2年B組の保護者の皆さんへ 19
文化祭では、本当に“心はひとつ、ハートは1!!”の掛け声通りに、素晴らしい合唱でした。「賞を獲ることを目標にするんじゃなくて、人々に感動を伝えることを目標にしよう。」とがんばった合唱でした。学年賞という賞よりも、何か大きな成し遂げた満足感が子どもたちに生まれたように思います。
その後、相次ぐ問題行動が続きました。カラオケについての約束を再び破ったこと。お菓子やパンを持ってきて、トイレ、教室などで隠れて食べていたこと。あんなに、素晴らしい合唱のあとだっただけに、もったいない気持ちでいっぱいです。それよりもまして、「ばれなかったらいいんだ。」という空気が、全体的に支配しているようで、今後も目が離せません。
問題行動を起こす火種は、どの子どもにもあると考えた方が、現代はよいでしょう。大切なのは、その火種に火をつけさせないようにすることです。不良行為が行われそうなところには、行かせない。危険な時間帯には、外出させない。友達同士の外泊は許さない。携帯電話の使い方を守らせる。などの、火種に火をつけさせないように、気を使うことが保護者にとって大切なことです。今は本当に、子どもを取り巻く社会情勢から、どんな子どもにも、火種は必ず持っていると、考えるべきでしょう。
「家の子に限って…。」は、時に、大爆発をもたらします。
星に語りかける子
先々週、久しぶりに、教え子の結婚式に出席しました。教え子は、新婦の方です。中学卒業して、社会人になってからも、年に1度程度は我が家に友人を伴って尋ねてくれる生徒でした。
この女生徒と出会ったのは、教師になって間もないときでした。中学2年生で担任をしました。4月に家庭訪問をすると、にっこり笑顔のお母さんとおばあちゃんが温かく出迎えてくれます。実は、この子のお父さんは、2歳か3歳のときに亡くなったのです。だから、おかあさんとおばあちゃんの女手だけで、育てている家庭でした。歳の離れたおにいさんも、よいお父さん役をしてくれていました。
「先生、この子の小学生の時の作文読んで。」とお母さんから差し出されたのは、一冊の文集でした。その中に、○○賞作品として、『星になったお父さん』という作文が掲載されていました。その子の作文です。小さい頃から、お母さんは、「学校で起こったこと、家で起こったことは、星にいるお父さんに報告しなさい。」と言ってきたんだそうです。だから、この子は、本当に星にお父さんがいると思って、毎晩、星に向かって、今日あった楽しいこと、嫌なことを報告してきたという文章でした。
「中学生になって、なかなか難しくなってきました。あの頃の素直さが懐かしいですね。」とお母さん。傍らのおばあちゃんもうなずくのです。
この子は、本当にまっすぐな生徒でした。目の前にひざまついている人を見ると、誰であろうと声をかけてくれるそんな生徒でした。
一方で、その学校には、多くの素直に指導が通らない生徒も存在しました。中には、両親の別居や離縁などの境遇に翻弄されている生徒もいました。こんなことを知るにつけて、「家庭が大変だからなあ。」と半ば同情的であった私です。だけど、父親がいないという境遇の女生徒と出会ってから、どうしてこの子は、こんなにまっすぐに成長していっているのか、考えさせられました。
本当に不幸なことって、父がいない、母がいないというような、そんな問題じゃなくて、周囲にいる大人の接し方にあるのではないだろうかと…。
昨日は、久しぶりに天童の山形県教育研究センターに行ってきました。ちょっとした講師を頼まれたのですが、それは、その講座の責任者が私と同期の気心が知れたT先生だからです。T先生から頼まれたのだから断ることもできずに、行きました。ちょっとした友情ってやつですね。
講師としての仕事も終わり、T先生(詳しくはT指導主事)の部屋で、一服します。
「学校が変わってきたと聞くとショックだなあ。」とT先生。このセンターに指導主事としてきて、T先生は、4年になるのです。現場から離れて4年なので、時々私のような現場の先生から、今の学校の状況を聞きたがるのです。だから、現代の学校の様子は、とっても詳しいのです。
「俺たちが採用された年は、生徒は大変だったけど、単純で、わかりやすかったけどなあ。」と再びT先生。
ちょっとした教育論になりました。ここ10数年で、生徒が変わった点は、T先生もわたしも同じ考えです。私たちが採用された頃、荒れた生徒というのは、比較的家庭の経済状況が悪い生徒でした。でも、今は違います。問題行動を起こす生徒の多くは、家庭は経済が不安定などころか、中級、もしくわ高所得な家庭の子どもが多くなってきました。何の不満もなく育っている子どもたちです。それでも、男子生徒に関しては、精神的にそんなに大きな変化は感じません。それよりもここ10数年で大きく変わったのは、女子生徒です。女子生徒の間に正義がなくなってきたということです。いや、正しいことを通せなくなってきたということでしょうか。ここ数年、ニュースが伝える大きな少年犯罪に、女子生徒関連が多くなってきたのもその一例です。女子生徒の変化は、日本という国の社会情勢や家庭環境、就職難、さらには男性化など、複合的で根は深いのです。複合的というのは、一つの箱の中に、さまざまな形のブロックが入っている状態のようなイメージです、一つのブロックを取り出しても、それに接しているブロックが崩れてしまう。一つのことが解決されても、全体的な解決にはなっていないのです。非常に難しい問題です。
「女子生徒の未来が暗いなあ。」とT先生。
男女区別無く考えるべきなのでしょうが、女子生徒の大きな変化はどこに大きな原因があるのでしょうか。わたしとT先生の疑問は、今回も迷宮入りでした。
結婚式の話にもどります。キャンドルサービスのあと、新婦からお母さんにメッセージを読みます。“待ってました”とどこかのお兄ちゃんが野次を飛ばします。
「お母さん。今まで本当にありがとう。おばあちゃん。体に気をつけて長生きしてね。お兄ちゃん、お父さんの代わりになって、いつもわたしを守ってくれましたね。ありがとう。わたしが、看護婦を目指して寮で過ごしていたとき、風邪で倒れたと聞くと、お母さんとお兄ちゃんが、いつもその日のうちに、遠くから車でやってきてくれました。そしてわたしに手料理を食べさせてくれましたね。わたしは、こんな家族の中で生活していました。…」会場は、みんな涙なくては、聞けません。もう野次なんて飛ぶはずありません。本人も涙や鼻水で、化粧が落ちそうなのに、最後まで自分の口でしゃべろうとします。
「最後に、お父さん。どこかで見ていますか?私は、小さい頃から、お母さんにお父さんは星にいるから、何でも話しなさいといわれて、毎晩話してきました。お父さん、支えになってくれてありがとう。」
ふと、私は壇上にいる、新婦のお母さんに目をやりました。こんなメッセージを読まれたら、もう大変だろうなあと。
ところが、お母さんは、にっこり笑顔で、涙ひとつこぼしていませんでした。
きっと、この子を育て上げるのに、流した涙は、こんなもんじゃないのでしょう。
それを思ったら、わたしは、自分の涙の軽さに恥じるのです。
キリトリセン
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