2年B組の保護者の皆さんへ bP2
先週は学校に行くと、男子も女子もワールドカップの話題で持ちきりでした。本当に日本国中、サッカー一色です。残念ながら、日本が敗退してしまった次の日、誰の字でしょうか、朝黒板に、「日本チーム今までありがとう」と書いてありました。悔しさ半分、でもここまで勝ってきた日本チームに喜びも半分感じていたのでしょう。
昨日は、壮行式。2年生でも試合に出られる人が多いです。お弁当の後、ユニフォームに着替える喜びはひとしおです。バレー部も真新しいユニフォームのようです。どの部もちょっとテレながらの姿に、来年の今日はもっと堂々と着れるようになることを祈ります。
すこしずつの不満足
席替えをしました。生徒達が、席替えをしたいという声をあげたからです。
「あまり席替えは好きではないんです。」と生徒の前で言うと、
「なんで?」と答えます。
「これまで、席替えでいい思い出がないんだね。必ず最後に、“前の席の方がよかった”とか、“おもしろくね”とかいう人がでてしまうでしょう。」と言いました。真剣に聞いている人は、思い当たる節があるらしく、軽くうなずきます。
「だいたい、30何人もいて、みんなが満足の席替えなんて不可能なんですね。一部の人たちにとって、大満足の席替えが出来たとすると、それと同じくらいの人数の人たちは、不満足の気持ちをもってしまうんです。これって、集団力学から当然なんです。それでも、席替えをしたい人は?」
ちょっと意地悪く聞いてみます。
手を挙げなかった人は、5.6人いました。
「ほとんどの人が席替えをしたいみたいですね。でも、みんながみんな席替えをしたいということではないということを覚えておいてくださいね。大切なお願いはね、一部の人だけが満足をする席替えじゃなく、みんなが少しずつ不満足を持つ席替えにして欲しいということです。実はね、みんな少しずつ不満足を持った方が、みんな幸せになれるんですよ。」
「あ、それ○○先生も言っていた!」とHくん。
席の決め方も、生徒に任せて席替えが始まりました。
わたしの中学校の近所には、S市聾学校という学校があります。聾学校とは、耳が聞こえにくい生徒が入る学校です。中学生の頃、そこの学校と交流をしていました。わたしの学校の文化祭の時、S市聾学校の生徒がきて、ハーモニカやピアニカ、カスタネットなどで曲を演奏してくれました。どんな曲だったかは忘れたんですが、耳が聞こえにくいとは思えない、息があった演奏に、当時のわたしは、大感激したことを覚えています。本当に耳が聞こえないなんてうそじゃないかって・・・
この想い出は、大人になっても全然色あせずに残りました。数年前、どうしてもS市聾学校に行って見たくて、訪問したのです。
教室に入ると、教室中に赤い線が張られています。少しでも補聴器の聞こえがよくなるようにアンテナが張られているんです。廊下や教室のあちらこちらには、電池の量をチェックするチェッカーが置いてあります。ここの生徒にとって、補聴器は音のある世界と自分を結ぶ唯一の手段なのです。だから、電池がなくなるということは命の危険をも伴います。
そこは、わたしの全く知らない世界でした。授業は、一般の中学生と同様に、国語、算数、理科、社会、・・・の教科以外に、相手の口の形を見て、何を言っているのかわかるようになる授業もあります。この学校は、幼稚部から中学部までのわずかな子ども達が、より添って学んでいました。助けあい、協力しながら・・・。
朝と夕は、みんなバスで登下校します。
校長先生から、バスの中で聾学校の生徒達が悪戦苦闘していることを聞きました。行き先を聞いても、相手に伝わらなかったり、無視されてしまう日常。歩道をあるいていても、自転車に引かれそうになり、怒鳴られる日常。
それでも、幼稚部から中学部までの生徒達は、元気に登校してくるんだそうです。冷たい社会から、このあったかい学校という社会に希望をもって登校してくるんですね。
ひとり一人、不自由さを持っています。でもその不自由さがあるからこそ協力が生まれ、助け合えるのですね。
この学校のことは、絵本にもなっています。在籍している14人の子ども達が、かわいい動物になって、温かく、ちょっぴり切ない物語となりました。『14の心をきいて』(土田義晴:作 PHP出版)という本です。教室に置いて置きましたが、何人の生徒が読んでくれたでしょうか?本の中で聾学校の生徒達が、自分達の心の声を聞いてと訴えているんですね。今の日本社会は、自分ばかり良ければという風潮ばかりで、優しさがなくなってしまったように感じます。
席替えのあと、自分の思い通りになって、大満足な顔とともに、やはり不満足そうな顔がありました。みんなが不満足を背負い込むのはなかなか難しいみたいです。
一般的な中学校では、班の仕事も、日直の仕事も、掃除の活動も、無関心を装ったり、一部の人だけの活動になっている姿が多く見られます。
何の不自由も無いのが当然という中学生と、不自由があるのが当然という中学生。
健康なわたし達は、何か大切なことを失っているのかもしれません。
“耳”“十”“四”“心”という字を合わせてできる漢字があります。
十四の心に耳を澄ますしてと訴えたあの絵本は、わたし達に耳ではなく、心で“聴く”大切さを教えているようです。
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