら、桜の木あげる。」
と、あの桜の苗木をもらったのでした。
そのお父さんの息子が、Mと呼ばれた男子生徒でした。そして、当時のK中生徒会長でもありました。話が上手だとか、頭がきれるとかいうような器用さはありません。むしろ、大きな体のわりに気が小さくて、周りから、気安く声をかけられるような生徒会長でした。そう、気はやさしくて、力持ちという感じです。あの豪快なお父さんから、想像できません。
でも、誰にも負けないこの子のすごさがありました。それは、野球でした。野球は、小学生の頃から、もはや地区では知らない人がいないほど、剛速球を投げる左の本格派でした。この才能は、中学校に入っても変わることなく、味方打線が1点をとれば十分でした。もちろん、地区ではナンバー1、県でも最優秀投手でした。
K中学校に勤務していたときに、そんな生徒がいたという話です。
人生って、不思議です。
生徒会長であり、県でも有名投手であった、あの生徒は、入試で希望高校のN校に入れませんでした。甲子園に行くというのが、夢でした。
みんな驚きました。
みんな悲しみにくれました。みんな応援していたからです。
「H高校に行って、見返してやるんだぞ。そうしたら、今の涙は、きっと笑い話に変えることができるんだから」
卒業式でそう言ってやるのが精一杯でした。今と違って、まだまだH高校野球部は、力不足だった頃です。H校に行って“甲子園目指せ“とは言えませんでした。卒業式のMの涙は、今でも目に浮かぶんです。
お父さんも、相当にがっかりしていましたね。
本人はどのくらい、泣いたでしょう。
高校3年の夏。Mは、準々決勝で、自分が入学できなかった甲子園の常連校のN校と当ります。息詰まる大接戦を制したのは、Mを落としたN校でした。やはり、投手1人の力で甲子園にいけるほど、高校野球は甘くはありません。それでも、次々と投手を変える相手チームとは違って、最後までたった一人で投げぬいたMのマウンド上での勇姿を見たとき、本当に泣けてきました。
どんなに、ここまで耐えただろう。「もういいや」って何回つぶやいただろう。テレビでみる県野球場のマウンド上には、気はやさしくて、力持ちのMはいません。いや、もっともっとチームのために、気はやさしくて、力持ちになったMがいたのかもしれません。
あの勇姿が、わたしがユニフォームを着てプレイしていたMの姿を見た最後でした。
その後、東京六大学の明治大学に入学して、野球を続けているということは知っていました。でも、それくらいでした。
寒く冷え込んだおととい、郵便ポストから朝刊を取り出します。
我が家では、朝刊を取り出すのは、いつもわたしの係りなのです。
その一面に、『ヤクルト6巡目で、佐藤M(明治大学)を獲得!(プロ野球ドラフト会議)』という記事が飛び込みました。
あの気のやさしいMが、自分の力で、卒業式の涙を、本当に笑い話に変えたのです。
トラックのハンドルを握るお父さんの笑顔が思い出されてしかたありません。
人生って、一生懸命生きてきた人に、必ず味方してくれるんですね。一生懸命生きてきたかどうか、手作りの人生ゲームではその部分が計れないのです。
『お父さん、あなたの息子は、あなたからいただいた桜の木の枝そのものでしたね。』
今度は、神宮球場で、古田捕手のミットに向かって思いっきり投げ込む日々を求めて、Mの人生ゲームは再びスタートです。
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