あなたは「千葉空襲」を知っていますか?


昭和20(1945)年、太平洋戦争の終戦間近、日本全土の各都市に続いて、
千葉市にも数回にわたるアメリカ軍による空襲(空爆)がありました。
中でも、6月10日と7月7日の2度の空襲で、中心市街地の約7割が焼け野原となり、
死傷者1595人、被災戸数8,904戸、被災者41,212人に及んだとのことです。
5月8日の空襲は、詳細が分かっていませんが、機銃掃射で亡くなった方がいます。

参考資料 千葉市市民局市民部市民総務課発行「千葉空襲写真誌」
5月8日
 
日立航空機千葉工場(現JFE)で戦闘機の組立作業等をさせられていた中学生や女学生が艦載機による機銃掃射を受けて重傷を負ったり、近くの路上で地域の住民が殺されました。

6月10日

 27機のB29による、午前7時45分からわずか1分ほどの爆弾投下で、被害地域は日立航空機千葉工場の一部と蘇我町1丁目、更に、新宿・富士見・新田町・新町付近で、死傷者391人、被災戸数415戸、被災面積26ヘクタールとのこと。
 兵器工場となっていた千葉師範学校女子部では、日曜日も出校していた女学生が犠牲になっています。

7月7日(七夕空襲と言われている)
 深夜午前1時過ぎからの、129機のB29による爆弾・焼夷弾攻撃で、中心市街地が焼き尽くされ、死傷者1,204人、被災戸数8,489戸、被災面積205ヘクタールに及んだとのこと。
 都川を隔てて亥鼻・葛城側は焼け残り、本町・亀岡・院内・椿森と、千葉市の主要な施設、千葉地方裁判所・千葉郵便局・千葉駅・本千葉駅や、鉄道第一聯隊・気球聯隊・歩兵学校・千葉陸軍高射学校など軍事関連施設が被害を受けたとのことです。


トップページへ