悩みや疾患の改善と治癒には、いろいろな観点からの対応が必要になるときがあります。心理的な悩みの場合でも、心身の両面からの対処について考えたほうが良いこともあります。思いのほかに心身の相関は深いものです。身体の調子を整えると、心理状態に良い影響がでることもあります。また、身体の症状でも心理面にも慎重に注意を向け、なんらかの適切な手立てを講じると症状が改善することがあります。不調なときは、基本としては心地よい休息を目指すことが大切です。しかし、この心地よさを得ることが容易ではない事がままあります。さまざまな工夫をすることも、じっくり待つことも、この一見矛盾することの両方が必要となることも多いです。ゆっくりあせらず、しかし着実に滞ることなくという心構えがよいようです。 自然にしみこむような効果の出る心理療法も、文明の産物ともいえるお薬(漢方薬も含め)もともに有用です。
 知識ではなくて、経験に基づいた知恵が必要で大切です。単に何かを「知る」ということ以上の心身ともの体験が肝心です。その体験は一般にはとてもつらいものです。
 心理的につらい状況は自分の今までの価値観が揺らいでいる過渡期であることが多いですが、より高まった自分にふさわしい新しい価値観を模索すべきときです。今はつらくても、いつか興味の持てるものが見つかるなどといった、良い時期がやってきます。それを希望してじっと待ったり、一歩一歩進むよう心がけるなど焦らないことが良いようです。そうしていると自分を賭けることのできる何かが見い出せるようになったりします。
 また、人間の心と係わるときには、誰がどんな態度でかかわったかということが、決定的な意味をもちます。
 常識的には、行き詰まりの膠着状態でどうしようもないと思えるときには、もう一度全体の状況を“ボーっと”俯瞰的に見渡すようにするようなイメージを持つと、解決の糸口が思い浮かんでくることがあります。

個人の自己治癒力に信頼をおいて、それを援助することが大切です。その治癒力の働き方は人それぞれです。その働き具合に個性がでます。
 
 
人間の心の中にはたくさんの矛盾が存在しており、合理的でないように働くこともあります。そのことはマイナス面だけではなく、心が合理的でない所もあるがゆえに、短所が長所に変わるようなことも起こりえて、一見したところで短所と思えることにもプラスの面が期待できます。ユーモアによる上質な笑いなどのように、不快な感情を和らげるものは、心の中の矛盾の緩和や解消に相当役立ってくれます。
 また、ここぞという時には、あれこれと迷わずに、ある事に賭けてみるといったような潔い態度も必要となることがあります。一方、自分の潜在能力や自然のリズムの回復などを信じて、ゆったり待つことも基本的には大切です。緩急自在ということが必要なときがあり、その見極めは困難なことですが、その見極めをしようとする努力をなすことが必要とされます。苦境の時でも信じて待つことができると、予想ができなかったような解決がやってくるものです。どうしてかとか、なぜかと原因を探そうと悩むより、今の状態は将来の何のためにかという視点で考えることがよいこともよくあります。不安も安全に生きるための大切な本能という意義もあります。
基本的には、人はひとりでは生きてはいけません。人と人との係わりや交わり、共感の中で個性が磨かれ活力が出て癒されます。現代は環境や生活様式などの変化が急速すぎるようで、本当の深い意味での関係性が失われやすく、その回復が必要となることがよくみられます。自立のつもりで孤立になっていることもあります。対人関係などでのさまざまなやり取りは面倒で疲れる事かもしれませんが、その面倒な状況にいつしか深い意味を見出せることが多いものです。
軽度の症状は、現在では医学的な対処で比較的早期に軽快にむかいます。しかし簡単に状態が変化しないこともあります。つらい症状も将来のために休むようにとのサインかもしれません。症状が一進一退となると、悪循環におちいっていることとなり、発想の転換が必要です。抑うつ症などの辛いことという経験は、苦しんでこそ、人として高まるというように理解することもできます。いろいろな出来事を貴重な体験に変える。その出来事のもたらす試練について、その克服で得られる新たな能力を身につけることが可能であるという視点が重要であることもあります。事件的な嫌なことを出来事に変え、さらにそれを身についた貴重な体験に変えるような視点が必要であるかもしれません。その体験の意味をとらえようとするのが良いようですが、真実の意味をとらえることはなかなか困難です。体験の意味はかなり後になって理解できることがあります。深く沈んで、耐えて希望して待つという事が必要なときが現代では多いようです。
耐え切れないつらさは、誰かにそれを援助してもらうことがほとんどの場合に必要となります。
 
いろいろな出来事で強い感情にとらわれることがありますが、感情におぼれないようにしなくてはてはいけません。そうは言っても感情におぼれないということは困難なことです。そういうときでも何らかの援助により、その出来事による感情が、深い感動を伴った貴重な体験に変化することが期待できます。強い情動に疲れたときには、その疲れに意味があることも多いようです。休養か、あるいは頑張っての行動かはそのときそのときにより一概には決められず、いろいろと迷うこともありますが、その迷いにも意味があることを後に気づくことがあります。感動的な体験として日本人の私たちにとっては悲しみの深い意味を知ることが必要な時もあります。また、日本人は生活スタイルが西洋化しているにもかかわらずまだ、西洋的な主張を通す生き方より、つい日本的に全体のバランスを重んじることが多いということも気にとめておくべきです。日本も昔に比べ個人主義となり、はるかに自由度が増しましたが、そのぶん責任も多くなっていると自覚することが必要です。
 
少し状態がよくなったり、何か良い兆しがあっても、その後また別の良いことが続いてあるということはまずありません。そんなときに調子には波がありながら改善するものだと納得できたりすると、思わぬ解決がやってくるものです。一見つまらなさそうに思えることを根気よく続けると、心理的なよい展開に到るっていることに、後になってふと気づくこともあります。循環的にめぐりめぐって螺旋状に進展が生じることが多いようです。
長所を伸ばして、短所を吟味するということは当たり前の視点ですが、なにごとにも良い面と悪い面の二面性があるようです。不安を感じやすい性向は、悪くいえば臆病、良くいえば慎重ということです。一見、短所で悪く見えることに良い面がないかをよく観察することが大切です。
 
 
つらい状態や不測の事態が起こったときには、一呼吸おき、じっくり待って静かに状況の改善を希望するということがよい場合が多いものです。希望を持つことができればよいですが、希望をしっかりと持つこと、それは実はなかなか困難なことです。そういうときに誰か寄り添ってくれる人がいることがほとんどの場合に必要です。 ゆったりとしかし着実にやっていこうという俯瞰的な見方を持つことも大切です。もつれた糸をゆっくりほぐすようにという態度が良いものです。
先入見を捨てることも大切です。過去や現在のつらい状況の意味をいつかは納得ができるようになります。思いもよらない第三の道が開けることもあります。偶然のように見えるものに必然性が隠れていることも多いです。後で出来事の必然性を感じることが多分にあります。
 
困ったときには立ち止まり全体を見渡すようにすることも大事です。どんな全体像があるかを慎重に観察します。こまやかに部分を点検することも、全体を俯瞰することも、両方が大切です。出来事の真の深い意味を見い出すようにすることも重要です。ただし、それはきわめて困難なことですし、そうしようとし過ぎると日常生活ができなくなることもあるので要注意です。普段の生活をきちんと送りながら、慎重に進んでいくといったところでしょう。そして、多様な世界を体験できるようになるのを目指すというのがひとつの道です。
 
悪い状態を鎮めるものとして 例えば芸術(音楽、文学、絵画など)の力をかりるというようなこともあります。なにごとかの変化を目指すには、一個の自由な人間としての先入見のないとらわれのない態度が必要です。しかしそういう態度をとることはなかなか困難です。そこで、少し視点を変えることが、悪い状態の改善に役に立つことがあります。より俯瞰的にみるというのもそのひとつです。頑張りすぎずで、諦めずといった中庸のところがよいことが多いです。
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