「これから論文を書く若者のために」
出版後の進行状況

若手研究者のお経
進行状況ホーム


4/30(土)の進歩 快勝! ベガルタ仙台が湘南ベル マーレに 3-0 と快勝した。今季最高の試合内容だった。
 今日の仙台は気合いが違っていた。全員が献身的に攻守に走り回り、ゲームを支配した。特に前半は素晴らしい出来であった。両サイドが高い位置で当たりに 行き、ボールを奪うと、大柴・シュウェンクの両 FW も絡んで、相手サイドを切り崩す。富沢のラインコントロールも細かく、ラインを高く保って DF 陣の攻撃参加をやりやすくしていた。見ていて本当に楽しかった。かたや湘南は、仙台を舐めていたのか、あるいは、激しい動きにとまどったのか。プレスもゆ るく、仙台を中盤でかなり自由にさせてくれた。仙台に、得点の香りがぷんぷんだ。リャンの絶妙のクロスにシュウェンクがフリーで飛び込んだときは、「決 まった」と思った。しかしシュウェンクは、ヘッドで見事にクリアー(にしか見えなかった、あれは)。さらには、財前のフリーキックにシュウェンクが飛び込 み、今度は見事にヘッドで決めた、と思ったら、オフサイドであった。今日の試合、シュウェンクはオフサイドを取られ過ぎだ。ちゃんとラインを見て動けよ。 そして前半 39 分、財前のクロスにシュウェンクがヘッドを空振りしたところ、後ろから走り込んでいた大柴が左足で綺麗に流し込んで仙台が先制! 1-0 でリードして前半を終えた。後半になると、ハーフタイムにどやされたのか、湘南が積極的に仕掛けるようになった。そのため、湘南にゲームを支配される時間 が続いた。しかし、集中して守ってゴールを割らせない。後半 20 分には、関口・森川が粘って奪ったボールを、縦に走った大柴に繋ぐ。大柴は DF を強引にかわし、ゴールラインまでフリーで切れ込んだ。湘南 DF 陣は大柴に集中してしまい、ニ列目から走り込んだリャンが全くのフリーであった。鮮やかに流し込んで 2-0。後半 29 分には、シュウェンクとのパス交換でフリーで左サイドを抜け出したリャンが、ゴール前に走り込んだ大柴にグラウンダーでセンタリング、大柴がダイレクトで 決めて 3-0 となった。仙台、今季ホームで初勝利だ!
 後半 30 分には萬代、後半 35 分にはユース出身のルーキー大久保が登場した。仙台の明日を担う FW コンビである。萬代は、とにかく点を取ってやろうという気持ちがびんびんであった。「守備をしろ」と終了後怒られたみたい。大久保にとってはほろ苦いデ ビューとなったか。信頼されていないのかあまりボールを貰えず、2-3 回しかボールにさわれなかったからね。ま、こうした経験を積んで、エースに育って欲しい。
 草津戦かららしいけれど、ベンチの指示体制も変わっていた感じで、藤川・手倉森両コーチが実質指示をしていたように思えた。象徴的だったのは、清水に替 えて関口を投入した場面だ。テクニカルエリアで戦況を見つめていた都並監督が、ベンチの誰かに声をかけられて振り返った。ベンチ前に歩いていって何やら話 すと、手倉森コーチが関口を呼びに行った。都並監督ではなく、コーチが関口投入を決めたように見えた。さらには、三人の交替選手に戦術の指示を出していた のは藤川コーチであった。都並体制に何が起きているのか?
 ともかく、快勝した。この勢いで、4 日の山形戦にも勝って、三連勝だ! そしたら、昇格圏も見えて来ちゃうよ。
4/29(金)の進歩 明日は湘南戦 ベガルタ仙台は明 日、ホームに湘南ベルマーレを迎え撃つ。現在三位と好調の湘南。厳しい闘いになるであろう。しかし仙台も、このところすっかり明るくなっている。やはり、温泉に行ってスカッとする(草津に勝つ)と違うわ。草津戦で掴みかけた自信を確 固たる物にするために、明日は是非とも勝って欲しい。そして嬉しい知らせが届いた。怪我のためブラジルに戻っていたシルビーニョが再来日したのだ。本人曰 く、「十日ほどでチームに合流したい」とのことである。ああ嬉しい。なんだかんだで、序盤の苦戦の要因の半分はシルビーニョの欠場であった。彼が戦列に復 帰すれば、仙台の中盤は飛躍的に安定するであろう。唯一の気がかりは、都並監督がまたメンバー構成の試行錯誤を始めてしまうのではないかということ。せっ かく固まりつつあるメンバーを、一から考え直したりしないように願いたい。
 視力矯正手術(エピ PRK)後 29 日目。左目の調子も良くなった。寝ていて痛むことも無ければ疲労感を感じることもない。一週間ほど前、左目の痛いところに目薬を直撃させたことが効ををそ うしたのか? そして今日は、左目も 1.5 になっていた(右目も 1.5 を維持している)。このまま安定してくれたら嬉しい。
 今夜は暁子も帰ってくることだし、早めに帰宅して、料理に凝ろう。
4/28(木)の進歩 明日から連休 明日から連休か。 何かもう、今から連休気分になってしまっていて、仕事に気合いが乗らない。どうせ特に何もせずに過ごすであろうに。などと、仙台サポらしからぬことを書い てしまった。ベガルタ仙台が勝利を勝ち取る、こんなすごいことが出来るのだ。でも、連休でなくてもやっていることである。って、あんましやってなかったか、今期は(も)。
 友蔵の学振の申請書類に意見を述べた。訴えかける文章を書こうとしていることがよくわかった。おかげで、前に比べると訴え度がぐっと上がっていた。た だ、「訴えかける文章=飾り言葉(重要な・画期的な、とか)の多い文章」というわけではない(もちろん、友蔵はこのことをわかっている)。飾り言葉が無く ても、読者に「重要な」「画期的な」と思わせる文章が訴えかける文章だ。そういう意味で、研究計画は「画期的」に感じた。花序内での分散に着目する点が特 に気に入った。
 ひさしの論文セミナー。異型花柱性の植物における送粉実験の論文を紹介してくれた。非適法な型間での送粉って、けっこうあるんだね。
 いよいよフィールド調査の季節だ。イカリソウの蜜分泌を調べるかとぅと研究計画を相談。サンプル数をどれだけ増やせるかが鍵となるであろう。調査項目を 絞って、蜜量の測定に回せる個体数を確保するようにしよう。
 ひさしのご両親が、鯖寿司を送って下さった。毎年楽しみにしておりました。どうもありがとうございます。
 昨日書いた、「白熱灯の元だと字を読みづらいようにも思う」は思い違いの気がしてきた。昨夜試した感じでは、そんな気はしなかったのだ。要は、布団の中 では眼と本の距離を取りにくいということに尽きる気がする。
4/27(水)の進歩 小ネタ 生物学科三年生の講義を した。出席者は 29 人。毎回微妙に入れ替わっている感じだ。義経と関口は一応受けた。私の講義には、こういう小ネタが登場することが多い(「これ論」で、所々にベガルタ仙台 ネタが登場するのと同じ)。それは、小ネタにより学生を掴む ……… というよりか、私 の性分だからである。小ネタ無しには、やる気無くなっちゃうの。
 彩子が嬉しそうにやって来た。不調だったガスクロの調整が終わったので実験をしてみたところ、うまくいくようになったという。よかった、よかった。これ も、くまにょんの助言のおかげです。どうもありがとう。新生なったガスクロで、ばりばりデータを出しておくれ。
 食害がある元での最適な種子サイズに関する文献を読んだ。いい加減、煮詰まってきた。直裁には、文献読みに飽きてきた。頭を整理して、イントロダクショ ンの構想を練ろう。そしてざあっと書いてしまってから、改めて、必要な論文を読み直すということにしよう。
   視力矯正手術(エピ PRK)後 27 日目。右目は 1.5 で、痛みも違和感もなく完璧。左目は 1.2 位で、無理すれば 1.5 も見えると言い張れなくもない。ただ、明け方ときどき左目に痛みが出ることがある。眼が乾くとそうなるようだ(寝ている時はまばたきをしないので眼が乾き やすい)。日中も、左目にだけ、違和感や疲労感を感じることが多い。いつまで続くのかとちょっと気になってきた。夜の見え方は相変わらずである。光の周り を、光源の直径の十倍ほどの光彩がぐるりと取り囲んでいる。線香花火みたい。でも、信号の見え方は良くなり、ちゃんと一つの玉に見えるようになった。手術 直後は五つの玉に見えて焦ったけど。前に比べると、寝る前に布団の中で本を読むのがやりづらくなった。近視が取れて近くが見にくくなったので、30 cm 位本を離さないと読めなくなったせいである。それに加えて、気のせいか、白熱灯の元だと字を読みづらいようにも思う(布団の中では、白熱灯を点けて読書し ている)。同じ距離を離して本を読んでいても、起きているときに比べ布団の中での方が、文字がぶれて見える気がするのだ。ようわからん。
4/26(火)の進歩 倒れながらも離さない 昨夕の ニュースで、シュウェンクの得点場面を確認した。「(得点に絡んだ村上が)倒れながらもボールを離しません」とアナウンサーは言っていたけれど ………、まさに文字通りであった。だって、1.5 秒ほどの間、ボールを腕で完璧に抱え込んでいたのだから。 「俺がペナルティエリア内で倒されたけど、ファールを取ってもらえなかったときに、おもいっきりハンドしたんだけど・・・ 審判 は流す仕草をしたから俺もそのまま上手くキープできて」(村上の日記より)って、ボールを腕 で抱えていたらそりゃキープ出来るわな。
 秋田で長らくフキの調査をしていたりんかが仙台に戻ってきた。ずーっと手伝っていたみっちーも戻ってきた。データ一杯で充実した調査だったようだ。お疲 れさまでした。頑張ってデータ解析して面白い論文を書いておくれ。ついでに言うと、修論の締め切りは来年の一月末だけれど、そんなの気にする必要はない。 夏休みまでにサンプル処理やデータ解析は終わりそうだから、十月には完成させるこ とにしよう。読んだかな、りんか?
 朝から激怒した。変なメールが来て Eudora がだんまりになってしまったのだ。文字コードの関係なのか、そのメールが読み込めないらしい。そして困ったことに、未読メールの先頭にそのメールがあるた め、受信簿を開くとまずそのメールを読み込もうとする。そのため、受信簿を開くと必ずだんまりとなってしまう。おかげで、今までの受信メールも読めなく なってしまった。人に迷惑メールを送りつける輩は火星に追放してやりたい。ついでに。自宅の台所のゴミ箱が壊れたので、新しいゴミ箱を買おうと、ダイシン やケーヨー D2 に行った。しかし目当ての物がなかったので、ネットで探した。そしたら楽天に良いのあった。宮城のプロ野球会社を駆除するために楽天は使わない、これが宮 城県民の良識である。しかし他を探しても無い。苦渋の決断、目をつぶって楽天で注文してしまった。そうしたら、「楽天ニュース」とかいう買い物情報が私用 の yahoo アドレスに来るようになった(私用では、yahoo のアドレスを使っている)。ここぞとばかり、迷惑メールとして Yahoo に報告しておいた。
 今日も、食害がある元での最適な種子サイズに関する文献を読んだ。関係しそうな論文はあまり無い感じだ。自分がその昔に書いた、他家花粉の受粉量に依存 した種子生産の論文が一番近かったりして。
4/25(月)の進歩 清水登場 今夕の NHK の宮城地方番組に、ベガルタ仙台の清水が出るらしい。これは楽しみである。彼をあまり知らない方々のために説明しておくと、彼の最大の特徴は、その横から 見た姿にある。横から見ると、突出した後頭部と類人猿的姿勢が視線を捉えて離さず、一言で描写するなら、NASA に捕まった宇宙人みたいなのだ。おかげで私は、試合中に彼が横姿を見 せるたびにわくわくしている。付け加えると、パスセンスとスペースへの飛び込みも特徴である。でもこんなの、横姿の特徴に比べれば小さい小さい。公式サイ トでは正面からの写真を載せてい るので、私は大いに不満だ。
 ザスパ草津に快勝して、クラブの雰囲気は明るくなっているようだ。昨日の仙台大学との練習試合にも勝ち、「”今季初の2連勝”」(サンスポよ り)という強引な浮かれぶりである。先週の紅白戦での主力組勝利も加えれば、破竹の三連勝になるぞ!
 生物学科三年生向けの講義の準備をした。寿人が移籍してしまったので、スライドの中身を変えた。ついでに、妻夫木もやめて義経にした。いったいこれは何 の講義なのか?
 食害がある元での最適な種子サイズに関する文献を今日も読みふけった。先日思いついた、過補償(食害を受けると、受けなかった場合よりもかえって種子生 産が増える現象)の進化にも適用できるのではないかということ(4/22 の進歩参照)。これは全くの間違いであった。お許しあれ。謝ることもないか。
4/24(日)の進歩 宮城沖地震に備える 新学期も始 まったことだし、研究室に出て講義の準備をしようと思っていた。しかし、ゆっくり寝てぐだぐだしていたら、その機会を失ってしまった。ならばと、東京イン テリアに行って机を買った。今ある机は、家を建てたとき(2000 年 10 月)に買った物である。生きるか死ぬかのローンを組んだばかりの頃であり、一円でも節約する生活を送っていたときだ。だから机も、半端物を売る店で安く 買った。配送してくれない店だったので、店の軽トラックを借りて自分で運転し家に持ち帰った。ところが、慣れない車でぐいっとカーブしたら、天板と足のつ なぎが壊れてばたーんと潰れてしまった。つまり、買った途端にぶっ壊して家に持ち帰ったわけである。天板に足をはめてそうっと立ててみたら、なんとか立っ た。それ以来四年半、そうっと立ったまま過ごしてきたのだ。しかし、宮城沖地震が明日に迫った今、このままではまずい。新しい机に買い換えようと思ってい た。で、今日、天気も良いことだし新しい机をとうとう買ったわけだ。
 帰宅後、芝の種子を蒔いた。ところどころ剥げていた所に蒔いて修復を計るのだ。ところが、「ご利用は計画的に」を忘れた。最初の頃、張り切って多量に蒔 いていたら、剥げた所全部に蒔く前に種子が無くなっちゃった。がーーん。ま、いいか。
 夕方は、町内会の会合に出た。仕事の仕方とかの説明があるので、一回目は出た方が良いと思ったのだ。夕食の支度を整え、炊飯器のスイッチを入れ(今日は 休肝日だ)出かけた。この手の会合、私が最も忌み嫌うものである。そしてものの三分とせずに、出席したことを後悔した。仕事の内容は、渡された書類を読め ばわかったし。途中退出して帰ろう。しかし私も大人になった。失礼の無いように、しばし話を聞いていた。そして、「よし、ご飯が炊けた頃だ」と思い、席を 立ったのであった。
4/23(土)の進歩 懐かしい人たちと再開 広瀬さん の退官記念パーティーがあった。卒業生も来ていた。杉田君・てるちゃん・直道・大ちゃん・木村君・キムタカ・フッキー・がんちゃん・しいちゃんら懐かしい 人たちや、さ して懐かしくないくにっちに再会できた。直道は今、科学機器の会社に勤めていて本郷にいるのだという。フッキーは印刷会社を辞め、理学療法士の道を目指す ことにしたそうだ。そして仙台に戻って来て、理学療法士の学校に入学するために受験勉強をしていたらしい。高校生との受験競争に勝ち、今春入学を果たした とのことである。いたいけな高校生を蹴落として自分が入学するなんて、非道いことするねえ。学校も仙台なので、「これからは研究室にも遊びに行きます」と 言ってくれた。合格するまでは顔を出しにくかったらしい。さらにはなんと入籍したそうだ。「卒業後三年以内に仲人をお願いします」と言っていたのに、この 裏切り者。でもおめでとう。
 研究室の女の子はみんな、ドレスで着飾っていて綺麗だった。りんかも今日の日のためにドレスを買ったらしい。しかしフキの調査が長引いて、やむなく不参 加となってしまった。可哀相に。今度我が家でやるキメグの歓迎会は正装としよう。庭で、ドレスで着飾ってバーベキューをするのだ。
 記念パーティーの参加者は 70 人くらいか? この会には参加して、私の退官記念パーティーに来なかったら僻むからねと決意を新たにしたのであった(注;私の退官はまだまだ先の事である)。
 ベガルタ仙台がザスパ草津に 2-0 で勝った。映像は見ていない。村上の日記を見ると、いろいろあっ たようである。

「シュエンクが得点する前に俺がペナルティエリア内で倒されたけど、ファールを取ってもらえなかったときに、おもいっきりハンドしたんだけど・・・ 審判 は流す仕草をしたから俺もそのまま上手くキープできて磯に出してクロスをあげたら入っちゃった! 公式記録で確認したら、俺がFKでリスタートしたことに なってたけど、あそこでFKだったら、”PK”だと思うけど・・・ 」

 シュウェンクが満点の出来の活躍をし、富沢・木谷のセンターバックコンビも素晴らしかったという。役立たずと思われていたシュウェンクが化けたとなる と、これは心強い。「暖かくなってブラジルみたいになってきたから」とどこかに書いてあったけれど、しょうがない兄ちゃんだねえ。富沢はやると思ってい た。前節の鳥栖戦も良い働きをしていたから。後は日本語の勉強をしよう(1/6 の進歩参 照)、いや、しない方が面白いか。ところで都並監督、草津戦は「負けたらクビの覚悟でやる」と言っていた。勝ってクビがつながったと思うでない。相手は最 下位のクラブだ。勝って当たり前である。次の湘南戦こそ進退を賭けた戦いとなる。この試合も、負けたらクビの覚悟で臨むように。
4/22(金)の進歩 明日は草津戦  ベガルタ仙台は明 日、敵地でザスパ草津と対戦する。後に引けぬ直接対決である。勝ち点 4 と勝ち点 3 の激突。負けた方はビリになっちゃうの。ここに来て明るい知らせもある。昨日の紅白戦で、主力組が控え組に今期初勝利を上げたのだーーーー! 控え組を倒すという番狂わせを演じ勢いに乗る主力組。明日は草津をも倒し、連敗を止めるであろう。でも、テレビの生中継が無い。私はどうやって過ごそう か。
 彩子の論文セミナー。訪花昆虫(チョウ)が、花の色と香りのどちらを頼りに訪花しているのかを調べた論文を紹介してくれた。色も香りも、蜜源がどこにあ るのかを知る判断材料である。そう考えると、どちらがより信頼の置ける指標(蜜源の)なのかということが問題だ。このチョウの場合、色の方が重要らしい。 「チョウなんだ」と、致命的なシャレを書いて終わるのであった。
 その後、川渡の長谷川君(キメグの後輩)が、クリを使って行う研究の計画を話してくれた。訪花昆虫の観察を行うので、我が研究室の意見をわざわざ聞きに 来てくれたのだ。ありがたや。キメグがレンタル移籍してくれたことで、さっそくこういう交流も産まれたわけである。で、クリは、雄花のみからなる花序(雄 花序)と、雌花と雄花からなる花序(雌雄花序)を着ける。両者は花期も違い、雄花序の雄花 --> 雌雄花序の雌花 --> 雌雄花序の雄花という順番で咲く。そして、雌雄花序の雄花が咲くことが、雌雄花序の雌花への訪花を促しているのではないかと長谷川君は着眼している。この 仮説を確かめることと、クリの遺伝的多様性の維持機構を調べることが研究目的だそうだ。柱頭に着いた花粉を一粒一粒遺伝的に調べて、どの個体由来の花粉か を調べるらしい。すごい。成果が出たら、是非セミナーで話をして下さい。付記;雄雌花序と言えばフキ、雌雄花序と言えばクリだ。間違えないように注意しよ う。
 モリナガが帰仙してきた。今日もまた、味噌関係の土産であった。昨年、生命科学研究科の大学院案内で使った PowerPoint ファイルを見せてくれた。ちょい恥ずかしかった。ふさわしい指導教官にならないと悪いなあと思った。
 食害がある元での最適種子生産戦略に関する論文を読んでいたら、良いことを思いついた。過補償(食害を受けると、受けなかった場合よりもかえって種子生 産が増える現象)の進化にもモデルを適用できるのではないかと思ったのだ。さっそく Mathematica を立ち上げて計算開始。しかしまだどうなるかわからぬ。
4/21(木)の進歩 ヨーグルトに釣られる 彩子・か とぅと三人で、改装なった生協のレストランでお昼を食べてみた。生協食堂には、このレストランとカフェテリア形式の食堂があり、私たちはもっぱらカフェテ リアの方を利用している。今日もそうしようと思ったら、「今日、レストランで食べるとヨーグルトサラダがおまけに付く」という、どっちかというと貧乏くさ い理由からレストランにしてみた。レストランで利用できる「百円割引券」を持っていたことも後押しした。初めて足を踏み入れたレストランは、街のレストラ ンには及ばないものの、それなりにお洒落に改装されていた。目の前に広がるテラスも、夏にビールを飲むには美味しそうだ。しかしテラス、もっと植物とか 飾って雰囲気を出して欲しいな。二種類の日替わりランチはいずれも若者向き(フライドチキンが付いていたり、焼きそばの上にハンバーグが乗っていたり)で あった。しかし若者はもっぱら、カフェテリアの方を利用する(その方が安いから)。もう少し大人向けにして、教職員がお客さんを連れて来られるような格式 にしてはどうかと思う。
 友蔵より注進。エレベーターの所にベガルタ仙台のポスターが貼ってあるのだけれど、その中の都並監督にチョビ髭が描き込んであったのだ。単なるいたずら か。深遠な意味があるのか。「髭をはやして威厳をつけないと選手はもう着いてこないよ」とか、「髭をそる暇があったら戦術のこと考えろ」とか、ただ単に似 合っているとか。でも、これ以上いたずらしたら怒るからね。
 イタポンの論文にコメント。もう一息で英文校閲に出せる。あと少し頑張って。
 今日も一日文献集めをした。で、とりあえず集め終わった。関連研究はかなり少ないようだ、しめしめ。
4/20(水)の進歩 組長襲名 こたび、因果により組 長を継いだ。極道の世界に身を投じたわけではない。町内会の組長というのが、順番で回ってきてしまったのだ。がーーーん。仙台市や宮城県の広報誌を配った り、回覧を回したり、町内会費を集めたり、赤い羽根の募金に回ったりする仕事である。こういう雑用は組員がやるのかと思いきや、なぜか、組員より偉いはず の組長がやるのだ。なんでこんなことを しなくてはいけないのか? 町内会なんてまったく無駄。こんなものの無い、他人に無関心な町でありたい。だいたいにおいて、広報誌なんて読む人いるのか? 回覧に至っては、99.999 % が無意味情報である。地域の中学校便りなんて回覧して何になる? 町内会費も、役員会の飲食代や秋祭りの景品に化けるのがおちであろう。誰かにテレビ(景品)を当ててやるために町内会費を払うなんて馬鹿らしいったらあ りゃしない。ああ、一年間かったるい。どうやって手を抜くか。それとも、なんとかして町内会を潰すか。
 ベガルタ仙台 DF 森川(その美しいヘディングが特に有名)が、なんとも羨ましい生活を送っていることが判明した(携帯用のベガルタモバイルに載っていた話)。森川は犬を 飼っている。そして入浴時に湯に浸かるとき、浴槽の半分にフタをしておく。すると、犬 がフタの上に乗って、気持ちよさそうに寝るのだそうだ。愛犬の寝姿を目の前に見ながら入浴するとは! 今度じゅりで試してみるか。
 生物学科三年生向けの講義をした。利他性の進化についての話だ。この話を始めた頃は、利他性に関する講義を 1-2 年生の頃に受けることが無かったため、けっこうインパクトがあった。しかし最近では講義も充実してきていて、すでにみんな知っているようである。おかげ で、しらーっとした雰囲気の漂う講義になってしまった。来年からは利他性の話は止めにしようか。
 食害がある元での最適種子生産の論文を書くために、文献集めを始めた。午後は、Ovid をずーっと眺めっぱなしだった。種子の食害の研究は山ほどあるけれど、それに対抗した最適種子生産戦略の研究は少ない。かといって、どうせないだろうと油 断していると、関係しそうな論文がぽつりと見つかったりする。ほんに神経を使う文献集めだ。
4/19(火)の進歩 アオキ実習二日目 今日も、生物 学科三年生の学 生実習をやった。昨日のデータを入力して整理し解析をするのだ。性比は思った通り1対1からずれていて、雄の方が多いという結果になった。そして、雌雄の サイズ分布や空間分布(集中分布かランダム分布か)を解析してもらい、性比がずれる理由を考えるわけ。20 m x 20 m の調査枠を 1 m x 1 m の小区画に区切って森下の Id を計算させたときは、数える区画の多さ(400 区画)に、これは無理であったかと思った。でも、なんだかんだで、みんな頑張って計算してくれた。午後六時半に、ようやくすべての班の解析が終了。パソコ ン画面をみんなで取り囲んで議論する姿や、じっと画面を見つめながら真剣にデータ処理する姿が印象的だった。私は立ちずくめで疲れた。もう帰ろう。明日講 義なのに大丈夫かな。
4/18(月)の進歩 アオキ実習 生物学科三年生の学 生実習をやった。雌雄異株植物であるアオキを材料に、性比がどうなっているのかを調べるのだ。まず始めに、性比(雄個体と雌個体の数の比)が1対1になる 理由を、簡単な数式で計算させた。一年生の時に、生物学へのアプローチというリレー講義で話した内容と同じである。まあほとんど忘れているだろうなと思っ たら、完璧に忘れていた模様だ。私の説明が悪かったせいか、なかなか納得して貰えず四苦八苦してしまった。反省。一年生のときにはちゃんと理解してくれて いたのか、今更不安になってきた。その後、薬用植物園内のアオキ群落に調査枠を張り、性比とか個体の分布とかを調べた。相変わらず、きゃあきゃあと楽しそ うに取り組んでくれる。好感大だ。もっとも、何をやらせても楽しそうにやるのではないかという疑いは拭えない。渡邊さんに、「眼の調子はどうですか?」と 聞かれ、突然の問いにだじろいた。「視力矯正手術をしたことをどうして知ってるの?」と恐る恐る聞くと、「日記を読んで」との答えであった。やっぱり ………。こりゃ、めったなことは書けねーー。寒くなってきて、先に作業を終えた学生は帰りたそうにしていたけれど、「あそこで頑張っている友達を見よ」と 指さして我慢して貰った。ほんとは私も帰りたかったよ、かなり寒かったから。四時頃、無事に作業を終えた。みなさん、お疲れさまでした。実習室に戻り明日 の予定を話して解散した。解散後、渡辺さんが、「性比の理屈がまだよくわからない」と質問しに来てくれた。こうやって質問してくれるのは大変嬉しい。黒板 に数式を書いて説明していたら、他の学生も何人か話を聞いてくれた。しかし、なかなか納得を得られない。「1 から説明してください、いーーやゼロから」という追求に、サポーターに吊し上げられ る都並監督の心境となった(サンスポよ り)。でも最後は、みんな納得してくれたみたい。都並君の方は、納得を得ることなく終わっちゃうと思うよ。注;繰り返すけど、こうして質問してくれるのは 大変嬉しいので、誤解無きよう。
 「これ論」の、七回目の重版が決定した。新たに 2000 部刷り、総計 1,7000 部が出来することになる。単純計算では、1,5000 部売れたということである。結構すごい数字になってきた。お買いあげ下さったみなさま、まことにありがとうございます。
4/17(日)の進歩 田中・都並解任  もう怒った。仙 台の癌、田中 GM と、能力の無さが明白な都並監督を解任せよ! 独裁者 GM と無能監督にいらいらさせられるために、私たち仙台サポは生きているのではない!
 午前中は庭仕事。私は芝刈りをし、暁子は肥料を撒くなどした。庭はすっかり春だ。シデコブシが咲き、ブナやカエデも芽を膨らませ、カツラとドウダンツツ ジは死んじゃった。庭仕事を終え室内でうだうだしていたら、「じゅりが臭い」という暁子の一言で、一転してお風呂の刑となった。可哀相なじゅりよ、でも さっぱししたでしょ。
 昼前に家を出て、仙台スタジアムへと向かった。モールで石焼きビビンバを食べてから、決戦に臨んだ。相手は、監督と主力を出場停止で欠くサガン鳥栖だ。 絶対に勝たなくてはいけない。仙台は、噂通り、中盤をダイヤモンド型にしてきた。さて機能するかと見る間もなく、前半 3 分に早々の失点。根引のクリアミスから左サイドを破られ、二列目から進出してきた長谷川をどフリーにしてしまった。サイドを突かれるとマークがずれるとい う癖が全然直っていない。この失点で焦ったのか、その後の仙台は気弱なプレーが続いた。それでも、森川・関口・リャン・大柴が、右サイドで良い形を作って いた。しかし、鳥栖ゴールに近づくと、厳しいプレッシャーに潰されてしまう。ラストパスやクロスの不正確さも相変わらずであった。このままでは崩せない。 やはり高さのある FW が必要だ。財前に替え萬代を入れるべきだと思った。萬代なら、高さもあるし、攻守に献身的に動き回ってくれるであろう。ところが都並監督は、後半開始か ら、森川と富田に替えて、富沢と清水を入れてきた。そして、右サイドにいた関口を左サイドに回した。富田の交替は当然、というより、はじめから使うな。し かし、うまくやっていた右サイドをいじってしまうとは。なんでだよーー、監督。そしてお約束のように、後半開始早々にも失点して 0-2 となってしまった。これで終わった。今の仙台に、二点取る力は無い。その後は、京都戦の後半のように、個人に頼った力攻めで鳥栖ゴールに突撃していった。 しかし、厚く守る鳥栖守備陣の前に玉砕を繰り返すのみであった。ほんに工夫がない。サイドに散らして相手を引き出すとか、そういう基本的なことすら出来て いなかった。
 0 - 2 の惨敗。ハーフタイムに行われる、ベガルタキック(子どもが、無人のゴールにシュートをするという出し物)にもいらいらしてしまった。大体において、無人のゴールにシュートを決めて喜んでいる甘っちょろい体質を改善せねばならぬ のだ! 諸悪の根元は無能フロントにあることは明白である。とくに、田中 GM が癌だ。表に姿を現さないこの人物は、見えぬ所で身体を蝕む癌細胞のように、我がクラブを死へ導こうとしている。こいつの成し遂げたことは、石井強化部長 や本間専務をクビにして、自分の独裁体制を築きあげたことだけである。即クビにせよ。都並監督も、もはや駄目だろう。彼に任せて浮上する気はしない。解任 しかない。
4/16(土)の進歩 日が長くなった 視力矯正手術 (エピ PRK)後 16 日目。気づいたことがある。世の中が、前よりも明るく見えるのだ(気持ちのことではなく、実際の見え方として)。昼間は、空が前よりも輝いて見える。夕方 に車を運転していると、私にはまだ不要に思えるのに、他の車はライトをつけている。「まだ明るいのになんでライトをつけているのだろう」と思っていたけれ ど、どうも、私の見え方が変わったらしい。素人考えだけど、角膜が薄くなった分、光の透過率が良くなったのだろうか?ともかく、日が長くなって得した気分である。
 人生を賭けた闘いを終えた。全力は尽くした。後は判決を待つのみ。終了後、今日は自分にご褒美だと、朝市へ行った。そしてウニ丼 1000 円をお昼に食べ、夕食用にと、大トロだのシマエビだのサヨリだのを買った。今宵は久しぶりに、暁子としっぽり飲むのだ。
 昼過ぎに帰宅し、じゅりを車に乗せ、狂犬病の予防注射に連れて行った。日本では、1956 年以来(50 年前だ!)狂犬病は発生していないそうである。それを延々と、注射を義務づけている行政。見事な仕事っぷりだ。
4/15(金)の進歩 祝アクセプト くにっちの論文 (Takahashi, Makino, and Sakai)が Evolutionary Ecology Research に受理された。おめでとう。素直に褒めたくないという葛藤もあるが、 研究室での三年間の成果が結実した。良かった良かった。
 ベガルタ仙台は昨日、紅白戦を行った模様である。結果は、主力組 1 - 1 控え組の引き分けだったらしい。つまり今期、主力組は一度も控え組に勝てていないのだ。今までは、0 - 1 で負けるとかが多かったし。まずは控え組に勝てるようにならないと、余所様に勝とうなんてずうずうしいというものだ。都並監督は、紅白戦で出来ることが実 戦で出来ないと嘆いているけれど、「勝てない」ことは出来ていると思う。
 人生を賭けた闘いの練習を二度行った。思い残すことはない。今宵は、じゅりと別れの水杯をし、辞世をしたため、庭に水を撒いて、部屋の掃除をして、洗濯 物を取り込んで、明日夜の献立を決めて、静かに明日を待つこととしよう。
4/14(木)の進歩 ベンチ入り禁止すべきは 次節対 戦するサガン鳥栖の松本監督は、前節に狼藉を働いた罰で、仙台戦はベンチ入り禁止だそうである。仙台としては幸運だけれども ………。どっちかっつーと、都並監督がベンチ入り禁止になる方が勝算が高い気がする。替わりに指揮を執るの は、サテライトを強力に仕立て上げている手倉森コーチだ。
 竹中さんのページを 見て思い出し、「ポケットにスケッチブック」(菊沢さん著)を読んだ。「佐藤俊彦のこと」という、白血病に冒され、若くして逝ってしまった佐藤さんのこと を綴った記述があった。「すごく難しい論文を Journal of Theoretical Biology 誌に投稿しているという噂が聞こえてきた。しかし、同時に、この原稿が(校閲を経て)戻ってくるころには、僕の命はもうないでしょう、とさびしく微笑んだ という噂も付いていた」。そして実際、その通りになってしまった。校閲を経て「転送してこられた原稿は、果たして手に負えぬほど難しいものである」。「そ の後この論文は東浦君の努力で無事 JTB に掲載された」。………… この論文の校閲者の一人は私である。校閲しようとしたとき、佐藤さんが亡くなったことを知らされた。著者に届かぬコメントを書くことは辛かった。出版され たことは初めて知った。よかった。
 ひさしとイトちゃんが、りんかのフキの調査を手伝いに秋田へと出かけていった。よろしくお願いします。とくにイトちゃんは、酒井研ではないのにありがと う。入れ替わりに、イタポン・友蔵・かとぅが帰ってくるらしい。イタポンへ、論文読んで机の上に置いておいたから。
 厳かに、人生を賭けた闘いの最後の準備に入っている。まるで、死に装束を調える心境だ。うまく行きますように。
 視力矯正手術(エピ PRK)後 14 日目。明け方、左目が突然かなり痛んだ。今はなんともないけれど、ちょっと心配だ。視力は、右目が 1.5、左目も 1.2 となった。左目も大夫良くなってきた。医者には、将来的に熟眼(老眼と呼ばず熟眼と呼ぶ運動をしている)が出ることを考え、両眼で 1.0 -1.2 位に抑えるようにしましょうと言われたのに、なんか変だ。ま、いっか。
4/13(水)の進歩 講義始まる 生物学科三年生向け の講義の一回目があった。参加者は 36 人。今年は二コマ目ということもあり、去年より多かった。しかし、質問が出なくて寂しかった。昨日の実習の感じでは、もっといろいろ質問があるのかと思っ たけれど。三年生の皆さん、どしどし質問して講義を盛り上げて頂戴ね。でも、あんまし難しいこと聞かれてもわからないからね。
 午前中は、昨日に引き続き、人生を賭けた闘いの練習をした。その後、久々に、書きかけの論文のファイルを開いた。頭を戻すのに時間がかかった。やはり論 文は、集中して一挙に書き上げるに限る。特に、執筆経験が浅い内は、毎日毎日十数時間集中して取り組むべきだ。と、ちょっと厳し目に書いておこう。結局今 日は、論文の改訂はほとんど進まずに終わった。それでもって、またしばらく時間が取れそうにない。
 昨日の日記で触れた、小学一年のときの劇のことについて、思い出したこと書いておこう。「大きなカブ」とかいう題の劇であった。すごく大きなカブで、と ても掘り起こせないので、次々と人や動物を呼んで来てみんなで引っ張る。そして、みんなで一斉に尻餅をついて「やっと掘れたー」と喜んで終わりであった。 私の役の「孫その1」はその他大勢で、主役しか似合わない美少年であった私は、「もっと良い役よこせよー」と不満に思っていた。台詞も三つくらいしかなく て、その内の一つは、カブを見ながら手を広げ、「わあー、大きなカブだ」と言うものだった。「カブを見ながら手を広げる」というのは台本にはなく、私に台 詞の特訓をした父が独自に演技指導したものである。なにしろ、テープ に他の人の台詞を吹き込み、それに合わせて私が台詞を言うという特訓を、たった三つ の台詞のために行った一家なのだ。マメな父だったなあ。今度研究室で、この劇を再現するか。
4/12(火)の進歩 暁子の方がすごい 京都パープル サンガに敗れ、憮然とした表情で引き上げる都並監督(日 刊スポーツより)。これが憮然系の表情なのかどうかは別にして、この手の顔 は暁子が大得意である。ああ、夢に出そうだ。
 明日から講義が始まる。何か楽しみだ。昨日の学生実習で、私に気さくに話しかけてくれる学生が多かったので、楽しく講義できそうな予感がしている。
 昨日、人生を賭けた闘いの練習をしてみたら、言葉に詰まる部分が多々あった。これではいけない。そして決意した。発表用の原稿を作るのだ。原稿を元に何 かをしゃべるのは、小学一年のときに学芸会の劇で「孫その1」をやって以来で ある。研究の世界に入って、学会発表デビューの時にも原稿は作らなかった。それ以降も、学会発表のために原稿を作ったことは無い。さらには、修士論文発表 会・博士論文発表会の時にも原稿は作らなかった。なぜかと言うと、面倒くさいからだ。 発表に使うスライドや OHP を見ながらぶつぶつと言葉を練ると、なんとかなっちゃうんだよね。こんないい加減な渡世を送ってきた私が原稿を作る。「今更何やってんだ」「らしくない」 「構わず砕け散りなさい」という意見も傾聴に値する。でも、負けたらお終いなんですよ。と、ごちょごちょ言いつつ原稿を 作って練習をしてみると、なんかかえってやりにくい気がした。スライドを見て思い浮かべる文章と原稿の文章が一致しないと、原稿が足を引っ張る感じなの だ。スライドを見たらすっと思い浮かぶ原稿にしないと意味が無いと思う。これは良いことを学んだ。今度の学会が近づいたら、学生に偉そうに教えることにし よう。<-- したり顔で、「若手研究者のお経」のどこかに書く可能性もあるので注意するように。
 視力矯正手術(エピ PRK)後 12 日目。右目は 1.5、左目は 0.9 - 1.2 くらい。左目がおかしいというより、私が使っている検査表に問題がある気もしてきた。近くによって良く見てみると、1.0 の欄よりも、「C」字の線が細くて、 0.7 や 0.8 の欄の方が難関に見えるのだ。
4/11(月)の進歩 新三年生に好感 三年生の学生実 習をした。カタクリを材料に、種子の大きさが親個体の大きさに依存するかどうかを調べるのだ。三年生は元気でかわいいねえ。はしゃぎながら調査に取り組ん でくれて、良い感じだった。それと、明るくて物怖じしない学生が多い気がする。終了後、来週行うアオキの実習の下見もした。
 視力矯正手術(エピ PRK)後 11 日目。右目の状態は完璧だ。視力は 1.5 出ていて、痛みも違和感も無い。一方の左目は、右目に比べるとまだまだである。視力は 0.8 - 0.9 位。検査表の 0.8 - 1.0 のあたりがみんな同じように見える。どれも、見えるような見えないようなという感じだ。たまに痛みが出るし、疲労感や違和感もある。これから良くなって行 くと期待しよう。
 左目はまだまだではあるものの、手術をして大変満足している。何しろ、二つも手に入れてしまったのだ。一つは、眼鏡やコンタクトの煩わしさが無くなった こと。眼鏡をしていると、耳の所は痛くなるし、鼻からずり下がって不快だった。コンタクトの異物感はいつまでも消えなかった。眼鏡やコンタクトの手入れも 面倒だった。これらが全て消えた幸福感。二つ目は、眼鏡やコンタクトのときよりも、はるかにくっきりと物が見えるようになったこと。これは予想していな かった。Lasik(日本では主流の術式。私が受けた術式とは異なる)のことを調べていた時に、「眼鏡やコンタクトで矯正した視力よりも良くなることはな い」という記述を目にし、そういうものかと思い込んでいたのだ。私が受けたエピ PRK には当てはまらないことなのか定かではないが、事実として私の場合、術前よりずっと見えるようになっている。おかげで、気持ちがずっと明るくなった。 4/8 に、「人類に対する愛が沸いてきた」と書いたのは冗談だけど(冗談でいいのか?)。ドライアイの症状も全くない(Lasic だと出ることがある。「エピ PRK なら出ない」と言われていた)。夜間の光の見え方が変わったけれど(ハロー・グレアは出ている)、かえって面白いぐらいだ。
4/10(日)の進歩 やっぱ負けた はいはい、やっぱ り負けました。0 - 1 なので、惜しかったと言えないことはないけれど、勝てる力が無かったこともまた確か。
 春になって初めての日曜日。午前中は、溜まりに溜まっていた庭仕事をした。まずはケーヨー D2 に行って、花たくさんと芝の肥料を買ってきた。帰宅後、今春初の芝刈りをした。芝の一部は 20 cm ほども伸びていて草原状態になっていた。それを、高さ 3.5 cm に刈りそろえるのだ。しかし、芝が伸びすぎているため芝刈り機のエンジンが負けてしまう。しばしば(どうでもよい注;芝ではなく、「頻繁に」の方)エンジ ンが止まってしまい、かなり苦労しながら刈り進めた。次に、けっこう悲惨になっていた花壇を大粛正した。枯れている地上部を切り取り、辛うじて生きている 花も抜き取り、「お前の時代は終わった」と、けっこう元気なパンジーも抜き取った。そして、買ってきた花をばしばし植えた。気分一新ですきっとした。
 ちょうど二時に庭仕事を終え、キックオフを迎えた。立ち上がりこそ互角の感じだったけれど、徐々に京都がペースを掴むようになる。気づくと、京都の試合 のうまさの前に、子どものように何も出来ない仙台と化していた。そして前半 20 分、ゴール前の寄せの甘さから、美尾にゴールを許してしまった。高桑、止められなかったか? 後半の立ち上がりは、仙台が京都陣に攻め込む。しかし、組織的な華麗な攻めとはほど遠かった。前線に人数をかけ、特攻隊のように突撃をする感じであった。 一人が倒れ、そのこぼれ球を拾えたら次の選手が突撃する。セカンドボールを拾えるかどうかにかかった特効攻撃であった。やがて無理矢理攻撃の勢いも落ち、 互角の展開へと振り戻された。そしてそのまま点を取ることが出来ずに、0 - 1 で敗戦となった。これで一勝一分四敗。十位に転落した。
 仙台はミスが多過ぎる。これから攻めるというときのパスミス。ゴール前決定的な場面では、あわててしまいシュートを打つことが出来ない。あれはきっちり 決めないと、村上、中原! でも、リャンのシュートは惜しかった。これはついてなかった。
 都並監督の采配も相変わらずだ。後半になって、シュウェンク・中原・松浦と、いたずらに FW を三人投入したのは何なんだ? 無為無策。FW を増やせば点が入るというわけではないだろう。それに、仙台で唯一期待の持てる関口を下げちゃうなんて、何を考えているのか。
 来週はホームでサガン鳥栖戦だ。いい加減、頼むからホームで勝つところを見せてくれ(現在、ホームで三連敗中)。どうすれば勝てるのかは知らないけれ ど。
4/9(土)の進歩 時間の無駄 母の一周忌で小田原に 行った。さっさと終わってくれればよいものを、坊主は法話をたれるのが好きである。今日は、阿砂利の修行の話であった。お堂に七日間籠もる修行があるらし い。堂内の壁四方には手摺りが付けられていて、それをつたって、七日間堂内を右回りに歩き続けるのだという。その間、水をわずかに飲むだけで、食べ物は絶 つ。腰を下ろすことも許されない。手摺りに掴まって、立ったまま仮眠するらしい。最後の方になると、頭は朦朧とし足はぱんぱんに張って、「もう動けない」 と思うようになる。そこへ、何か外からの力が、足を前へと進めるというのだ。七日間堂内を歩き続けるとは ………、時間の無駄と思わないのかねえ? よっぽど暇で、他にすることが無いのか。達成感は得られるであろう。しかし私なら、こんな無意味なことではなく、意味のあること(困難な調査を成し遂げる とか、論文を通すとか)をして達成感を得たい。
 帰宅は夜となった。夜の見え方はだいぶ良くなっていた。術後四日目の夜には、一つの信号が五つの玉に見えていたのに、今日は、一つか二つの玉に減ってい た。街灯の無い暗い所では、車のライトの周りにはっきりとした光彩が見えるのは相変わらずであったけど。
 明日は京都パープルサンガ戦である。ここに来て、選手がいっちゃってるのではないかと心配になってきた。まずは村上。「ボランチのMF熊谷浩二(29) が右もも裏痛のアクシデント。その代役出場となるが、もちろん本人にそのつもりはない」(サンスポよ り)と、代役出場を拒否する構えを見せている。せっかくの出場機会な のに、出ないつもりか? 続いて関口。「いい感じで形はできているし、4−0ぐらいで完封したい」(日 刊スポーツより)と、これまでの試合のことを覚えていると感じさせない宣言だ。 逆の結果ならありそうだけど。4 - 0 でも 1 - 0 でもいいから、勝てるなら勝っておくれ。私としては引き分けでもいいよ。
4/8(金)の進歩 明後日は京都戦 ベガルタ仙台は明 後日、敵地で京都パープルサンガと闘う。開幕五連勝と絶好調の京都。限りなく絶望的な闘いとなることは否めない。仙台は富沢を今季初起用、「崩壊寸前にあ るDF陣の再構築へ、『左股関節痛』が完治した富沢が最後の切り札になる」(サンスポよ り)らしい。最後の切り札とは、ちょっと悲しくなってしまうの。富沢 駄目ならお終いか ………。根引・富沢の炎のセンターバックコンビで京都の攻撃陣を封印、是非とも 0-0 で勝ち点をもぎ取って欲しい。あーー、点は取れる気がしないので、0-0 で御の字である。
  今年度最初の、月初めの談話会があった。キメグは初参加。さっそくいろいろ発言してくれて、会を盛り上げてくれた。頼もしい先輩が加わって 嬉しい限りで ある。ちなみに清和さん・陶山さん(本来の指導者達)からは、「怪我したらこちらで 治療費は払うから」と送り出されたそうである。内の研究室で好きに使っていいってことすかーー?(笑)。 友蔵は、生態学会で発表したデータが、自分の中では「面白いんだかなんだか」だったそうだ。で、学会で皆に褒められて、再評価したらしい。そりゃそうだ、 あの研究はすごい。
 模様替え第二弾。キメグの机をもう少し良くしようと立ち上がった。そうしたら何故か、私の部屋の本棚をまたしても移動したりと大騒ぎになった。
 土松が、「これ論」をお買いあげ 下さったようである。毎度ありがとう。研究室の「これ論」を読んで済ませていたようなので、「借りた「これ論」を読んで書いた論文は通らないとうジンクス知ってる?(注;私 は知らない。だから聞いた)」とメールしたら、購入してくれた。くどいようだけど、脅しじゃないよ、聞いただけ。でも、この質問は有効そうだ(何に?)。
 視力矯正手術(エピ PRK)後八日目。朝、左目に痛みを感じた。時々こういうことも起こるらしい。目覚めてテレビを見たら、すごくくっきり見えて驚いた。こんなの、眼鏡・コ ンタクト時代にも経験したことがない。視力を計ってみると、なんと右目は 1.5 だった。2.0 の欄も、こんなに小さくなければ読める(なんだそりゃ?)と思った。一方の左目は 0.7 だった。謎の能力はそのままで、0.8 - 0.9 の欄は読めず 1.0 の欄が読める。こういう場合、視力は 0.7 なのか、「1.0 限定」なのか?
 世の中がくっきり見えるようなったら、なんか、人類に対する愛が沸いてきた。こ れからは、世の役に立つ立派な人間になろうと思う。
 早いもので、明日は母の一周忌である。明日は、小田原に日帰りする予定。
4/7(木)の進歩 右 1.0、左 0.5 今日で術 後一週間だ。視力検査のホームページで、ちゃんと視力を計ってみた(昨日までのは、暗い壁に検査表を貼ったいい加減なものだった)。そしたらなんと、右が 1.0、左が 0.5 だった。術前はどちらも 0.02-0.03 だったのだから、すごいとしか言いようがない。左眼の状態はちょっと不思議である。0.6 の欄が読めないのに 1.0 の欄は何となくわかったりという、謎の眼 になってしまっているのだ。左目は、昨日書いたようなぶれ感がまだかなりあるので、これが取れればかなり見えるようになるのではないか。
 生命科学研究科の教員会議というものがあった。全教員が参加する会議で、研究科発足以来初めての試みである(今までは教授会しか無かった)。助教授・助 手にも、議論に参加する道が開けたわけだ。とても良い試みと思う。その後、新入生を囲んでの昼食会があった。昼なのでアルコールは抜きに、サンドイッチな どを食べながら教員を紹介するというものだ。私も、壇上に立って一言しゃべった。他の教員は自分の研究のことを話す中、私は、「視力矯正手術をしました。とても幸せです」と話した。場をわきまえてない挨拶 であった。
 人生を賭けた闘いの準備を再開した。スライドの準備はおおかた終わった。でも練習をしないといけない。
 りんかは、フキの調査のために秋田入りしている。今週末から訪花昆虫の観察をするので、学生達も手伝いのために秋田入りする。天気に恵まれるといいね。 頑張って頂戴ね。
4/6(水)の進歩 紙か電子か 昨日に続いて部屋の整 理をした。全部やってしまわないと気になってしょうがない性質なのだ。本棚が増えたので、雑誌を移動して異なる雑誌間の隙間を空ける。どの雑誌も、今後五 年は収納出来る余裕が出来た。隙間が空きすぎて、ちっとも勉強していないみたいで ある。机の中も整理し、無用な物は捨てまくった。たまにこれをやらないと、訳のわからない地層が堆積して大変なのだ。
 雑誌を移動しながら、いつも悩みつつ、「ま、今年くらいいいか」と先送りする問題を考えた。印刷物としての雑誌を購入する必要があるのかということであ る。現在、ほとんど全ての雑誌は電子化されており、インターネットで読むことが出来る。印刷物を購入すると、代金は余計にかかるし、資源の無駄でもある。 だからいつも、印刷物の購入は打ち切ろうと思うのだけれど、いざとなると踏み切れない。思い当たる理由を書き連ねてみよう。

1. 印刷物の方が、素早く見ることが出来る。棚までちょっと歩いて目当ての論文を開くのに十数秒くらいか。電子だと、クリックして待つの繰り返しで結構手間で ある。
2. 印刷物の方が読みやすい。ページをぱらぱらめくるという行為は、電子ではやりにくい。全体の把握しやすさは印刷物が断然上だ。アブストラクトしか読まないのだから関係ない(九割方、アブストしか読まないん だ)という見方もあるか。
3. 電子を印刷物化する(プリントして保管する)のは、結構億劫なことだ。

この中では、1 の理由が一番大きい気がする。電子と、徒歩数分の所(図書館とか)にある印刷物のどちらかを選ぶなら、断然電子だもんな(「遠くの青学より近くのなんと か」の法則。古いか)。各雑誌の次の継続時、どうしよう。印刷物は購入しないのが趨勢になるなら、多分私も従うであろう。
 来週行う、カタクリを用いた学生実習の準備をした。今年から始める実習なので、はたしてどうなることやら。
 術後六日目、両眼視力は 0.8 位か。目標は 1.2 だ。涙でぶれて見えるというか、乱視のような感じというか。両眼とも、近くは見やすくなっている。
4/5(火)の進歩 居室大模様替え 東北大農学研究科 から私の研究室にレンタル移籍することになった木村恵さん(キメグ)が研究室にやって来た。机をどうするかということになり、そこから一挙に、私の居室の 大模様替えへと発展した。知らない方にはわかりようが無いことを承知でいうと、縦半分を占有していた私のスペースを窓側半分に移し、廊下側半分を、共有パ ソコンと雑誌のスペース、さらにはモリナガの特別机スペースとなったのだ。キメグ・オサダ・友蔵・理一・彩子・ケイメイ・石川・みっちーらが手伝ってくれ て、机や本棚を大移動した。退官した広瀬さんの部屋に空の本棚とかがたくさんあったので、ハイエナのごとく襲い略奪三昧した。広瀬さんが見たら、惨状に唖 然とするであろう。ともかくも、空間を有効利用した素晴らしい居室と成り変わった。特に、モリナガの机は素晴らしいにつきる。彩子発案、究極の大人の空間 となった。楽しみにせよ。背後では、キメグ・彩子・みっちーが、雑誌の大移動をしてくれている。しかし私はもう疲れた。先に帰るからね。
 友蔵が好奇心満々に、「改造の結果はどうですか?」と聞いてきた。最高に幸せと答える。しかし両眼視力は 0.3 位しか無い感じだ。うーん。
4/4(月)の進歩 術後四日目 目覚めると、左目に鈍 い痛みを感じた。コンタクトレンズが外れたままにしたのはやはりよくなかったようだ。どのみちこれから東京八重洲クリニックに行って、コンタクトレンズを 外して貰う。今更どうしようも無いことだ。
 新幹線の車中で、溜まっていた日記を書き綴った。それだけ見え方も良くなっていた。その内に左目の痛みも消えた。クリニックでの診察はあっさり終わっ た。角膜はすでに再生しているとのこと。確かにもう、痛みも無ければ、焦点を合わせる辛さも無い。両眼視力は 0.7 しか無かったけれど、これからどんどん良くなっていくという。祝いに大蝦天丼を食べ、じゅりを引き取りに、横浜の暁子の実家へと向かった。久しぶりに見た じゅりは大きくなっていた。いや、強度近視の眼鏡を掛けていたときは物が小さく見えていたのだ。裸眼になって、じゅりってこんなに大きかったんだと実感し た。
 午後になると、見え方はさらに良くなっていた。物を見る辛さは全くない。帰りの新幹線では、文庫本を読みふけった。ちなみに、読んでいたのは「終戦の ローレライ」だ。何気なく読み始めたのだけれど、四冊もあるとは知らなかった。かったるーー。
 今日は、電車の厄日だったのだろうか? 行きの仙台駅では、車両故障を起こして立ち往生している新幹線があった。暁子の実家の三ツ境から横浜へと戻る相鉄線は、横浜に近づいたところで、車両点検 のために十分ほど停止してしまった。横浜から乗り継いだ東海道線は、線路に穴が開いたとかで運転見合わになった。おかげではやてに乗り遅れた。同じ日に、 電車のトラブルに三つも出会わすなんて初めてだ。
 仙台に着いた時はすでに日が暮れていた。そうだ、あれを確かめよう。視力矯正手術をすると煩わされるという、ハロー・グレアというやつだ。どういうもの かというと、角膜を削る範囲は、直径数ミリほどの面積である。夜間に瞳孔が開くと、削らなかった部分も視界に入ってくる(より広い面積を削るためには、角 膜をより厚く削ることになってしまうため、危険である)。削った部分を通ってきた光と、削らなかった部分を通ってきた光は、当然のことながら違う所に像を 結ぶ。そのため、夜間に光を見ると、ぶれて見えたり滲んで見えたりするらしいのだ。さてどんなものかと試してみたら、光の周りを、漫画で描くような光彩が 取り囲んでいた。微妙な条件によって見え方は変わるようで、かなり長い光彩がはっきり見える場合、ぼやけた光彩が見える場合、何も見えない場合があった。 しかし、元々乱視が強く、眼鏡で矯正していても光はぼやけて見えていたので、さして気にはならない。困ったのは、信号の光が五つ見えることであった。遠く から見ると、一つの信号が、くっきりとした五つの光の玉に見えるのだ。最初見たときは、「何だこれ?」と理解不能だった。この見え方は困る。改善されない と大変だ。
 とは言っても今日までのところ、私は大変満足している。今のところ両眼で 0.7 とはいえ、裸眼で生活できているのだ(両眼 0.7 とは、運転可の視力である)。耳や鼻の付け根を痛めつける眼鏡の不快感は無いし、夜に目覚めたとき眼鏡を探す煩わしさもないし、眼鏡を洗ったり拭いたりす る面倒臭さも無い。コンタクトをしていたときの気分になり、寝る前にコンタクトを外さなくちゃと錯覚する嬉しさよ。眼鏡やコンタクトにかけていて時間を一 日に数分は節約できていると思う。二度とやりたくないが、一度はやりたい手術で ある。おまけに、これからどんどん見え方は良くなるというし、事実、半日単位で良くなっている感じだし、毎日が楽しみでしょうがない。
4/3(日)の進歩 術後三日目 痛みは、右目に少々残 るのみ。しかし、焦点を合わせられない辛さはそのままだった。テレビもインターネットも本も駄目で、することがない。暇だ。普段の自分が、眼からの情報に いかに頼って時間を過ごしているのかがよくわかった。しかたなく、BS デジタルのラジオ放送を聴いて過ごした。ところが午後になると、なんか眼の調子が良くなってきた。動きがあるテレビは辛いけれど、インターネットの静止画 面なら読めそうな気がしてきた。試してみると、辛さはあるものの読めないことはない。そしてついつい、昨日の試合の情報確認や、溜まっていたメールを読ん で過ごしてしまった。夕方近くになると、テレビの画面もなんとか見られるようになってきた。少々の辛さに耐えつつ、ビデオに撮っておいたフレンズや義経を 見た。夕食の支度をしながら、抗菌目薬を注した。と、左目のコンタクトレンズが外れてしまった。はめ直そうとしたけれどうまくいかない。本来は術後三日目 に外す(今日は日曜で休診なので、明日外す予定になっていた)ものなので、気にせずほっておくことにした。そうしたら今度は、左目に痛みが出てきてしまっ た。眼の乾きのせいか? しかたない。明日まで我慢しよう。
 新聞を見ようとして、左右の見え方がかなり違うことに気づいた。右目は、近くが見えるのに遠くが見えない。左目は逆に、遠くが見えて近くが見えない。 PRK は視力の回復が遅いらしいので、気にすることもないか。
4/2(土)の進歩 術後二日目 眼の痛みは変わらな い。焦点を合わせられない辛さは、少しだけ改善されているように思う。今日は仙台に帰ろう。帰らねばならぬ。なぜならば今日は、ホームで、ベガルタ仙台対 横浜 FC の試合があるのだ! 私はほんにサポーターの鑑だ。なにしろ、渡された資料によると、「かろうじて眼があけられるようでしたら、活動を再開していただいてけっこうです。ただし 無理はしないで下さい」というのが二日目の状態である。「活動」というのは室内で何かをすることで、まさか、サッカーの応援に行くとは思っていないであろう。途中、東京八重洲クリ ニックに寄り、コンタクトの状態を確認して貰った。今度は、両眼ちゃんと入っていた。そして、新幹線で仙台へと向かった。相変わらず空が眩しい。窓のブラ インドを下ろして寝て過ごした。
 スタジアムに着いて、ちょっと後悔した。眩しくて、手をかざさないとピッチを見ていられないし、ぼけぼけで、試合の様子もよくわからない。両眼視力 0.2- 0.3 といったところか。焦点を合わせられない辛さも相変わらずだ。しかたなく、試合中というのに、時々眼をつぶって休んだ。眼をつぶって「ベガルタ仙台っ!」って応援しているのだから、周りの人は変に 思ったろうな。というわけで、今日は試合についての記述は一言だけ。仙台崩すに工夫はいらぬ、左右に一二度振ればよい。そうしたらすぐ、マークがずれちゃ うんだもん。
 帰宅後、テレビを見ている暁子を後目に。私は、濡れタオルを眼に当てじっと休んでいた。そのくせ酒は飲んだ。だって、手術当日だけ駄目って書いてあった から。
4/1(金)の進歩 術後一日目 眼が痛い。ごりごりし た感じに鈍い痛みにしみる痛みが合わさったようだ。特に右目が痛い。しかし、激しい痛みというわけではなかった。このホテルにもう一 泊するか、あるいは、仙台もしくは横浜の暁子の実家に帰るか。なんかいけそうな気がして、ホテルをチェックアウトしてしまった。外に出ると、上を向いて歩 けない。空をまぶしく感じる上に(術後しばらくはそうなるらしい)、物に焦点を合わせることが辛いのだ。眼を細めながら、足下を見続けて歩いた。物を見る ことが出来ないことがこんなに辛いとは思わなかった。おまけに、右目のごりごり感が増してきた。通り道だからと、東京八重洲クリニックに寄って、眼の具合 を診てもらった。今が一番辛いときというのに病院に現れたので、かなり吃驚したようだ。診察したら、右目のコンタクトレンズが外れているという。どおり で、右目が痛かったわけだ。自分では気づかなかったので、病院に来てよかった。コンタクトレンズをはめ直して貰い出かけようとすると、「無茶です。近くの ホテルを取りますから、もう一泊して下さい」と止められた。ならしょうがないと、東京駅近くのホテルに今日も泊まることになった。
 昨日今日と、思考力が低下している気がする。それと、朦朧とした感じで、自分の行動をよく覚えていない。睡眠導入薬のせいなのか。あるいは、眼から入る 情報が絶たれ、脳が戸惑っているのか。
 PRK は、Lasik(日本やアメリカでは一般的な術式)より安全で眼の見え方も良い術式であると言われた。唯一の欠点は、術後の痛みだそうだ。痛みそのものも 確かに辛い。しかしそれ以上に、焦点を合わせられないことの方が辛く感じる。正直、もう二度と受けたくないと思った。とはいっても、二日酔いよりはましだ とも思った。