4.天井の底と夜の穴

 いくつかの断片を渡り、イミテーションを退けながらひずみを攻略していたバッツがひとり辿り着いたのは、崩壊した神殿の跡地だった。
(カオス神殿か)
 胸中でつぶやき、辺りを見回す。今回は屋上に飛ばされたらしい。禍々しい雰囲気の空の下、崩壊した壁や柱の一部が地面に穴をあけ、転がっている。
 イミテーションが出てくるかもしれないからと、慎重に中央まで歩みを進めたバッツの耳に、何かがぶつかるような音がかすかに届いた。
(誰かいるのか?)
 ジタンかスコールだろうか。先ほどまで一緒にいたのに気が付いたら見失ってしまっていた仲間の顔が思い浮かぶ。あるいは、今朝別れたクラウドかティーダ。ともあれ、戦う音が聞こえるということは、仲間の誰かがいるはずだ。
(誰だ? 下……?)
 バッツが音の正体を探ろうと無意識に下を見たとき、大音声と共に体が傾いた。
「いっ!?」
 思わず出た声とともに、足が空中に浮いた。見開いた目に映ったのは、宙を舞う大量の瓦礫。それがさっきまで地面だったものだと思い至ってから、バッツはようやく足場が崩れたことを悟り――。
 崩壊した床の隙間から見えた赤絨毯の細さに、ぎくりとした。
(やばい)
 高い。そう思ったが最後だった。
「っ!!」
 体が硬直する。空気がゆっくりと全身を舐める。全身から一気に熱が抜けたような寒さが襲いくる。轟々と音を立てて地面に降り注ぐ瓦礫とともに、重力に絡め取られる。底知れぬ穴に落ちていくように思える。そんなわけない。あの地面はすぐそこだ。受け身を取らなければ大怪我だ。分かっているのに体が動かない。恐怖が喉に張り付いて声も出ない。
 たすけて、だれか、お――。
「バッツ!」
 唐突に。思考に、声が割り込んだ。次いで、腰をなにか強い力に掴まれる。飛んでくる瓦礫じゃない。温かい。憶えている。クラウド。呼びたかったけれど、声が出ない。
「バッツ」
 大丈夫かと続く優しい声に、離れようとするのを引き留めようとする体に、バッツは脇目も振らずに強くしがみついた。
 むき出しの肩に顔をうずめると、涙があふれて止まらなくなった。

 羽交い絞めにするかのごとくしがみついてくるバッツの体を片手で支えながら、クラウドは瓦礫を避けて地面へと降り立った。右手は先ほどまで振るっていた剣を握りしめたままだけれど、バッツの頭が肩に乗っているので、動きを封じられたも同然だった。クラウドが先ほど天上へと吹き飛ばしたイミテーションは落ちてこない。頭上から小さく剣が打ち合わされる音が聞こえるから、おそらくティーダがそのまま相手をしてくれているのだろう。今残っているのはその一体だけだから、しばらくこのままでも大丈夫だろうか。
 階段の中腹という足が取られやすい位置に降りてしまったので、この位置では流石に狙われたときにひとたまりもないと、クラウドはバッツに声をかける。
「移動したい。動けるか」
「ご、ごごごごめん、もうちょっと、ちょっとだけ、待って。むりなら引きずっていいから」
 短く問えば、クラウドの背に回っている腕の力が少し強くなった。震えているのは声だけではないことに今更ながらに気が付いて、クラウドはもう一度彼を支える腕の力を強くする。
 抱き合うのは嫌いじゃない、むしろ好ましいと思っているけれど、今回は事情が事情なので喜ぶことはできない。
 やはり何かあると困るので、クラウドは近くの壁まで動くことにした。バスターソードをしまって歩く。バッツを引きずる形になったが、彼は宣言したとおり文句ひとつ言わず、なすがままだ。
「クラウド!」
 バランスを崩さないように目的の場所まで歩き、もつれるように、しかしバッツの頭や腕を打ち付けないように座り込むと、ちょうどいいタイミングで頭上から自分の名前が落ちてきた。顔を上げれば、天井の端からこちらを覗き込んでいるティーダの姿が見える。イミテーションは倒したようだ。
「オレ、上から見張ってるッス! なんかあったら呼んで!」
「頼む!」
 ティーダがひらひらと手を振って、そしてその手を引っ込めた。途端に周囲が静かになる。寒気さえ感じるくらいだ。いや、寒いのは多分、この腕の中に収まった存在が、いまだに震えているせいだ。どんな時も動揺したり不安がったりしないバッツが、ここまでなりふり構わなくなるのはとても珍しい。
 自分の温度がうつるといいと祈りながら、背中を軽く撫でる。ゆっくりと呼吸を合わせる。無駄にいい聴力が、どくどくと全速力で駆け回るバッツの血液の音を聞く。普段バッツの鼓動がこれほどの速さになることはあまりない。胸が締め付けられる心地がした。
 深呼吸しながら彼の背中を撫で続けていたら、不意にずっとクラウドの背に回っていたバッツの腕が緩んだ。ようやく気持ちが落ち着いてきたようだ。離れていったバッツの腕が肩にかかったので、クラウドも支えていた腕の力を緩める。
 バッツの体が少しだけ動いた。顔を覗き込まれ、至近距離で目があう。目元が、赤くなっていた。
「わるい。助かったよ。ありがとな」
 バッツの表情が崩れる。気の抜けたような笑顔を見せようとしているのだろうが、それが今にもまた泣きだしそうな顔に見えた。――バッツはそれに気づいてほしくないだろうからと、気づかないふりをした。
「いやあ、いきなり天井割れてびっくりした」
「……すまない。上にいるとは思わなかった」
「気にすんなって、戦闘中だったんだろ。戦ってる音は聞こえてたから、誰かいるなあとは思っていたんだ」
「聞こえていたのなら気を抜くな。戦闘中なら高所嫌いはおさまるんだろう?」
「や、そうなんだけどさ、まさか下から砕けるとは思わなかったから、油断したっていうか」
「おまえの出す槍でも砕けるだろう」
「そうだけど! うう、ごめんなさい油断してたおれが悪いです!」
「そうか。しかし、俺たちが下、おまえが上に出てきたってことは、この場所は入口が複数あるのかもしれないな」
 あとで入ってきた場所を教えてくれと頼むと、バッツは任せろと頷いた。その顔色はだいぶ回復してきていて、これくらいなら、もうそろそろ動けるかと思う。
 こちらの意志が伝わったのか、バッツがいきなり立ち上がった。二、三歩距離を取り、くるりと舞うようにクラウドの方へ振り向いて、そしてそのまま背を向けた。一瞬だけ見えたその双眸が、酷く揺らいだままのようだと思ったときには、すでにクラウドは立ち上がるのを止めていた。
「昔さあ、……おれがまだこーんくらいのガキの頃」
 そう言ってバッツが腿のあたりで手を振った。さすがにそこまで小さい頃はないだろうそんな小さい頃なら記憶もないだろうと思ったけれど、バッツが言いたいことに水を差すのでクラウドは何も言わなかった。
 案の定、バッツはそのまま訥々と話し続ける。
「ともだちと一緒にかくれんぼしててさ、おれは絶対に誰にも見つからないところ、と思って村で一番高い家の屋根に上った。案の定誰にも見つかんなくて、最初は有頂天になってたんだけど、そのうちだんだん日が暮れて暗くなってきても、誰も見つけてくれなくてさ」
 クラウドから逸らされた目線は、神殿の壁にかかった趣味の悪い絵画に向けられている。けれど、どこか遠くを見ているような目に、きっとそれは映っていない。
「日が完全に沈んで周りがどんどん暗くなって、そのときになって突然凄い不安になった。で、帰らなくちゃと思った瞬間足を滑らせちまってさ。暗かったから。転がり落ちる寸前で運よく屋根の縁にぶらさがることができたんだけど、その時思わず下見ちゃったんだよな。凄い真っ黒で底がないように見えて――手を離したら飲み込まれると思った」
 そこでバッツは口を噤み、目を閉じた。風もないのに彼のマントがはらはらと揺れている。震えているのだろうか。そのまぶたの裏になにを見ているのだろう。
 あたりを覆った沈黙をはらうように、けれど慎重にクラウドは声をこぼした。
「……それで?」
「ん? それだけ。実はそのあとのこと、よく覚えてないんだよな」
 気が付いたら自分の家のベッドで寝ててさ、とクラウドの方へ向き直ったバッツがへらりと笑った。それ以上言葉はなかったから、本当に終わりのようだった。
 クラウドは長く息を吐いて、知らぬ間に緊張していた体から力を抜いた。それに気づいたのか、バッツがもう一度近づいてきて、
「ありがとな。ちょっとすっきりした」
 そう言って静かに笑うものだから、クラウドもゆっくりと目を細めた。
「気にするな」
「……うん、やっぱり好きだなあ」
 言いながらクラウドの頭に伸びてきた手が、いきなりぴたりと動きを止めた。そのまま彼はついと目線をクラウドから逸らし、上を向いた。
 突然の動きにクラウドも立ち上がりバッツに倣う。すると、大穴があいた天井のふちから、こちらを覗くさらりとした金髪と大きな緑青の瞳が見えた。
「ジタン?」
 声を上げると、ジタンの目が分かりやすく「しまった」と語る。しかし次の瞬間にはそんなことをまるで考えなかったかのようにその身を乗り出し、手を振ってきた。
「クラウド! バッツ! おつかれさん!」
「ジタン! スコールも一緒か? っていうか、おれを置いてどこ行ってたんだよ!」
 バッツが声を荒げると、ジタンが「バッツ悪い!」と眼前で手を合わせた。その横から、スコールとティーダも姿を見せる。
「吹っ飛ばされたスコール助けようとしたら一緒にデジョンに落ちちまって」
「え!? 二人とも大丈夫だったのか?」
「……問題ない」
「そうか。じゃあ、ここで合流できて助かったな!」
「クラウド! 調べてたら次の断片につながるっぽいところがあったんスよ! 悪いんスけどこっちにきてくれるッスか?」
「わかった」
 ティーダの言葉にうなずいた後、さすがに体が少し硬くなってしまっていたので、軽くほぐすように動かした。隣でバッツが同じように準備体操をしていたので、声をかける。
「抱えてやろうか?」
 そう声をかけたクラウドにはいろいろと思惑があったのだけれど、それを知ってか知らずか、バッツは首を横に振った。
「下を見なければ平気だ」
「そうか。……残念だな」
「え?」
 囁いた言葉をうまく聞き取れなかったのか、バッツが目を大きく見開いた。それを見たクラウドは、彼が真意を問うてくる前に登ってしまおうと、さっさと背を向けて駆けだした。

5.今日はおやすみ
2019-04-30
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