3年A組の保護者の皆さんへ 1
はじめまして、今年度3年A組の担任をすることになった、T.Sと申します。M中にきて2年目になります。わたしのことを紹介させて頂きますと、わたしはこの地区の生まれではありません。S市出身です。でも、教職について、ずっとこの地区内をわたり歩いてきました。今現在、家は、M中学区にあります。どうぞ、この1年間宜しくお願いします。このたよりは、不定期に発行させて頂きます。わたしからの一方的なたよりにならないように、ご意見・ご感想を書いていただく欄をつけました。どうぞ、たよりに関するものでも、そうでないものでも構いませんのでお気軽に、書いて頂けたら幸いです。
昨日は、学級発表がありました。気の合う人と出会えて嬉しそうな顔、話したこともない人に囲まれ不安そうな顔、新しいクラスや雰囲気で緊張気味な顔、4月はどこでもさまざまな顔と出会えます。出会えた偶然が必然だったと思える日がきたら、どんなにすばらしいでしょう。
愛の塊
わたしの前歯は一見バランスが悪くて、歯と歯の間にすき間があります。中学生のとき、体育の授業のサッカーで、相手と勢いよく接触してしまったのですが、その時、わたしの大きな前歯が一本吹っ飛んでしまったというわけなんです。あまりにも大きな衝撃だったので、わたし自身気を失ってしまったほどでした。
春は、出会いと別れの季節といいます。今年の春は、わたしにとって、祖母との永遠の別れという季節となりました。3月末に、「ばあちゃんがそろそろ危ないから」と連絡が入り慌てて酒田の病院に向かうと、ちょうど酸素吸入をはずされたところでした。自力で大きく息を吸っては、はいてを繰り返します。意識はもう、数日前からないということを聞き、じっとそばにつきそいました。数時間後、自力でしていた呼吸がさらにゆっくり大きくなり、そして止まりました。祖母との別れの瞬間でした。目には一滴の涙がこぼれていました。
子どもの頃のわたしの家は、決して裕福ではなかったので、両親は毎日忙しく働く共稼ぎの家庭の中で育ちました。だから、わたしは、祖母に育てられたと言っても過言ではありませんでした。学校の日の弁当から、洗濯物、お小遣いや授業参観にいたるまで、祖母は、わたしに関する世話いっさいを行ってくれました。嫌な顔せず笑顔で、いつもわたしの面倒をみてくれる人でした。
それでもしだいに、高学年から中学生へ成長するにつれて、自分のことに関してとやかく言う祖母を疎く思うようになってしまうんです。友人が家に来て、部屋に祖母が顔を出すと、「あっちへいげ」と言ったり、「勉強したが?」と聞かれると「関係ね」と答えたり、言葉も心と同様に乱暴ものです。まして、中学生の時の授業参観に祖母が来たりすると、わたしの心は恥ずかしいやら、悔しいやらで、学校に来た祖母をどうしても許せない気持ちになってしまいました。まわりは、きれいな格好をしたお母さん方の間、わたしの家だけは老婆なのです。いくら、よそ行きの着物を着てきたとしても、中学生のわたしにとって、友人が「あのばあさん、誰?」とささやく声は、針のむしろの上に座ったここちでした。
頭にきたわたしは、弁当にもはしをつけずに帰るのです。
中学3年生にもなったある日、体育の授業の時間、グランドでサッカーの時でした。空高く舞い上がったボールをめがけて、思いっきりヘデイングしました。すると、相手チームのひとりが、わたしの顔面に同じようにヘデイングしてきたのです。二人とも、頭はボールに当たらず、一瞬飛ぶのが早かったわたしの前歯が相手の頭に突き刺さって、その場で倒れてしまいました。その後の記憶はまったくありません。真っ白になって、そのままなんです。その後のことを聞くと、救急車で運ばれ、さまざまな検査をされ、頭には問題ないということで、歯医者に連れて行かれたそうです。
歯医者の診察台では、意識がもどっていました。前歯がほとんど全て下がってしまって、口を閉じることができません。
なんだか、中学生のわたしは、こんな大事故が初めてなもんで、「もうだめかなあ」「これで死ぬんかなあ」と大げさに考え込んでいました。
歯科医の先生方が集まり、相談していました。ますます不安になります。「俺って今どんな顔してんのかなあ。」とか「もとの顔にもどれるんかなあ。」とか。
「家の人はまだですか?」と学校の先生に、歯科医の先生が尋ねます。何か同意を得ないとできない手術のようです。
誰でもいいから助けて欲しいという心細さでいたとき、祖母が駆けつけてくれました。畑仕事をしていた祖母は、タクシーを呼んでそのままの泥のついた割烹着のままでかけつけてくれたのでした。その姿に憤る自分はいません。それよりか、なんだか、いつも当たり前に家にいる祖母が、傍にいてくれるのが嬉しくて嬉しくて、泣けてくるのです。
その後、医者の先生の話を聞いて、手術を数時間行いました。
手術のあと「もう大丈夫だから。」と祖母から言われた一言で、また泣けてきちゃいました。
人間って、なんでこんなにご都合主義な生き物なんでしょう。自分の心の状態ひとつで、相手を邪魔に思ったり、はたまた、相手を求めたり・・・。それならば、いつも気分がいい状態でいられればいいのだけれど、そういうことはまず無理。生きているってことは、気分が良かったり、悪かったりのジェットコースターなのですから。そう思うと、祖母は、ほとんど自分の気分や感情に左右されずに、たちふるまえる人間でした。
そんなことを考えて以来、気分や感情で人に接していないかチェックする自分を作るようにしています。まだまだ修行は道半ばですけれど・・・。
目の前で息を引きとりつつある祖母をみて、意外にも冷静に昔のことを思い返します。自分は、確実にこの人がいなかったら、今の自分はいなかっただろうなあ。
夜遅くまで学校に持っていく雑巾を縫ってくれたこと。さびしくならないようにと授業参観に顔を出してくれたこと。わたしから悪態をつかれても、のんびり構えて自分の世話をしてくれたこと。祖母との思い出は、主に中学時代のものが鮮明ですが、そこに住む祖母は、ひたすらにわたしを慈しむ優しい愛の塊でした。
人間は、「人と人との出会い」の中で育つとすると、家族も立派な「人との出会い」なのですね。
永遠の別れになってはじめて、愛の塊を知るなんて、わたしは、自分の愚かさが恥ずかしいのです。
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