2年B組の保護者の皆さんへ 22
全国的に猛威をふるっているインフルエンザは、本校にもやってきました。先週は、特に2年生がピークで、クラスの1/3は、欠席という日が続きました。午後の学校早帰りも、2日ありました。人によっては、インフルエンザの型が違うと、何度でもインフルエンザになるんだそうです。今後とも、十分な健康管理に気をつけさせたいものです。そんな中、今年度最後の定期テストの範囲表が出されました。中学3年生は、私立高校の入試がすべて終了し、次は公立高校の推薦入試を迎えます。2年生にとっては、今年度の成果を問われるテストですが、3年生にとっては、3年間の学習の成果を問われるテストが続くのです。
償い
中学だったか、高校だったか忘れましたが、ラジオから聞こえてきた歌の中で、さだまさしが唄っていた『償い』という歌が今でも忘れられません。あの一瞬でしか聞いたことがないのですが、大変重い歌だったこと、自分の罪を一生懸命に償おうとした若者がいたこと、そしてそれが数年間経って、被害者の方から許しの手紙を頂いたこと、そんな内容でした。その『償い』という歌をもう一度聴いたみたいとは、心の中でずっと思っていました。でも、どうも、さだまさしさんは、その歌をほとんど歌っていないのですね。以後のベストアルバムにも、ありません。何か、ご本人も、そんな軽軽しく歌える歌ではないと思っているのでしょう。時に、歌は、人の心や考え方をも変えてしまう、ミサイルや銃以上の力を持つのです。“ペンは、剣よりも強し”と言った人がいましたが、“歌も、剣より強し”なのです。
昨年4月29日の、午前零時ごろ、東急田園都市線の車両の中で、当時19歳の少年2人と当時43歳の会社員の男性とが、体が当たったとか当たらなかったとかということで、トラブルになりました。少年2人は、自分達の感情を抑えることができなかったのでしょうか、三軒茶屋駅のホームに降りたところで、2人がかりで、その会社員の男性を殴り倒しました。通報により、少年2人は逮捕されましたが、男性は、瀕死の重体となり、5月4日にくも膜下出血のため命を落としてしまいます。
逮捕された2人の少年は、傷害致死罪という罪の疑いで、東京地方裁判所にて裁判が始まりました。
残念ながら、裁判の際に見せる少年2人の態度は、周囲の人をも驚かすような、傲慢な態度で、人ひとりの命を奪ったという反省の態度が感じられません。言葉では「すみません」と言っても、その表面的で心の伴っていない言葉であることは、誰が聞いてもすぐに感じ取れるのです。
裁判の判決で、この裁判を担当した山室 恵裁判長は、少年2人に対し求刑通り、傷害致死罪で懲役3年以上5年以下の不定期刑とする実刑判決を言い渡します。
判決後、裁判を閉廷しようとした山室裁判長の心に、まったく反省の色を見せない、少年2人に対し、何か引っかかることがあったのでしょう。こんな言葉を発したのです。「君達は、さだまさしの『償い』という歌を聴いたことがあるだろうか。」そして、うつむいたままの2人に、「この歌の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君らの反省の弁が、人の心を打たないかわかるだろう。」と少年達に投げかけたのです。
裁判において、裁判長がこのような言葉を発するのは異例なことです。まして、1芸能人の、歌について話すなんて。それでも、何か、この少年たちの冷たい、閉ざされた心を開きたいという、大人としての使命感に近い気持ちがあったのだと思います。
この裁判の出来事は、わたしに20年前近くに出会った、あの曲を思い出させました。わたしは、それ以来、何とかあの曲を、もう一度聴きたいと思い、インターネットなどを通して、ようやくCDを手に入れることができたのです。
そして先週の土曜日に、欠席者が多かったのですが、この裁判の出来事について、道徳の授業を行いました。何故、裁判長は、そのようなことを、被告である少年2人に言ったのか?
詩をかみ締めながら、多感な時期に生きる、みなさんに、そして多くの保護者の方に考えてもらいたいのですね。人間という生き物について。
作曲者より
『この歌のテーマは重たいが、もとは実話だ。知人が交通事故でご主人を亡くした。加害者は遠い町に住む男性だったが、すごく真面目な人だったらしく、彼女のもとへ賠償金を毎月少しずつだが律儀に郵送してくる。その手書きの文字をみる度に、亡きご主人を思い出して辛い思いをしていた。彼女はもう年老いており、茶道や華道の教授をしながら、ひとり生きることが出来るから、と、ある日その加害者に手紙を書いた。もう、お金は送ってくれなくて良いです、と。だが翌月もその翌月も、相手は送金を欠かさなかった。
これは実話だ。』
サンマーク出版『償い』より
作者が語るように、人間って本当に過ちを犯す動物だと思います。過ちや失敗を犯さないように教育すると、きっとその人の人生はこじんまりしたものになるでしょうし、だからといって、「自由でいい、好きなように生きろ」では、人と人との触れ合いの中で生まれる幸福に、一生出会うことはできないでしょう。人と人との間に生きてこそ、人間なのですから。
人間の本性は、過ちを起こしてしまったとき、失敗したとき、間違ったとき、逆境に立たされたときに、わかるのかもしれません。自分がピンチに立たされたときに、その場から逃げたくなる自分が現われます。人のせいにする自分がいます。そして、うそをつく自分・・・。でも、その一方で、自分の失敗という責任を正面から受け止めて、それに逃げずにまっすぐ立ち向かう自分もいるのです。すごい人、力がある人というのは、そんな自分を出せる人なのでしょう。
一度きりの人生です。過ちや失敗だってするでしょう。でも大切なことは、そのときに現れる自分こそが、本当の自分の姿だということなのです。
どんな偉人よりも、すごい人は、近くにいるのかもしれません。歴史に名を残すことが、すごい人なのではないのです。
無名の中にこそ、本当にすごい人はいます。
キリトリセン
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