台地と低地のできかた
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以上述べたことをまとめると、上の図のようになります。台地は下から、上岩橋層・木下層・常総粘土層・武蔵野ローム層・立川ローム層の順序で地層が重なり、これらの地層を谷状に削り込んだ底に沖積層が積もっています。したがって地層の積もった順序と環境の変化の様子は、次のように考えることができます。 | |||
@古東京湾の時代 | まだ台地も低地もなく、全面が海におおわれている。この海は鹿島灘方面から入り込み、房総半島の北部を初め、関東平野の大部分に広がっていたとされる。海底に上岩橋層と木下層が積もるが、上岩橋層堆積後海はいったん退き、再び進入した海に木下層が積もる。 |
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A湿地の時代 | 古東京湾は退き、河川の氾濫原や湿地が広がった。このころ箱根山の火山活動が行われ、火山灰は湿地に降下して粘土化した。常総粘土層の最下部には、13万年前の箱根山の噴出物とされる、三色アイス軽石層(SIP)が挟まれ、このころには海は退いていたはずである。 |
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BV字谷の時代(1) | 湿地は乾いた陸になって、陸化が完成する。その時代は、武蔵野ローム層最下部に挟まれる箱根山起源の噴出物、東京軽石層(Tp)の年代から、およそ5万年前のことである。同時に川が流れて、谷を作り始める。この川が現在の新川のもと(「古新川」)である。 |
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CV字谷の時代(2) | 古新川が谷を深く掘り下げ、V字谷が完成する。このV字谷が現在の低地の基本形となる。谷の深さは現在の宮内橋付近で、約20m程である。谷の完成は、立川ローム層上部に挟まれる姶良ーTn火山灰(AT)の年代から見て、今から24000年前以降のことと考えられる。 |
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D古鬼怒湾の時代 | 古新川の刻んだV字谷に沿って、印旛沼方面から海が入り込み、沖積層が堆積する。この海は現在の利根川低地や霞ヶ浦、北浦、手賀沼などに広がり、「古鬼怒(こきぬ)湾」と呼ばれている。新川低地が海になったのは約8000年前、海岸線は新川低地では宮内橋付近、桑納(かんのう)川低地では桑橋(そうのはし)付近等よりも奥に達していた(稲田,2002b)が、詳細は不明である。 |
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E現在 | 古鬼怒湾が退いて、新川低地が湿地化するのは約4000年前、湿地が開発されて水田が作られるようになったのは、今から1400年前のことである。 |
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海水面の変動 | 台地と低地は以上のように、13万年前から現在までの海水面の高さの変動と、これに伴う、この地域への2回の海の出入りによってできたことになります。それぞれの時代における、この地域の詳しい様子については、次に述べましょう。 |
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