3.バッツ、カエルになる。
「たっ、大変だあ!」
テントを張って火を熾し、保存食だけじゃなんだからスープくらいは作るかと湯を沸かし始めたジタンの元に、息せき切ってティーダが戻ってきた。彼はひずみの中にいるはずなのにまるで外にいるような風景だったこの断片が珍しかったらしく、ちょっと探検してくると言ってバッツと出かけたはずだ。けれど、一緒にいるはずのもう一人の姿が見えない。
「どうしたティーダ? バッツは?」
「これ!」
ティーダは探検中にはずしたのであろう、器のように持っていた肩当てをずずいっと差し出してきた。なんだよ、と思いながら中を覗き込み――動きが止まった。
肩当ての中に、一匹の青いカエルがいた。
なんでカエル? 夕飯に使えってか? あいつ(元の世界の仲間であるク族のコック)なら嬉々として調理する……いや、しないかもしれない生のまま丸飲みかもしれないけど、ってああいやそういうことじゃない!
「いきなりカエルなんか出してきておまえ、どうしろっていうんだよ?」
「だから! これがバッツ!」
「カエルが?」
「カエルが!」
胡乱な目つきでティーダを見るが、ティーダは至って真面目な、そしてとても焦った顔のままである。
「……まじで?」
思わずカエルに問いかけると、それまで大人しくしていたそいつが、つぶらな目をジタンとぴったりと合わせてけろりと鳴いた。
二転三転するティーダの話を簡潔にまとめると、バッツは探検の途中で魔方陣の罠にかかってカエルになった、それだけのことだった。魔方陣というからには魔法なんだろう。ということは状態異常の類か。
「……状態異常ならエスナで治るんじゃないか?」
「そうか白魔法――ってバッツ!!」
見回りから戻ってきたスコールの提案に相槌を打ってすぐに、大声の突っ込みが出た。そうだよ、魔法の練習がしたいというフリオニールのために魔法が使える仲間はほとんどが別行動で、今こっちにいる仲間で唯一使えるのはカエルになってしまったバッツだけだ。
ティーダとスコールも、ジタンに叫びにその事実を即座に把握したようだった。
「一応聞くけど、バッツ、白魔法唱えられるッスか?」
期待していない声で聞いたティーダに、青いカエルはふるふると頭を横に振った。どうやらこちらの言葉はきちんとわかるらしい。
「道具は?」
ジタンは自分が管理することになっていた道具袋を漁るが、そんな都合よく治療できるものなんてない。モーグリだってあまりひずみの中まで行商には来ないから、今のタイミングで運よく現れるという幸運もない。
カエル、カエルなぁ、と思案したジタンの脳みそが、とある記憶を引きずり出した。
「そうだ、オレの世界でカエルになっちまった大公がいたんだけどさ」
「おっ、バッツと同じ症状! その人は元に戻ったんスよね? どうやって?」
「その大公には奥さんがいたんだけどさ、彼女がキスして元通りってな。御伽話のハッピーエンドみたいだろ」
「それならクラウドの出番じゃないッスか? ――って、クラウド?」
ティーダが嬉々としてクラウドに問いかけ、しかし、すぐに首をかしげた。そういえば、クラウドはスコールと一緒に見回りから戻ってきてからこっち、すっかり黙ったままだった。なにかあるのかとジタンも顔を向ければ、クラウドは元々白い肌をさらに青ざめさせていた。まるで絶望を贈られたかのように表情を失くしたクラウドは、それでもその目はカエルバッツから離せないようだ。
クラウドの状態をわかっているのかいないのか、いまだティーダの肩当ての中を居場所としていたバッツは、彼と視線を合わせてけろけろと喉を震わせている。
「クラウド、もしかしてカエル苦手ッスか」
質問というよりは確信をもってティーダが問いかけると、クラウドの体がびくりと大げさなほどに震えた。視線がのろのろとバッツから外れる。
「……すまない」
「いや、謝ることじゃないだろ」
嫌いなものは誰にだってある。そこのバッツは高いところは苦手だと公言してはばからないし。――って思考が逸れそうだ。ジタンは頭を振って目下の課題に意識を戻す。
「あー、クラウドはなんか知ってるか?」
「さっきのジタンの話ではないが、俺の世界ではカエルを治す『乙女のキッス』というアイテムがあった」
「たしかにまんまッスね、それ」
クラウドがもう一度道具袋を改めたが、カエルが治ると言うその道具はなかったようだった。
「あとは、トードだな。魔法で、確かカエル状態でも使えるはずだ」
「バッツ、使えるか?」
スコールの問いに、バッツは頭を横に振った。
「使えない、か」
「でもバッツ、ジョブマスター、っていうやつなんスよね? それだったら使えそうッスけど」
「……もしかして、使えるかどうか覚えていないのか?」
カエルが、今度は頭を縦に振る。
「思い出せ! 今!」
ジタンの剣幕に、カエルバッツは目を閉じ、右前足をあごっぽい位置に当てて、器用にも考えるポーズをした。が、すぐにふるふると顔を横に振る。
「あー、じゃあ、バッツはなにかいい案ないッスか?」
またしても頭が横に振られた。そして、振り過ぎて目を回したのか、心なしかさらに青くなったカエルが肩当ての中でぐったりと伸びた。
「駄目だこりゃ。どうするかなー……あ」
カエルカエルと考えていたからか思い出した話に、思わず声が出た。そんなジタンに期待をこめた視線が集まる。ああ、いや、これ喋っていいのかな、と考えながらもジタンは居住まいを正した。
「劇団の公演内容考えてる時に読んだ童話を思い出したんだ。魔法でカエルに変えられた王子を――壁に叩きつけたら魔法がとけた、って話で」
聞いた瞬間バッツが跳ね起き、力の限りといった様子で首を振る。焦っていると一目瞭然な様子に、ジタンは耐えきれずに笑い声を漏らした。
「っはは、まぁいくらなんでも叩きつけては治らねーだろ。潰れて終わりじゃ洒落にならねーぜ?」
「……一度きっちり体に覚えさせるためにも、叩きつけた方がいいんじゃないか」
「うーわー、スコール過激派ッスね」
「ええと、そうだな。キスするか叩きつけるかはクラウドに決めてもらうとして」
このまま話していてもこれ以上はどうにもならないだろ、とジタンは前置いて頬をかく。
「とりあえず、食事をとったらバッツとクラウドはテントで休めよ。見張りはオレたち三人でやるから。で、明日になってもバッツが元に戻ってなかったらいったん脱出。向こうの奴らと合流しようぜ」
な、と念を押せばスコールとティーダは揃って頷いた。勝手に決めたが異論はないようだ。頼りになる仲間にジタンはほっと息をついた。
どこか沈んだ空気のなかほぼ無言で食事をし、「片付けはいいからクラウドたちはテントに行け」と追い出しにかかったが、彼は再びカエルと目を合わせた後、睨まれたように身を竦めた。普通逆だろう、と苦笑する。まあクラウドは蛇じゃないけど。
ティーダの肩当て越しでもバッツに触れるのをためらう様子に、スコールがため息をつく。
「自分で動いたほうがいいんじゃないか、バッツ」
それもそうだと思ったのだろう、バッツが肩当てからひらりと躍り出て、なぜか手慣れている跳躍でテントへと向かっていった。なかなかシュールなその後ろ姿を呆然とジタンたちが見送っていると、クラウドがぎこちない動きで立ち上がった。
「クラウド、何かあったら大声出すッス。すぐ行くから」
頷いたクラウドは決死兵のような表情だった。彼はどこかおぼつかない足取りでテントに向かっていくと、入口の幕を上げて、幕が動かせなくて中に入れていなかったバッツを入れてやり、自身もテントの中へと姿を消した。
「大丈夫、ッスかね?」
「まあ、声ぐらい出せるだろ」
「本当に恐ろしいときは声などでないと言うが」
「ちょ、まずくないッスか」
「クラウドなら切り伏せるくらいするだろう」
「そうだな、バッツには悪いが自業自得ってことだな」
「……けど、大事なものが自分の嫌いなものに変わったらオレならどうするだろうって思うと、なんか申し訳ないッス」
「おまえが気にすることないって。なんてったってバッツだし」
「…………」
誰ともなく、視線が静まり返ったテントに集まる。けれど、中で何があったのか、一晩中外にいたスコールたちは知らない。
翌朝。
「おはよう!」
すっかり元の姿に戻ったバッツが、晴れやかな笑顔でテントから出てきた。この上なく上機嫌な彼の声に、寝不足の三人は無言でそれぞれの武器を構えた。煌めく刀身に、バッツは死の危険を感じたらしい(後日、正直あの時が一番死ぬかと思った、と言っていた)。
「悪かったって! まさかあんなところにカエルになる罠があるなんて思わなかったんだよ!」
そう言って土下座せんばかりの勢いで謝っていたバッツの後ろから、どこかげんなりとした様子のクラウドが現れた。おはようと力なく告げる彼に、三人はようやく得物をしまう。
「で、結局どうしたら治ったんスか?」
「え? ――秘密だ!」
もう一度満面の笑みを浮かべ直しただけで何も語らないバッツと、何を思い出したのか顔色を赤や青にめまぐるしく変えるクラウドに、三人はそれ以上の追及を避けたのだった。