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福岡 野口整体

真面目な努力家の方へ


「一日何時間眠らなければならない」

「こういう運動をしなければならない」

「こういうモノを食べなくてはならない」


などなど、色んな「〜〜しなければならない」を抱えて生きている人がいます。

「〜〜したい」と「〜〜しなければならない」は違います。前者は欲求そのもので、後者は欲求が義務化し自分に対して強制性を持つものです。

あなたはお釈迦様が弟子達の為に「捨戒の便法(しゃかいのべんぽう)」という特別ルールを作られたのはご存じですか?

その内容は、男の出家者は250個の戒律・女の出家者は348個の戒律を守って修行するのですが、その修行中にどうしても己の欲望を我慢しきれなくなった場合は、授かった戒律を一旦捨てて一時的に俗人に戻り、その欲を満たした後にまた戒律を授かり再び出家して修行を続けてよい、というものです(因みに日本の仏教にこのルールはないようです)。

何故お釈迦様はそういう特別ルールを作られたのか?

それは、弟子が己の欲望に負けて戒律を守れなかった事に対して、自己嫌悪に陥って劣等感を持ち自暴自棄になって「毒喰らわば皿まで」となる事を防ぐ為だそうです。

「捨戒の便法」を我々の身近な例で言えば、ダイエットや健康の為に食事制限をして好物を我慢していたけれども自分に負けてつい食べてしまって自己嫌悪に陥り、「もうどうでもいいや!!」とヤケになってドカ喰いして食欲に歯止めが効かなくなる事を防ぐ為に、週一回だけは好物を食べてよい日を設けるようなものです。

特に性格が真面目で誠実で一生懸命に健康の為に頑張って努力している人ほど「毒喰らわば皿まで」となる事に注意が必要です。

健康の為に!と思って始めたその動機は大変尊く、頭が下がります。

しかし、義務化した「〜〜しなければならない」は少し危険です。

そういう真面目な人が本当の健康な体になる為には、精神的な余裕・柔軟性・ゆとりが、あとホンのチョットだけ必要です。

「〜〜しなければならない」は、何となくどこか息苦しくて窮屈なはず。

目を閉じて口からフゥーーーー・・・・と自然に息を吐いて、「息」を「抜いて」みて下さい。

その時の「体と心の感じ」がそういう人には必要なのです。


なお、逆に精神的な余裕・柔軟性・ゆとりがあり過ぎる人達には「戒律」を設けて義務として強制的に厳しくやらせる事が、時には効果的かもしれません。でも、このページを読まれている方々にはその必要性はないでしょう。多分。