こ れから論文を書く若者のために

改訂第二版 1999.1.21. ver. 2.1

酒井 聡樹(東北大学大学院理学研究科生物学教室)

若手研究者のお経


この文章は、日本生態学会関東地区会会報 (1994 年発行)に掲載されたものを改訂したものです。

この文章は、以下の二つに基づいています。

面白い論文の条件

論文書きの歌


研究者にとって、論文を書くことは研究の目的ともいえることである。どんなに素晴らしい仮説を持ちどんなに素晴らしい検証をしても、それを論文に しなければ何の意味もない。学会発表はもちろん重要だ。しかしそこは、自分の研究を宣伝したり意見を仰いだりする場であり、研究を正式に発表する場ではな い。研究発表の正式な場は論文である。論文を書かないということは、研究をしていないということである。
 だから、日本生態学会大会でたくさんの面白い研究発表がなされているのに、論文を書かずに終わってしまうことが多いのは非常に残念に思う。論文を書くの はたしかに大変だ。とくに、論文を書いた経験のほとんどない若い研究者には、論文を書くということはとてつもない作業に見えるであろう。本稿は、こうした 若者が論文を書こうとする上で少しでも手助けになればと用意した。間違いなく、私はこのような文を書くのに適任ではない。私の論文はわかりづらいらしく、 おまけにリジェクト(投稿した論文が掲載不可と判定されること)ばかりである(1998.8.24 現在 33 回。我がことながら信じられんな)。しかし、論文を書く苦労・論文をアクセプト(投稿した論文の掲載が認められること)させる苦労は随分と味わってきてい る。裏街道を歩んできた人間にはそれなりの凄みがある。若者に向けて、私が経験から学んだ知恵を書いてみたい。

 

面白い論文の条件

まず始めに面白い論文の条件を考えてみよう。たいていの場合、書いた本人はその論文を面白いと思っている。書いた本人がつまらないと思っている場 合、その人は謙虚なのかもしれないが、本当につまらない論文である。困るのは、自分では面白いと思っても他人にはつまらなく見える(あるいは理解できな い)ことが多いことだ。この場合、他人の評価の方が正しいのがほとんどである。私もこのギャップには随分悩んだ。そして、面白い論文の見分け方を開発しよ うと思いついた。その結果が「面白い論文の条件」である。一言でい うならば、論文の面白さとは驚きの大きさであると思う。

 

必要条件

1. 読者が答えを知りたくなる問題を提示する 読者はテレビの前の視聴者と同じである。気まぐれな視聴者は、興味が湧かないとすぐにチャンネルをかえ てしまう。読者の興味を引かないと、けっして面白いと思ってくれないし、ほとんどの場合、論文を読んでさえくれない。読者の興味を引くためには、「なるほ ど不思議だ」「なるほど重要だ」と読者に思わせる問題の提示をすることである。

2. わかりやすく書かれている 意外に思うかもしれないが、論文に対する評価のかなりの部分はその論文がわかりやすいかどうかにある。たとえば Nature は、「重要度」「学際性」「意外性」と並んで「わかりやすさ」を掲載論文に求めている(Nature Japan ホームページ)。 Evolution では、論文がリジェクトされた理由のほぼ半分はわかりにくさゆえであった (Endler 1992)。考えてみれば当然であろう。どんなに素晴らしい発見が書かれていたとしても、読んでわからなければ読者に伝わるはずがないでは ないか!(「素晴らしい発見ならば誰かがわかってくれる」などと思うのは大間違い。研究者の世界はそれほど甘くない)。論文を書くという段階まで来たら、 「わかりやすくすること」を最大の目的として努力すべきである。
 こう力説するのも、あなたが書く初稿はまず確実に読解不能のものだろうと思うからだ。私の場合も、最初の五つの論文の初稿はおそらくわけのわからない代 物であった(矢原 徹一さん・竹中 明夫さん・菊沢 喜八郎さんらが詳しい)。どうにか人に見せられる初稿が書けたのは六つ目の論文である。六つ目の論文の初稿を見て下さった矢原さんが、「これ初稿?」と驚 いた時の喜びはもうすっかり忘れてしまった。私はこの時いくつかのコツを覚えた。以下にそれをまとめてみる。

1) 人の論文の真似をしろ もちろん、データまで真似したらそれは盗作である。しかし、説明の仕方や文章表現はどんどん真似するべきであると思う。自 分の論文に対しては客観的な見方ができなくても、人の論文はわかりやすいかどうか判断することができる。自分がわかりやすいと思った論文をいくつか手元に 置いておいて、説明の仕方や文章表現に困ったらそれらを参考にした方がいい。

2) できるだけ短い論文にしろ 論文をわかりやすくする上で確実な方法は、可能な限り短い論文を書くことである。一つの論文では一つのことしか主張し ないようにしよう。二つ以上主張したいことがあるならば二つ以上の論文にわけた方がよい。そして、その論文で主張したいことを読者に納得させるためには最 小限何が必要か考えてみる。不要な情報は一切捨ててしまおう(ここらへんのことは Endler (1992) が詳しい)。無駄のないすっきりした論文ほどわかりやすいものはない。

3) 書き出しの一文に魂をこめろ 一つの論文は何百何千という文から成る。その中で一番大切な文を選ぶならば、イントロダクションの書き出しの一文を 私は選ぶ。その次に大切なのがディスカッションの書き出しの一文。次の次に大切なのが各段落の書き出しの一文である。書き出しの一文には、それに続く論 文・節・段落が扱おうとしているテーマが象徴されていなくてはならない。そしてそれに続く文章で、そのテーマに関する議論を発展させる。書き出しの一文に 注目して誰かの論文を読んでみよう。わかりやすい論文ならば、各段落の書き出しの一文を追っていくだけでだいだいのメッセージをつかむことができるはず だ。

4) 一つの文では一つのことしか言うな 複数の情報が詰まった文など、「倹約的」でもなければ「合理的」でもない。読みにくくいらいらさせられるだけ である。一つの文では一つのことしか言わないようにしよう。そうすれば、文章は非常にすっきりしたものになる。

 なお、こうした文章の技術的なことに関しては Technical Writing World が参考になる。以上二つは、面白い論文のための必要条件である。以下は十分条件である。私は、十分条件の内どれか一つでも満たす論文に対して驚きを覚え面 白いと感じる。

 

十分条件

1. 読者の気づかなかった問題を提示する 誰も気づかなかった問題を発見することの意義は大きい。たとえば、「大きな植物は大きな種子を作るのか?」 (Thompson and Rabinowitz 1989) などということを私は考えたこともなかった。古くは、「一年草は、栄養生長から繁殖生長へどのように切り替えるのが最適か?」(Cohen 1971) という問題提起もそうである。一年草は、種子から発芽して葉や茎を作ってやがて花をつけるようになる。葉や茎を作る栄養生長から花や種子を作る繁殖生長へ とどのように移っていくかなど、とくに気にもとめない人が多いだろう。ところが Cohen は、この移り方にも最適な方法があり、それは、栄養生長から繁殖生長へある日突然すっぱりと切り替わるものだと主張した。Cohen の問題提起は、20 年以上たった今も途絶えることのない研究の流れを作ったのである。

2. 新しい方法で問題を解決する ここでいう方法とは、問題を解決するためのアイディアや仮説であってもいいし、実験や調査の手法であってもいい。た とえば Honda (1971) は、簡単な二叉分枝の規則を用いて樹木を立体的に描いて見せ、分枝角度の大きさや枝の長さの比が樹形にどのような影響を及ぼすのか調べた。Honda の簡単でかつ本質をついたモデルは驚きであった。また Givnish (1982) は、草丈の競争をゲームモデルで捉えて見せた。これとても今まで誰も思いつかなかった切り口であり、私は大きな影響を受けた。

3. 読者が予想できない結果を出す Nature は、永久運動が不可能であることを証明した論文よりも、永久運動が可能であることを証明した論文を優先するという (Nature Japan ホームページ)。これは、前者の証明が読者に予想のつくことであるのに対し、後者の証明は読者の予想を裏切るものだからであろう。つまり、答えの 見当が読者にはつかなかったり、読者の予想と違う答えが出てくる論文は面白いということである。生態学においてよくある例は、説得力のある仮説が、実証的 研究によって否定されてしまう場合である。たとえば Smith and Fretwell (1974) は、種子サイズは親個体の資源量に関わらず一定であるべきだという非常に説得力のあるモデルを提出した。しかしその後、この予測を裏切るデータ(種子サイ ズには集団内で大きな変異がある)が続々と出てきた。これらの論文は、Smith and Fretwell のモデルを信じていた多くの人の予想を裏切るものでありとても面白いものと思う。逆に、実証的データから信じられていたものが、理論的根拠を失ってしまう こともある。たとえば虫媒花では、自殖率が大きくなると花冠サイズは小さくなることが多い。これは、自殖率が高いと花粉の量が減るため昆虫に来てもらう必 要が減り、そのため花冠サイズが小さくなるのだと多くの人が信じていた。ところが Sakai (1993) は、花の大きさと数のトレードオフを取り入れて計算すると、花冠サイズは自殖率によらず一定になってしまうことを示した。誰も言ってくれないから自分で言 うが、この論文の結論は誰も予測していなかったものであり面白いと思う。

以上、私が考える面白い論文の条件を書いた。上記の条件に賛成して下さるならば、自分の研究をあてはめて、それが面白い論文に成りうるかどうか考え てみよう。
 ただ、ここであげた条件は、これから論文を書こうとする若者にはちょっと厳しすぎるかもしれない。もし、論文を書いた経験がないのならば、とにかく最 初の論文を書くことを強く勧める。最初の論文は、一つの論文を書いたということよりはるかに大きな意味を持つからである。つまり、論文を書くこと を目的として研究を進めるという、研究者にとって不可欠な姿勢を身につけることができるのだ。たとえば、今まで漫然と行っていた実験や調査を、論文を書く ためという明確な目的意識をもって行うようになる。「こういう論文を書こう。そのためにはこれこれのデータが必要だ」という発想で研究をするようになる し、「どういうデータがあればそのことが言えるのか」ということを常に意識して実験や調査を行うようになる。最初の論文が、あなたをすっかり変えてしまう のだ。
 論文を書く実力(=研究する実力)は、論文を書くことでしか養うことができない。論文を書こう。最初の論文・二つ目の論文・三つ目の論文 と、論文を書くほどにあなたの実力は確実に上がっていく。そうすればきっと、面白い論文の条件を満たし国際誌に載るような論文が書けるようになると思う。 重要なのは、今のあなたにとってベストの論文を書くことである。
 ただ、小学校の気象観測的な「論文」だけは止めていただきたい。小学校の気象観測(毎日毎日交替で温度や湿度を計り、誰かがサボってデータに穴が空く と、道徳の教科書の題材にされて戒められるもの)に科学的な目的は無い(教育的な目的はあるかもしれない)。そして、目的も無く取ったデータは「論文と称 するもの」にしかならない。「論文と称するもの」に時間を費やす暇があるならば、自分の研究の目的を一から考え直すべきである。
 さてこれから、論文を書きアクセプトさせるための私なりの知恵を紹介したい。酒井・酒井 (1994) は、暇だったので「論文書きの歌」を作った。以降、この歌 の歌詞に沿って話を進めていくことにする。「論文書きの歌」は長い。それ は、論文を書きアクセプトされるまでの道のりがいかに長いかを現している。なお、この歌では、イントロダクションからディスカッションまで(アブストラク トを除き)論文の順序通りに並んでいる。しかしこれはその順番通りに書けということではない。マテメソ(材料と方法)とリザルトを先に書き、イントロダク ションとディスカッションを後にするのが普通のやり方である。


1. タイトル短く中身を要約 書き手のねらいをわからせよう ホー!

タイトルは、論文の中身を読者が知るための貴重な手がかりである。論文に興味を持ってもらうための第一のチェックポイントと言ってもいい。そのため には、論文の中身を出来るだけ正確に表現する必要がある。また、タイトルに使われている言葉は、論文の中身を知るキーワードとしての機能を果たすことも忘 れてはならない。タイトルを読むというよりも眺めるという感じで、自分の研究に関係ありそうな単語に反応してページをめくることも多いのだから。さらに は、惹きつけるタイトルにする工夫も必要である。たとえば、「永久機関は可能である」というタイトルの方が、「永久機関の可能性についての研究」というタ イトルよりも魅力的であろう。


2 構想練ったら雑誌を決めよう 必ずあそこに載っけるぞ ホー!

気持ちを奮い立たせるためにも、目標を明確にするためにも、投稿する雑誌はできるだけ早く決めた方が良いと思う。
 目指すはもちろん国際誌である。なぜか ........?第一に、国際誌に載っている方が目立つからだ。一人の研究者が、自分の分野の全雑誌に常に目を通しているわけもなく、た いていの人が常日頃読んでいるのはその分野の国際誌である。もちろん、文献データベースを用いて定期的に論文を検索して、マイナーな雑誌に載った論文の情 報も拾い上げているであろう。しかしやはり、目につき易いという点では、常日頃気にかけている国際誌の方が断然上なのである。また、国際誌ならばたいてい の図書館に備えられているが、マイナーな雑誌だと図書館にないものも多い。論文が手に入り易いという点でも国際誌の方が有利である。第二に、論文に 対する信用も違う。つまり、国際誌に載っている論文は真面目に読んでもらえるが、マイナーな雑誌に載っている論文はあまり真面目に読んでもらえな い傾向があるということだ。だから、同じ論文であっても、国際誌に載っている方が評価される可能性が高くなる。こういう風潮を批判するのもいいが、それな ら国際誌に載せてやろうという野心を持ってもいいではないか。第三に、国際誌に載せることは、あなたの研究能力を高めることにもつながる。当 然のことながら、国際誌に論文を載せるためにはレベルの高い研究を行わなくてはならない。研究のレベルを高めるための苦悩・国際誌に載せるための苦闘が、 あなたにとってプラスとなるのは言うまでもないことである。
 とはいえ、国際誌はアクセプト率(アクセプト論文数/投稿論文数)が低い(アクセプト率の例参照)。論文のほとんどないあなたが、国際誌に載らないか らとその論文を諦めてしまうのはよくない。とにかく論文を書き上げて投稿しよう。論文を書く経験を重ねていけばきっと国際誌に載せられるようになる。大事 なのは、「国際誌に載せる」という気概を失わないことである。なお、若いあなたは、国内の雑誌を育てようなどと考えなくてよろしい。こういう心配は功成り 名を遂げたもののすることである。あなたにとって重要なのは国際誌を目指して自分を鍛えることであり、国内の雑誌に出してあげることではない。
 それではどの国際誌を目指すべきか?これを決めるには、各雑誌の性格を知ることが大切である。たとえば、American Naturalist は概念的な変革をもたらす論文を喜び、Journal of Ecology はデータの厚みを求める。アメリカの雑誌は単純化した理論を歓迎し、イギリスの雑誌は現実的な理論を求める(これは私の印象)。投稿先を決める上でこうし た違いは軽視できない。ある雑誌で酷評された論文が別の雑誌で絶賛されたりしちゃうからである(絶賛される方を選びましょうね)。もちろ ん、Evolution や Journal of theoretical Biology・ Journal of Vegetation Science と並べてみるとわかるように、雑誌によって対象とする分野も違う。だから、雑誌の対象からはずれた論文と判断されると、レフリー(論文の審査員)にも回さ れずにリジェクトされてしまうことになる(「論文審査のプロセス」を参照 のこと)。実際にどういう論文が載っているのかを見ればその雑誌の性格もつかめる。また、エディターのレター(毎年あるいは何年かに一度載せる雑誌が多 い)や雑誌の投稿規定・Editorial Board(編集委員会)の構成メンバーも、その雑誌の性格を知る上で役に立つ。まあ最初の内は、誰かに相談して投稿先を決めた方がいいであろう。


3. イントロ大切何をやるのか どうしてやるのか明確に ホー!

目的のわからない作業は大きな苦痛である。たとえば、「さあ、始めよう」といきなり言われても、何を始めるのかわからないので始めようがない。「こ こに穴を掘るのだ」と説明されても、どうして穴を掘らなくてはならないのかわからないからやる気が出ない。「徳川幕府の埋蔵金が埋まっている」と教えられ て、初めて、穴を掘ろうという気になるのである。これは論文でも全く同じだ。イントロダクションでは、

1) 何をやるのか     例:穴を掘る
2) どうしてやるのか   例:徳川幕府の埋蔵金が埋まっているから

を明確にしなくてはならない。そうでなければ、読者はついてきてくれないし、ましてその論文に興味など持ってくれない。例で見てみよう(例は架空の ものである)。

 

ヤマユリにおける、種子の大きさと花びらの大きさの関係

by ジョン・カーター

ヤマユリは、日本の山地帯に広く分布する多年草である。初夏に、直径 8 - 15 cm ほどの白い花を 1 - 数個つけ、秋に、長さ 5 - 10 cm ほどの果実を実らせる。一つの果実には、数十ー数百個の種子が入っている。種子の大きさは個体間で異なり、大きなもので 10 mg くらい、小さなもので 2 mg くらいである。本研究では、ヤマユリにおける、1種子の大きさと花びらの大きさの関係につ いて報告する。


この例では、ヤマユリの説明の後、唐突に「1. 何をやるのか」(太字 1)が書かれている。しかし、「2. どうしてやるのか」は一言も説明されていない。これでは、どうして「種子の大きさと花びらの大きさの関係について報告する」必要があるのかさっぱりわから ない(カーターしっかりしろっ)。読者は、あなたの論文の目的と意義は何なのかを知るためにイントロダクションを読んでいる。そういう読者に対して種子の 大きさと花びらの大きさを調べるとだけ述べては、「それでどうするの?」「何の意義があるの?」という罵声が帰ってくるだけである。
 「1. 何をやるのか」は誰だって書く。しかし、イントロダクションでは「1. 何をやるのか」さえ書けばいいと思っているとしたらそれは大きな間違いだ。「2. どうしてやるのか」の説明がないイントロダクションは論外と心得るべきだ。
 では、こうしてみようか。


by ジョン・カーター(再提出)

ヤマユリは、日本の山地帯に広く分布する多年草である。初夏に、直径 8 - 15 cm ほどの白い花を 1 - 数個つけ、秋に、長さ 5 - 10 cm ほどの果実を実らせる。一つの果実には、数十ー数百個の種子が入っている。
 種子には、その種子が発芽して幼植物へと発達するための養分が蓄えられている。そして、種子が大きい(貯蔵養分が多い)ほど、死亡せずに幼植物に発達で きる確率は高い。また一般に種子の大きさは、個体間で大きく変異することが知られている。例えばヤマユリでは、大きな種子で 10 mg くらい、小さな種子で 2 mg くらいである。2しかし、種子の大きさと花びらの大きさの関係はわかっていない。本 研究では、ヤマユリにおける、1種子の大きさと花びらの大きさの関係について報告する。


今度は、「2. どうしてやるのか」(太字 2)が書かれている。しかしみなさん、これで納得するであろうか?著者の論理は、「種子の大きさと花びらの大きさの関係はわかっていない」からそれを調べ る、これだけである。もちろん、ヤマユリにおいてこのことはわかっていないのであろう。しかし考えて欲しい。研究なのだから、わかっていないこと (やられていないこと)を調べるのは当たり前である。だから、わかっていないから調べるという研究動機は、読者にとっては言わずもがなのことでし かない。世の中にはわかっていないことが無数にある。その中から、何か一つをあえて選んでその論文で調べるのだ。それを知ることにどういう価値があるの か、どうして研究としての価値があるのかを示さないと読者は納得してくれやしない。
 この二つ目の例は、悪いイントロダクションの典型である。その論理は、

1) A を明らかにすることを目的とする
2) なぜならば、A が明らかになっていないからだ

というものである。「ここに穴を掘ろう。なぜならここに穴がないからだ」と言われて納得する人はいまい。どうして A を明らかにする必要があるのか、これを読者に納得させることがイントロダクションの使命と考えて欲しい。


by ピーター・ベントン

種子には、その種子が発芽して幼植物へと発達するための養分が蓄えられている。そして、種 子が大きい(貯蔵養分が多い)ほど、死亡せずに幼植物に発達できる確率は高い。しかし、親個体が種子生産に投資できる資源には限りがあるため、個々の種子 を大きくすると生産できる種子数は少なくなってしまう。Smith and Fretwell (1974) は、「個々の種子が幼植物に発達できる確率×生産種子数」が最大となるのが最適な種子の大きさであり、最適な種子の大きさは、親個体の大きさに関わらず一 定であると予測した。この予測が正しければ、ある植物種では、大きな親個体も小さな親個体も同じ大きさの種子を着けているはずである。しかし現実には、種 子の大きさは、個体間で大きく変異することが知られている。なぜ、種子の大きさは個体間で変異するのであろうか?
 虫媒花の場合、花びらが大きいほど訪花昆虫をたくさん呼び寄せることができる。胚珠が受粉しないと種子はできないのだから、花びらの大きさは、その花が 作る種子の数・大きさに影響するかもしれない。本研究では、花びらの大きさの違いが、種子の大きさの個体間変異を生むという仮説を提唱する。そしてヤマユ リを用いて、種子の大きさと花びらの大きさの関係を調べ、この仮説の予測と一致するかどうかを見る。


これならば私は納得する(さすがベントン先生だ)。論文の面白さの必要条件「 読者が答えを知りたくなる問題を提示する」は、「2. どうしてやるのか」がしっかりと書かれていてこそである。
 パターンさえ覚えれば、イントロダクションを書くのはそれほど難しくないと思う。私の最近の論文のイントロダクションは以下のパターンが多い。

1) 問題とする現象を紹介する。
2) その現象のどこが不思議なのかを説明する。そして、その現象についてどこまで解明されているのかレビューする。
3) 新しい視点を導入する(あるいは、今までの研究の問題点を指摘する)。
4) 新しい視点を導入した(今までの研究の問題点を補った)解析をすると述べる。

イントロダクションの書き方のパターンは他にもある。いろいろな人の論文を参考にして書き方のパターンを身につけて欲しい(イントロダクションの作 り方のこつに関しては、「イントロダクションのこつ - イントロ折り紙に挑戦 -」を参照のこと)。


4. マテメソきちっと情報もらさず 読み手が再現できなくちゃ ホー!

何のためにマテメソ(材料と手法)を書くのかといえば、読者が研究を再現できるようにするためである。読者が再現できないような論文を書くのは科学 者として公正な態度とは言えない。マテメソをきちっと書く習慣をつけよう。


5. いよいよリザルト中身をしぼって 解釈まじえず淡々と ホー!

調べたことを、もったいないからと何でもかんでも結果に載せるのはいただけない。論文は資料集ではない。得られたデータを元に、何らかの主張をする ためのものである。したがって、論理構成に必要なデータだけを選び、短くてすっきりした論文にした方がよい。紙の上に、問題提起から結論に至るまでの論理 の流れを書いてみよう。そしてそこに必要なデータをはめ込んでみる。論理の流れにのらないデータは論文に載せるべきではないと私は思う。たしかに一方で、 データ自体が重要なのであり、たくさんのデータを載せることの意義を強調する考え方もある。たとえば、種子の発芽率に興味を持っている研究者は、種子の発 芽率のデータが載っていれば喜ぶであろう。しかし私は、データがあること自体を喜ばれるのは論文の書き手にとっては不本意なことであると思う。データを 絞って、短くてすっきりした論文にすることのメリットの方がはるかに大きい。


6. 山場は考察あたまを冷やして どこまで言えるか見極めよう ホー!

論文を書いているとき、あなたの頭はかなり熱くなっているはずである。10 の価値のものが 20 の価値に、一歩の前進が三歩の前進のように見えている。しかし他人の目から見るとそのような論文は「言い過ぎ」である。論文を書くというのは、自分 の主張を小さくしていく作業である(大きくする努力は、アイディアを練ったりデータを取って解析したりする段階にすべきことだ)。小さくし過ぎは しないかと思う方もいるかもしれないが、まずその心配はない。できるだけ頭を冷やして、言い過ぎのない論文にするようにしよう。頭を冷やすには、初稿を書 いてからしばらく論文を寝かす(その原稿のことはきれいさっぱり忘れる)ことが有効である。しばらくぶりに見るあなたの原稿は、どうしてこんなことが言え るんだという恥ずかしさに溢れているであろう。それでいいのだ。論文の正しい評価があなたにも見えてきたということである。
 また、あなたの主張したいことが明確でないと、その論文で結局のところ何を言いたいのかわかってもらえない。これでは、イントロダクションでどんなにす ばらしい問題提起をしても水の泡である。提起した問題に対する答え - あなたの主張 - をディスカッションで明確にすることを忘れてはならない。


7. 本文できたらアブスト書こうよ 主要なフレーズコピーして ホー!

アブストラクトは、本文が完成してから書くと楽である。たいていの場合、イントロダクションとディスカッションに論文のキーフレーズがある。それら をコピーしてつなげればアブストラクトの骨子はできてしまう。しかしそれで終わらずに、アブストラクトを独立の読み物として錬るようにしよ う。インターネットが発達した今日、アブストラクトの重要性が非常に増しているからである。雑誌の出版社のホームページでは、論文のタイトルとアブストラ クトを見ることができたりするし、文献データベースで検索すれば、関連論文のアブストラクトが簡単に手に入る。こうした読者は、アブストラクトを読み、そ の論文を手に入れようとするか決めるわけだ。論文の内容をわかりやすく正確に伝えるのはもちろんのこと、魅力的なアブストラクトにして読者を惹きつけるこ とも大切である。


8. 複雑怪奇な図表はいけない 情報減らしてすっきりと ホー!

一つの図表にできるだけたくさんの情報を載せようとするのは間違いである。逆に、一つの図表の情報はできるだけ減らし、一つの図表が一つの情報しか 持たないようにしたい。そのかわり図表の数が増えるのはかまわない。図表は、何も考えていなくても、また、本文を読んでいなくても理解できるようにすべき である。ただここで、一つの図表に一種類のデータしか載せるなと言っているのではない。複数の種類のデータを比較することによって一つの情報を成すのなら (たとえば、A 種と B 種での種子の発芽率の比較など)、それらは当然一つの図表に納めるべきである。


9. 文献リストのチェックも忘れず 漏れなくリストに載ってるかい ホー!

案外漏れてしまうのが引用文献である。しっかりとチェックしよう。なお、End Note Plus などの文献整理ソフトとそれに対応したワープロを使えば、文献リストを自動的に作成することも可能だ。雑誌の書式に合わせて文献リストの書式も設定でき る。これは、リジェクトされた論文を別の雑誌の書式に変更して投稿するときに便利である。こうしたソフトも積極的に利用して欲しい。
 ここで一つ、文献の集め方と整理の仕方について述べておきたい。文献の情報収集の仕方としては、1) Ovid など電子データベースで検索する 2) 目次雑誌で調べる 3) 雑誌のホームページを 訪れる 4) 雑誌を直接見る 5) 論文の引用文献を見るなどがある。可能ならば、電子データベースを是非使って欲しい。文献を漏れなく検索するのにこれにかなうものはないからだ。目次雑誌 を調べるのは今となっては時代遅れであろう。目次雑誌の老舗であった Current contents も電子化されているしね。雑誌のホームページの充足ぶ りは近年著しく、タイトル・アブストラクトはもちろん、本文さえもインターネット上で見ることができるようになりつつある(ただし有料)。いろいろな雑誌 のホームページを登録しておいて、こまめに訪問するようにしよう。情報の速さという点でも、雑誌を直接見るよりも上である。だからといって、雑誌を直接見 るという伝統手法もまだまだ捨てるわけにはいかない。現時点では、どの雑誌も電子メディアで提供されているというわけではないし、研究環境や費用などの制 約のため、電子メディアを利用しにくい場合もあるであろうから。あなたが読んでいる論文の引用文献には、あなたの興味に近いものが集まっているであろう。 また、どういう論文が世間的に重要とされているのか理解する上でも役立つ。
 文献の整理に関しても、文献整理ソフトを使うことを強く強くほんとに強く勧める。文献の数が少ないうちはよい。しかしやがては、文献箱の 中から目当ての文献を探し出すことが至難のわざになってしまうからだ。以下は、破滅へ典型的な道筋である。

1) 希望を胸に研究室に入る。
2) 文献を集め始める。集めた文献は、著者名のアルファベット順に並べる。文献の数が少ないので、目当ての文献はすぐに出てくる。
3) 文献の数が増える。著者名やタイトルを忘れてしまうこともあるが、文献箱を順繰りに探せば目当ての文献は見つかる。
4) 初めての論文を書く。必要な文献を机の上に揃えておく。論文が完成したら、文献を元に戻しておく。
5) 研究対象や興味が広がる。文献をいちいちアルファベット順に戻すのは面倒なので、分野別に整理することにする。たとえば、「自殖率」「種子生産」「訪花昆 虫」というように。
6) 目当ての文献をどの分野にしまったのかわからなくなる。該当しそうな分野を順繰りに探しようやく見つけだす。
7) すでに文献の数は 1000 を越え、整理分野も、「自殖率」「種子生産」「訪花昆虫」「花関係」「種子の休眠」「性投資」「最適生長」とわけがわからない。目当ての文献を探し出すの が困難となる。
8) 文献を探そうとするからいけないのだと悟り、必要な文献は新たにコピーするようになる。

8) に至っては、何のために文献を持っているのかわからないといえる。こうならないためにも、できるだけ早く文献整理ソフトを使うべきだ。利用 の要は、

1) 文献に整理番号をふり、整理番号順にしまっておく
2) 文献整理ソフトに、文献の整理番号と必要情報(タイトル・著者名・出典・キーワード・アブストラクトなど)を記録しておく

ことである。そして、タイトル・著者名・キーワードなどから整理番号を検索すればよい。これだけで、文献を探すいらいらは解消である。キーワードで 検索すれば、関連する手持ちの文献がたちどころにわかるというのも大きな利点である。なお、電子データベースで検索した情報を ファイルに取り込むことができるソフト (EndNotePlus 3.0 など)もあるので、アブストラクトを含め必要情報を簡単に揃えることができる。アブストラクトを取り込んでおけば、文献そのものを出さなくてもすむことが 増えるであろう。また、文献を入手した動機や経緯(何の論文を書くために集めたのか・どういう興味で集めたのか・どの文献の孫引きかなど)を文献とファイ ルの両方に記録しておくとあとあと助かる。
 さて次の問題は、いつ文献集めをするかということである。常日頃文献を集めておくのは当然だが、論文を書くにあたっては、必要な文献を改めて調査しなけ ればならないのが普通である。私のお奨めは、必要なデータが揃った段階で 2 - 3 週間文献集めに没頭することである。それが終わったら、世間の動向を整理して改めて論文の構成を練る。そして一気に論文を書き始めよう。文献を集めながら 論文を書くのはいただけない。新しい文献を見つけるたびにあなたの心はぐらいついて、論文の方針が右へ行ったり左へ行ったりしてしまうやもしれない。ひと たび論文を書き始めたなら、文献集めなどすぱっと忘れてしまうがよい。論文を書くのに必要なのは思いきりの良さだ。


10. 完成したなら誰かに見せよう 他人のコメント必要だ ホー!

原稿を完成させたあなたは、自分の論文にすっかり慣れてしまっているであろう。ある文を読むと次の文が浮かび、頭を使わずに字面を追うだけで意味を 理解してしまう。論文の論理構成は体で覚えてしまっているので、あなたには論理は流暢に流れるているように見える。しかしたいていの場合、あなたの論文は 他人の目にはわけのわからない代物である。論文が完成したならば、誰か複数の人に見てもらうことが絶対に必要だ。他人に見てもらった原稿が 真っ赤になって帰ってきても気にする必要はない。最初の内は、初稿など完全に崩壊してしまうのが普通である。
 私は昔、未完成の原稿を渡して随分迷惑をかけた。人に見せるならば、自分では完成したと思う原稿を見てもらうべきだと思う。これは第一 に、貴重な時間を割いていただく方に対する礼儀である。第二に、完成品でない原稿を人に見せるのは自分のためにもならないからだ。論文を書く実力をつける には自分の頭で考え苦悶することが一番である。完成品でない原稿を見せるということは、(ある段階からは)自分では考えないで人に考えてもらうということ である。これでは論文を書く実力はつかない。第三者からはどんなに稚拙な原稿に見えても、自分としてはこれ以上ないという原稿を見せるべきである。


11. お世話になったらお礼を言わなきゃ 一人も残さず謝辞しよう ホー!

これは当然のことである。また、レフリーに対しても謝辞しておいた方が、レフリーの印象が良くなってお得である。ただし、投稿したときに初めからレ フリーへの謝辞を入れておくと真心を疑われる。改訂稿でレフリーへの謝辞をつけ加えるようにしよう。また、文部省の科学研究費など公的な研究費を使ったな らば、そのことも明記しておく必要がある。


12. 最後の仕上げは英文チェックだ 英語を磨いて損はない ホー!

英語の拙さはエディターやレフリーのいらいらの元であり、ときにはリジェクトの理由になりうる。つまらないことでエディターやレフリーの怒りをかっ てはならない。外国の雑誌に投稿するならば、英文校閲を前もって必ず受けておく必要がある。校閲は、同じ分野の研究者で英語を第一言語とする人に してもらうのが理想である。研究者に見てもらうのが無理ならば、あなたの分野の論文の校閲経験が豊富な、英語を第一言語とする人(がやっている英文校閲業 者)に見てもらおう。その人がどんなに英語に堪能であっても、英語が第一言語でない人に任せてはならない。微妙な表現とかで、第一言語とする人とではどう しても違うのだ。
 たぶんあなたの研究室には、御用達の英文校閲(業)者がいるであろう。どこに英文校閲を依頼すればいいのか、投稿経験のある人に聞いてみるとよい。研究 室の誰に聞いてもわからなかった場合は、「こんな研究室は出てやる」と決意した後、、インターネットの Yahoo! JAPAN, NTT DIRECTORY などで、英文校閲・英文校正・英文チェックなどをキーワードに探してみると良い。けっこうたくさんの英文校閲業者が見つかるはずである。
 英文校閲は、論文が完全に完成した段階で出した方がよい。中途半端な段階で校閲に出し後でまた中身を直していたのでは、せっかくの英文校閲が無駄になっ てしまうからである。


13. いよいよ投稿お金を惜しむな 特別便なら速く着く ホー!

論文が早く届くに越したことはない。お金を惜しまずに特別便を使おう。外国の雑誌に投稿する場合、国際エクスプレスメール(EMS)が早くて確実で ある。だいだい二千円前後で送ることができる。ただし、初めて使う場合には簡単な登録をする必要がある。
 投稿前に、その雑誌の投稿規定 (Instructions to Authors, Advice to Authors など) をよく読んでおくことも忘れてはならない(投 稿規定の例)。送付先はもちろん、何部送るのかとか、原図をいきなり送るのかどうかなどは雑誌によって違うからだ。原稿の書式 ("Introduction", "Results" などの字体や参考文献の書き方・表の体裁など)も、投稿規定や最新号の論文を参考にして合わせておこう。投稿規定は、雑誌の現物に載っているし(毎号載っ ている雑誌や、年頭の号だけに載っている雑誌などがある)、雑誌のホームページでもたいてい公開されている。参考までに、投稿時に送るべきものを上げてお く。

必ず送るもの
1) 添え状(下記参照)
2) 本文・表・図や写真の説明・図や写真のコピー(部数は投稿規定参照のこと)

雑誌によって異なるもの(送るかどうかは投稿規定参照のこと)
3) 図や写真のオリジナル
4) 本文・表・図や写真の説明・図や写真のファイルを納めたフロッピーディスク

本文・表・図や写真の説明は、タイトルページを1として通し番号を打つのが普通である。写真のコピーは鮮明なものを送るように心がけよう。フロッ ピーディスクは、論文がアクセプトされてから送る雑誌がほとんどである。
 送付原稿には添え状をつける必要がある(添え状の書き方は、黒木・藤田 (1984) が参考になる。うねやまさんのページ「論文を書こう」では、数 々の実例が公開されている)。添え状に、論文の内容を簡潔に説明しその面白さをアピールする文章を書いておけば、エディターがその論文の内容を理解する上 で参考になるであろう(Nature のように、アピール文を義務づけている雑誌もある)。上手にアピールすれば、論文に対してエディターに好印象を抱かせることができるかもしれない。添え状 で、論文のレフリー候補を上げさせる雑誌もある(投稿規定に書いてある)。その場合は、投稿経験の豊富な人に相談して味方になってくれそうな人々を教えて もらい、それらの人々をレフリー候補にあげるようにしよう。「レフリー候補を上げよ」と書いていない雑誌であっても、レフリー候補を自主的に上げておいて もかまわないと思う。論文審査において有利になることがあっても、不利になることはまずないからである。スクール間の意見対立がある分野では、そのことを 配慮してもらえるように記した方がよい。あるスクールの人々からは確実に批判されるとわかっている場合は、これこれの理由でその人々をレフリーに選ばない で欲しいと書くようにしよう。
 添え状にアピール文を載せる場合は、原稿と一緒に英文校閲に出した方が無難である。へんな英語で書くと逆効果になるだろうから。
 添え状には、あなたが属する研究機関の公式の便箋(レターヘッド入りの便箋)を用いること。そうでないと私的文書と見なされてしまうからだ。また、あな たの名前の上に数行文の空白をあけておいて、そこに自筆のサインをすることも忘れずに。
 投稿前に、どういうプロセスで論文が審査されるのかを知っておいて損は無いであろう。このプロセスをよく知らない人は、「論文審査のプロセス」を参照して欲しい。


14. いつまで待っても返事が来なけりゃ 控えめ手紙で問い合わせ ホー!

投稿したのに受け取った知らせが来なければ問い合わせの電子メールを出した方がよい。外国の雑誌の場合、投稿してから一ヶ月が目安であろう。一流誌 といわれるものほどこうした対応はしっかりしているが、中には、受け取った知らせを出さないという怪しからん雑誌もある。郵便事故の話は少なからず聞く。 音沙汰がなければ問い合わせるという習慣をつけよう。
 論文審査に要する月日は雑誌によってまちまちである(早いところで二ヶ月以内、遅いところで半年以上)。投稿したらまず、論文がしばらく帰ってこないこ とを祈る方がよい。なぜならば、すぐに帰ってきた論文はほとんどの場合リジェクトだからである(ベテランになると、封筒を開けなくてもリジェクトだとわか る)。これは一つには、雑誌の対象からはずれるという理由でエディターに門前払いされてしまう場合である。他の可能性として、レフリー(通常二人)に送ら れはしたものの、その論文はダメだとエディターが内心判断している場合がある。そして、一人のレフリーが否定的なコメントを返してきた段階でリジェクトと 判決されてしまうと、論文は早々に帰ってくることになる。論文がしばらく帰ってこなかったからといって、リジェクトの危機を脱したと思ってはならない。そ れからは、論文がアクセプトされるのかリジェクトされるのか予想がつかない期間となる。この期間に入ったら、論文が早く帰ってくることを祈るようにしよ う。論文の審査が遅れれば出版がそれだけ遅れるわけだし、何よりも、いつまでも帰ってこない論文は、レフリーがつまらないと思っている可能性が高いからで ある。面白くない(わかりにくい)論文だと、コメントを書くのを先に延ばしてしまうのが人情というものであろう。かくしていつまで経っても返事が来ないと いう事態が生ずる。このように論文がいつまでも帰ってこない場合、問い合わせの電子メールを出さなくてはならない。問題はこのタイミングである。心配性の 私はつい要らぬことを考えてしてしまう。たとえば、レフリーコメントが一つは帰ってきていて、それはリジェクトである。エディターは、もう一つのレフリー コメントが帰ってくるのを待って判断をしようとしている。このような場合、迂闊に問い合わせの電子メールを出すと、それじゃあリジェクトしましょうとなっ てしまうやもしれない。困ったときは、その雑誌に投稿経験のある人に相談することだ。まあ、四ヶ月たっても返事がなければ問い合わせてもよいと思うが。催 促の裏わざとして、「公募に応募するので審査結果を早く知らせて欲しい」とか、「末期癌であと三ヶ月の命なので早くして欲しい」と書く手もあるが、これら は、本当にそうである場合にとどめた方がよい。


15. レフリーコメントとにかく従え できないとこだけ反論だ ホー!

とうとう論文が帰ってきた。封筒を開けるときの緊張感は何回経験しても無くならないものである。封筒の中身は

1) エディターのコメント
2) レフリーのコメント
3) 送付した原稿(返送されない場合も多い)

が定番である。まずはエディターのコメントをさっと眺めて、regrettably, unfortunately, unable, sorroy といった言葉がないか見極めよう。これらいかにも不景気な言葉はリジェクト言葉と呼ばれ、論文書きの歌 16 番に進めという意味である。リジェクト言葉がなかったら、高ぶる気持ちを抑えながらエディターの手紙を始めからきちっと読んでみよう。いついつま でに改訂稿を返送せよと書いてあるに違いない。そう、リジェクトではないのだ!.............しかし、手放しに喜ぶわけにはいかない。最初の 審査でリジェクトされなかったというだけのことだからだ。しかしまあ、手を放さずになら喜んでもいいであろう。そしてこれからあなたがやらなくてはいけな いのは、

1) エディターとレフリーのコメントを完全に理解すること
2) それらにしたがって論文を改訂すること
3) どのように改訂したのかを説明する手紙をつけて、原稿とともに送り返すこと

である。この対応がまずいと、二回目以降の審査でリジェクトされてしまうこともある。だから、エディターやレフリーのコメントへの対応は、一つ一つ 言葉を選んで慎重に行わなければならない。以下に、そのための心構えをまとめてみる。

1) 論文の採否を決定するのはエディターである。レフリーは、そのための助言をする存在である。だから論文の改訂は、レフリーを説得するためというよりもエ ディターを説得するために行う。

2) 国際誌の場合、エディターの基本的なスタンスはリジェクトすることにある。金銭的に可能な印刷ページ数に比べて投稿論文数は有り余っているので、贅沢が言 えるというか、リジェクトして論文を減らすのがお仕事なのだ。コメントに慎重に対応しないといけないわけである。

3) レフリーは神様である。なんといっても、レフリーの意見が論文の採否に大きな影響を及ぼすのだから。神には逆らわない方がよい。レフリーのコメントには 「とにかく従え」が基本原則である。

4) とはいえこの神様にはけっこう腹が立つ。こちらに責任の無い誤解や間違ったコメントをするし、言いがかりとしか思えないことも言ってくるか らだ。明らかにレフリーが間違っているときには、その理由を明確に述べて反論しよう。ただこのとき、エディターやレフリーの顔を立てることを忘れてはなら ない。あなたの目的は、これらの人々に議論で勝つことではなく論文をアクセプトさせることだ。自分の主張をはっきり述べた後は、「私の説明不足だったので 説明を加えた」とか「表現が悪かったので表現を改めた」とか一歩身を引くこと。

5) 上にも述べたように、エディターやレフリーのコメントは完全に理解すること。英語を習いたての中学生のように、不安な単語や熟語は逐一辞書で引き、全訳す るつもりでとりかかろう。こう強調するのも、いつものやり方(速読・単語をいちいち辞書で引かない)でやると何かを見落としてしまう可能性があるからだ。 もちろん、論文を読む時にはいつものやり方を推奨する。しかし、エディターとレフリーのコメントを読むに限っては、英語習いたて方式の方が安全である。

6) エディターやレフリーに対する対応は、完全かつ網羅的なものでなくてはならない。コメントのすべてに対し丁寧に対応すること。一つでも、無視したり対応し 忘れているコメントがあったらけっしてアクセプトされない。

7) エディターやレフリーが指摘した部分以外は直してはならない。これをすると、その論文はレフリーが審査したものとは違う論文になってしまう。これでは詐欺 である。

8) 改訂内容を説明する手紙は論文の採否を決める鍵であり、改訂稿そのものよりも大切と思った方がよい。とくに、レフリーに反論している場合に は、論文の命運を託すつもりで手紙を書こう。

9) エディターは、改訂稿をレフリーの元へ送らずに論文の採否を判断することが多い(レフリーに再び送られることもあるが)。これがゆえにも、改訂内容を説明 する手紙はエディターを説得するために書く。

10) 手紙の冒頭では、レフリーのコメントがとても貴重であったとゴマをすること。また、"acceptable after minor revision" とかアクセプトをにおわす言葉があったら、 " I am pleased to learn that my manuscript is acceptable after minor revision." と素直に喜び、エディターに「この人を傷つけたくない」と思わせること

11) それに続き、一つ一つのコメントに対して、どこ(何ページの何行目か)をどう(どういう文に替えたのか・どういう文を加えたのかなど)直したのか、あるい はなぜ直さなかったのかを具体的に説明すること。くどいようだが、コメントに従わないときにはその理由を明確に説明すること。この時、レフリーのどのコメ ントに対してどのように対応したかがすぐわかるようにする必要がある。レフリーコメントに番号がふってあったら、あなたの対応に同じ番号をつける。番号が ふっていなかったら、レフリーコメントのコピーに自分で番号をふって返事の手紙に同封すればよい。

12) 自分の論文は価値がないと言ってはならない。こんなこと言うわけないと思うかもしれないが、これに近いことをつい言ってしまう場合がある。たとえば、私の ある論文がアクセプトされそうだった時のことである。「この論文の結論は絶対的なものではない」というコメントに対して、私はつい「はいそうです」と答 え、結局リジェクトになってしまった。断固反論すべきであったと今でも悔いている。

13) エディターやレフリーへの感謝を忘れてはならない。手紙の最後で、これらの人々の助言により論文が良くなったと必ずお礼を述べること。

14) エディターやレフリーのコメントへの対応とエディターへの手紙の内容が的確かどうか、誰かに必ず見てもらうこと。ともかく、論文を投稿したときと同様に慎 重になるべきである。

15) 改訂稿は、一日でも早く送り返すようにすること。いつまでに送り返すように指定してくる雑誌が多く(たとえば、受け取ってから二ヶ月以内など)、それを過 ぎたら新規投稿扱いになってしまう。論文が帰ってきたならば、改訂稿を送り返すまで改訂の作業だけに没頭すべきである。

エディターもレフリーも、価値ある論文はアクセプトしようとしてくれるはずである。怖がることはない。慎重に対応すればいいのである。
 なお、これらの点に関しても黒木・藤田 (1984) が参考になる。うねやまさんのページ「論文を書こう」では、エ ディターとのやりとりの手紙が公開されている。


16. リジェクトされても挫けちゃいけない 修正加えて再投稿 ホー!

論文を書き上げることとそれをアクセプトさせることには、恋愛と結婚ほどの違いがある。論文を書き続ける限りリジェクトとのつきあいは切れないと 思った方がよい。私の場合、二本目の論文がリジェクトされて、それはそのままお蔵入りとなった。思えばその時、それから合計 33 回もリジェクトされるようになるとはちょっと想像していなかった。最初のリジェクトの時には、自分の人格が否定されたようでずいぶん落ち込んだ。もちろん 今でも、リジェクトされたときのショックは大きい(とくに、一週間に二度リジェクトの手紙をもらったときなど)。しかしものは考えようで、リジェクトされ たとは思わないようにしている。つまり、どこかの大先生に論文を読んでもらったのだと思うことである。たいていの場合、その論文のどこがいけないのか指摘 が付いてくる。それらを参考にして論文を改訂し、別の雑誌に投稿すればいいだけの話だ。リジェクトのショックからどうしても立ち直れない場合には、尊敬す る研究者にリジェクトされたことがあるかどうか聞いてみるとよい。たいていの人は、リジェクトの経験があると教えてくれるであろう(ただ、私が初めてこの 質問を発したときは、「無い」ときっぱり言われ地の底に落ちた)。人のリジェクトは大きな励みになる。「この人でもリジェクトされる」ということを知れ ば、たかがリジェクトに落ち込んでいた自分に気づくであろう。そう、アクセプトされると業績は増えるが、リジェクトされても業績は減らない のだ。
 リジェクトされても挫けてはいけない。リジェクトされたくらいでその論文を諦め他の論文に逃げてしまっては、結局どの論文もアクセプトさせることはでき ないと思う。おそらく、他の論文でリジェクトされ、また他の論文でリジェクトされということを繰り返すのではないか。
 再投稿先としては別の雑誌を選んだ方がよい。レフリーの単純な誤解でリジェクトされたことが明らかな場合だけ、同じ雑誌に投稿することを考えてもいいか もしれない。その際、レフリーの誤解によるリジェクトであることを訴え、再審査をお願いする手紙を忘れてはならない。ただし、一度リジェクトされた論文を ひっくり返すのは至難のわざである。


17. このうた歌えば必ず通るよ 自分を信じてがんばろう ホー!

本当のところ、この歌を歌ったからといって論文が通るわけではない。しかし、自分を信じることは最後の拠り所であり、忘れてはならないことである。 あなたの論文について一番理解しているのはあなた自身である。あなたが面白いと信ずるならば、世間を納得させる(アクセプトされる)まで、決して諦めずに 闘って欲しい。


可知 直毅さん・浅見 崇比呂さん・松田 裕之さん・牧 雅之さん・酒井 暁子さんには、本稿に関して貴重なご意見をいただいた。ここに厚くお礼申し上げたい。松田さんには、論文の書き方を含め研究の仕方は、人に教わるものでは なく人から盗むものだというご指摘もいただいた(それにも関わらず草稿を丁寧に読んで下さった松田さんに深く感謝したい)。これらの人々(そして生態学会 のバイタリティー溢れるたくさんの方々)は、論文書きに関する素晴らしいノウハウをお持ちである。ぜひ、あなたの尊敬する方々から論文書きのノウハウを学 びとって(あるいは盗んで)欲しい。最後になったが、執筆の機会を与えて下さった鈴木 和雄さんに感謝したい。ただし、もともとの依頼内容は真面目なものであり、私が勝手に依頼内容とは全然違うものを書いてしまったことをつけ加えておきたい (すべての責任は私にある)。
 インターネットで公開したおかげで、貴重な意見を伺い本稿を改訂することができた。以下の方にも厚くお礼申し上げる。
 山室真澄さん(地質調査所海洋地質部) 投稿論文の添え状のアピール文に関して

 

参考文献

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Endler, J. A. 1992. Editorial on publishing papers in Evolution. Evolution 46: 1984-1989.

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Honda, H. 1971. Description of the form of trees by the parameters of the tree-like body: effects of the branching angle and the branching length on the shape of the tree-like body. J. theor. Biol.31: 331-338.

黒木 登志夫・F.ハンター 藤田. 1984. 科学者のための英文手紙の書き方 朝倉書店

Sakai, S. 1993. Allocation to attractive structures in animal-pollinated flowers. Evolution 47: 1711-1720.

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Thompson, K. and D. Rabinowitz. 1989. Do big plants have big seeds? Am. Nat. 133: 722-728.

 

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