2年B組の保護者の皆さんへ bS
校舎から見えるグランドの桜並木が満開です。満開になると、すぐに散ってしまうようなことを言う人がいますが、桜は少なくとも1週間はもちます。何かすぐに急いでしないと、損をしてしまうような脅迫概念にかられるのは、現代人の病気みたいなものかもしれません。先週から始まった2Bの生活も、さまざまな係りが決まり、ようやく軌道にのってきました。学級自治委員には、YくんとAさんが、投票で選ばれました。Y君の司会は、はつらつとしていて、気持ちよさを感じます。子ども達が選んだ理由がわかるような気がします。
理解することって・・・
専門委員の組織や教科係りを決めることは、クラスを運営する第1歩です。投票で決まった、学級自治委員のYくんとAさんは、なんとか立候補で決まることを目指します。時間ぎりぎりまで、「誰か立候補する人いませんか?」と2人が呼びかけます。それにあわせてですが、少しずつ専門委員が決まっていきました。しかし、どうしても、2つか3つの女子の分の委員会が決まりません。与えられた時間は、もうぎりぎりです。その時、「推薦で決めよう。」と誰かが提案しました。Aさんも断念して、推薦で決めることにしました。でも、なかなか推薦者の名を言うことができません。そこには、ただ、気まずい時が流れるのでした。
推薦をするということに、なんとなく抵抗を感じるのでしょう。自分が誰かを推薦することで、もしも恨みを買われたらという思いもあるのでしょう。中学生ですもの、微妙な心理状態になるのは当然です。
ただ、なんとなく希薄な人間関係だなあと感じずにはいられないのです。人間関係を円滑なものにするという力は、ある意味、人生を安心して伸び伸びと楽しむための、最大の生きる力であると思っているのですね。
「今日の学活は、トレーニングをします。」
とわたしが2Bの子ども達に発表しました。
「えー。やだー。」という、ネガテイブな声のお返し。
「みんなは、トレーニングというと、辛いとか苦しいということが頭に浮かぶでしょう。でも、これからやるのは、そういうものではありません。心のトレーニングですよ。」と言うと、少しは安心した顔になりました。
「でも、このトレーニングは、心をオープンにすることが目的です。いつも一緒の仲良しさんとじゃなく、あまり話をしたことのない人とのふれあい、普段はなんとなく嫌だなあって思っている人とふれあうことがトレーニングの内容です。」なんて言うと、またも表情が曇りがち。
「中学生の時代に抱える悩みのほとんどは、友人関係だとわたしは思います。これまで、接してきた多くの中学生がそうでした。友人関係ひとつで、想い出に残る素晴らしい中学時代になるか、将来振り返ることすら嫌だと思う中学時代になるかが決まってしまうのです。だから、この時間だけは、違う自分になったつもりで、これまでの心のとらわれを全て捨てて、わたしが言う人間関係作りトレーニングを行ってみてください。」
生徒によっては、ぱっと顔を上げてわたしをじっと見つめる人がいます。多分きっと、わたしが話した内容を体験的にかどうか、実感している子どもなのでしょう。やはり、女子が多いように感じますね。
まずは、最初のトレーニングのプログラムです・
「“ジャンケン集め“をしますよ。勝った人は負けた人からサインをもらうんです。2分間で、何人から集められるかな?よーい、はじめ!」
始めから積極的にジャンケン相手を探す生徒。同姓としか、ジャンケンが成立しない生徒。自分からは決してやろうとせずに、ただ相手が来るのを待っている生徒。全く相手と触れ合うことができない生徒。さまざまなタイプが目の前に、現れます。
次に、言葉を使わずジェスチャーだけで誕生した月日ごとに1列に並ぶもの、4人グループで、ひもをまわすゲームなど、子ども達同士の触れ合いのきっかけを、トレーニングといってもゲームを中心に提供していくんですね。少しずつではありますが、いろんな人と交わろうかなあという雰囲気がでてきましたよ。最後は、自分を他の人はどう見ているかというプログラムを行いました。
わたしは、数年前、ある中学校で生徒指導主事を担当していました。日々、生徒が起こしてくる問題行動が、確実にわたしのもとに集まってくるのですが、その行動の原因を探していくと、どの問題行動もある一つのことが根っこの部分でいっしょであることに気づいたんですね。
“人間関係のトラブル“がそれです。
突然キレて壁に穴を空けた子どもも、プチ家出をした女の生徒も、仲間はずしを強要した生徒も、ほとんど全ての原因が、人間関係のトラブルだったんですね。そして、大事なのは、そのトラブルを今の子ども達が、自分達の力で解決することができなくなっているということなんです。
でも、決して忘れていけないこともあります。それは、今の子ども達は、相手を理解しようと一生懸命だということです。ただ、理解しようと一生懸命になればなるほど、トラブルがおきちゃうんです。一体何故なんでしょう?私の答えは見つかりません。
授業の最後に、このトレーニングの感想を書いてもらいました。
Kさんは、“今日はじめて、このようなトレーニングをしました。「もっとやりたいな・・・」と思うほど楽しい時間でした。それから少しだけど、自分がどう思われているかわかって安心したところもありました。”と書きました。Tさんは、“なんか、みんな自分のことをよくみてくれたようでうれしかった。私はジャンケンが弱いのであまりサインをもらえなかったけど、たくさんの人とジャンケンをすることができたのでよかったです。”と。Eさんは“少し友達が増えたような気がする。”と答えます。
“まだまだみんなの心の中がよめない。”とは、Rくんの感想です。実に正直な感想です。そう、人間の心は複雑なんです。決してあなたの考えた通りに、相手は思っていないのかもしれません。ひょっとしたら、それが理解するってことなのかもしれないね。『理解』=『一致』じゃないんだね。なんだか、Rくんの感想が私の疑問の答えを導いてくれたようです。
理解は一致じゃないんです。一致させようとするから、苦しくなるんです。
このトレーニングは、日曜日の授業参観でも行います。
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