雑感

 

今日から〜ぼく〜は〜ただのおと〜こ〜 2019/7/2()

・妙に訪問者が増えているので、減らすためにたまには日記みたいなことを。

・今日は学校祭の代休2日目。家事をしながら久々に「きたやまおさむの加藤和彦音楽会」を見た。みうらじゅんさんと水谷先輩はよしだたくろうに合わせて名前をひらがなで表記しているそうだが、私はきたやまおさむさんに合わせてひらがなにしている、んだったと思う。忘れてしまったが。

・きたやまおさむさんの本は「くたばれ!芸能野郎」もNHKテキストも読んでいるフリークなのである。で、この番組の中で「加藤さんが選んだ人生について」という質問に対してきたやまさんが答えている言葉がある。この言葉がここ数年、ずーっと頭の中で反芻されてきた。何かここに掲載したくなったので、掲載しておく。

・何度もこれは強調せねばならないことだけれども、最初は遊びだったんです。300万枚の評価を得るための営みではなかった。むしろ私を喜ばせるために加藤和彦は「帰ってきたヨッパライ」を持ち込んできたんだと思う。で私は彼をびっくりさせるために、いろんな曲を彼に提示して、彼に喜んでもらおうとした。で、私たちにとって、最初の聞き手は、お互いだったと思う。それが300万人の人間を相手にしたときにね、巨大なものと出会ってしまって、私はこんな連中に対して、何かものを作り続けるつもりはなかったし、私の小ささみたいなものが痛感されたし、身の丈に応じた人生を歩まねばならないと思ったんだけど、加藤は、あの300万人を相手にし続けた男であったと思うんですよね。それでみんなそれを喜んだし、拍手もしたし、びっくりもしたと思うんだけれども、その選び方、前に、戦い続けて前進するか、私のように後退するかは、大きな差では無いかと思う。

・加藤的生き方と北山的生き方があれば、私はもちろん北山的生き方を目指す者である。最初は遊び、最後まで遊び、を目指したい。


オールオッケー!(実業団選手権大会より) 2019/4/2()

・元号が発表されたときの色紙を見て、その字体に正直言ってがっかりした。普通、書家は「令」をあの形で書かないと思うからだ。

・あの形は活字体であり、伝統的な楷書の形ではない。手書きでは、やはりひとやねの下に点とマ、という形が良い。

・文化庁の立場は活字体も含めて、かなりの範囲の字形をどんどん認めていく立場なので、「どの形でも良い」という見解しか述べないのは仕方がない。そもそも字の形など、国が決めるべきものではない。伝統的に、美しく書きやすい形が勝手に残っていくものだ。文化というのは、そういうものである。

・それなのに、あの色紙を見ると、「正しいのは活字体なんだな」と思う人がたくさんいたに違いない。伝統的に、手書きであの形は取られてこなかったのに。また、小学校では点+マで教えていることとの整合性もない。

・それでもなお活字体で書家に書かせたのはなぜか。それは、活字体を正しい書体として広めたいからだ。このところの漢字政策(なんだそれは)は、このブログでさんざん批判した阿辻哲次氏の意見なのか、とにかくIT機器で出てくる形を標準にしたいという力が働いているからである。

・だったら、それでいいじゃん、活字の形を正しい形にしようぜ、他は全部間違いね!としてしまうと、伝統的な(圧倒的に今まで書かれまくった)形を捨てることになりうる。そんなことをする国の何処が文化を大切にする国であるものか。

・ここで覚えていていただきたいことは、「活字体は、手書き形をデザイン化して作ったわけではない」という事実である。ただ、流石にそこまで説明するのはしんどいので、また今度。興味ある方は、康熙字典形について調べられると良いかと思う。

・久々に、クイズに全然関係ないことを書いてしまった。このブログでは、それもありなので。全国に公開したあの書庫で私淑する江守賢治氏の本を読み直しまくり、それはそれで至福のとき。ちなみに壁のVTRをよく見ると、漫才ブームの本の右に、江守賢治不朽の名著「解説字体辞典」が写っている。実に良いことをした。


報道関係報道関係、新聞配達が報道関係か! 2018/8/26()

・24時間テレビのズームイン朝特集を視聴。日テレ的には黒歴史な映像(長嶋解任時のズームインとか)も見られ、なかなか良かった。

・さて、今回の目玉は何と言っても「零戦発見特番」の映像が流れたことであろう。私の愛読書『僕がテレビ屋サトーです』に成立事情が詳しい番組だが、放送の様子は私が想像していたのとだいぶ違った。クロマキーかなんかがあって、その映像の前で福留氏がスタンダップスタイルで語りまくるという姿をイメージしていたのだが、まさか報道フロアでろくに映像もない状態で「報道番組」として語っていたとは!(映像が殆ど撮れていないまま番組を作った、という事情については前掲書に詳しく述べられているけど)

・そうか、報道番組の延長なのか。あさま山荘だとか日航機墜落だとか、長時間の報道番組スタイルは、確かにチャンネルをひねる手を止めさせるのに十分なインパクトがある。元々報道局の記者だった福留氏こそ適任だ。1978年だから、ウルトラクイズではまだ福留節が完成していたとは言えない時期だが、もう完璧に福留節の語り自体は完成されていた。ちょっとした海外映像に優秀な台本とナレーションで、低予算でも木曜スペシャル1本作ってしまえる凄みがあってこそ、湯水のごとく金をジャブジャブ使うウルトラクイズのような番組が成立していたのだ。どっちもプロフェッショナルの仕事だ。考えてみれば、木曜スペシャルってそういう番組も多かったなぁ。

・ただ、報道番組のスタイルをとった理由には、もう一つあったのではないかと邪推する。この年の4月、鈴木健二アナウンサーによる「歴史への招待」がNHKで始まっている、。膨大な取材、圧倒的な記憶力、完璧な時代考証により、今なお伝説の番組を位置づけられている。この番組の形式に影響を受けつつ、一方で差別化を図るためにはどうすればいいかを考えた挙句、このスタイルにたどり着いたのではないかと私は考える。

・もちろん、報道番組にすることで「零戦って昔のことじゃないんだよ。今とつながっていることなんだよ」という明確なメッセージも伝えられる。佐藤氏はドラマやドキュメンタリーの手法を著書の中で強調するが、実は「報道風」の手法こそが氏の真骨頂なのではないか、そう思えてならない。

・何が言いたいかというと、「報道風のクイズ番組は作れないかな」ということですね、結論は。そうか?


アララット山! 2011/1/24()

・私は、クイズマニアがガンガン難問に正解する姿を、別に見たいとは思っていない。憧れのクイズプレーヤーも、全く存在しない。その代わり、クイズの勉強をしていない一般の人が、クイズに挑む姿が好きだ。

 ・だから、いまだにアタック25は見るし、ウルトラクイズも第7回や第14回を傑作と認定したいのである。

 ・さて、第8回ウルトラクイズでフィラデルフィアまで勝ち残った内野さんが、先日亡くなったとの情報を得た。

 ・氏のサイト「Wa's Square」のアクセスカウンターが50000ヒットを記録する寸前のとき、「驚いたことに、アクセスカウンターが間もなく50,000ヒットしそうですね。(中略)もし、めでたく50,000番になった方がいましたら(いるはずなんだけど)、掲示板にでも書き込んでいただけるとうれしいです。」とトップページにあった。

 ・何の気無しにカウンターを見ると、何と50000になっているではないか。普段はキリ番など全く興味がない私だが、その画面のをhtmファイル(ってところが古い)でコピーし、掲示板にその旨を書き込んだ。また、自分のサイトのアドレスも書き添えておいた。

 ・しばらくして、内野さんから書き込みの返事があった。私のサイトを見ていただけたみたいで、「私もウルトラクイズについては基本的に同じ意見だ」というような内容に喜んだ覚えがある。

 ・ただし、氏のサイトの掲示板に、この発言は残ってないようである。もったいない。

 ・クイズはクイズマニアだけのものではない。一般の人を楽しませて初めて、存在意義があることを認めうる。そのために我々は、一般の人をクイズ考察の第一基準に置かねばならない。クイズについて発言する一般の方が増えてくれることは、望外の喜びである。内野さんはその貴重なお一人であった。

 ・ひょんなことから、たった1回だけ掲示板上で言葉を交わしたが、基本的にミーハーでもなく、求めてクイズ関係者と接しようとしない私にとって、これは大変貴重な経験であった。サイトの文章の続きも気になるところだったが、未完成で終わってしまったことが残念でならない。ご冥福をお祈りいたします。


どこよりも早いセンター解説(簡単に) 2010/1/17()

・第1問。やや経済学の知識が必要にも見えるが、分からなくても問題をとくのにそれほど支障はないと思われる。漢字問題は微妙なところを衝いてくる。「竹馬の友」「布石を打つ」など、慣用表現を選択肢に入れるのも特徴。センター試験の選択肢の書き取りだけでも相当力が付く。「滞留」はやや難か。問2、選択肢の語の使い方だけでも絞れそうだが、ちゃんと解くとすれば、アダム・スミスの引用の次の段落を要約した選択肢を選ぶのが正しい。問3、センターお得意の具体例問題。いきなり具体例を見ると失敗するので、「どういうところに注目して選ぶか」を明確にしておきたい。ここでは傍線部B=「ヴェニスの商人の影」=次段落「なぜならば」以降=「差異」。たぶん「差異」に注目できなければ悩むはず。問4、「どういうことか」問題。傍線部を含む一文を一生懸命読むのが鉄則。この差異の歴史的な安定性が「人間」という主体の存在を措定(この語は高校生にはやや難か)してしまう、というのだから、「この差異」=「労働生産性と実質賃金率の差異」に、人間がどう絡んでいると見ていたのかを探す。と思ったら、「この差異」の内容適合だけで正解が出てしまうから調子はずれ。問5、「どういうことか問題」は、傍線部をちゃんと言い換えている選択肢を選ぶのが鉄則。「人間が一度として中心にあったことはなかった」にあたる内容で締めている選択肢はひとつしかない。センター試験はこのパターンが偶に見られる。これを早く解けるようになれば高得点も見える。問6、新傾向。意欲的な問題と言えるが、単に問題を作れなかっただけにも思える。(i)は、明らかに断定表現が次に見られることを意識できたか。(A)は「構成」とあるから、全体を大まかにまとめたものを選べばよいだろう。

・第2問。問1、「いわく言い難い」は「言い難い」で考えれば簡単。「権化」も、「和声理論」を「悪」に言い換えても成立するものを選ぶのがよい。「みもふたもない」も、普段の使い方に照らせば簡単。問2、傍線部直前「つまり」が言い換え。おそらく作成者は選択肢後半「具象化した(=枯草の臭い)」「純化した感情(=いらいらするような感情は一つもなくて)」を使わせたいのだろうが、前半だけでも@しかない。なぜなのかを考えるのは練習に最適。問3、文章構成からも選択肢の作りからも、地区大会で何が感じたのかを問うていることが分かる。Bがやや悩むかも知れないが、他の学校の優れた演奏を聴いたことが本文で延々と記されているから、それに絡まないのはダメ。問4、すぐあとの「それにしては」以後が、選択肢の前半に来る構造。Dの前半も悪くなさそうだが、「恋人同士のような」という比喩に、「笑いたくなる」という要素が入るのは無理。問5、選択肢最初「〜克久のプライドは」までは、決め手になりそうもないので、その後からしぼる。すると、本文「誇りは輝かしいと同時に危うい」=選択肢「りりしさともろさ」とか、本文「よく知っている克久とは別の少年がそこにいる」=選択肢「理解しているつもりでいた克久ではない」などの対応が楽に見付かる。問6、@AEは間違いと判断できようはずがない。Bは明らかにおかしい。Cは直喩より隠喩が分かりやすい、という意味になるが、そんなはずはない。Dは「現在形を用いる意味」だが、読者との距離感が縮まるのが根本なのでOK。

・第3問、短歌6首はうっとうしい。問1、アは重要事項「まぼる」「奉る」「まほし」で決着が付くが、これが分かると読解のヒントになるからおいしい。イは重要語「まめ」と「まみ」「わたり」でおしまい。ウの「つきしろふ」は分からなくても、「きこゆ」で@AD。「わづらふ」でAに絞れる。問2、aが動詞、bが断定だと分かればオシマイ。つまらん。問3、単純に、大将が姫宮を気に入ったことへの評価と考えれば楽。@だとマイナス評価になってしまう。問4、和歌の問題か? 「雛屋」は傍線部ウのある段落の内容から考えて。問5、「をこがましう」だけで決着が付いちゃう。これでいいのか?

・第4問。センターレベルでも「動もすれば」が出るのは驚き。ただ、センターの語句だからといって甘く見ない方が良いのは事実。「是」はすぐあとの「非」の対義語。問2、「なんぞしらんや」が文章の終わりまでかかっていることに気付くと、ABDに。「雖も」を適切にしたのはDのみ。で、「できない」が「可得」にあたるから、これでカンペキ。問3、目標は「杜詩」を学ぶことだから、TでBかD。UVはどっちが理解しがたいかを探せばよい。問4、書き下しは、「何如」は「いかん」「いか」と読まなければ絶対ダメ。また、「当」を「まさに」とよむなら「べし」を再読せねばならない。これだけで選べる。問5、新傾向だが、簡単。


センター試験2009つづき 2009/1/20()

・古文。長い文章だが、まあ典型的なコイバナ。問1は楽勝。どんな古文単語集にも載っている知識でいける。問2。「賜る」「ご覧ず」の敬語の種類が分かれば、2と4に絞れる。あとは「御覧じ候ひて、」で次の二重敬語につながっているので、「御覧じ」の主語も相当エライ人か、会話の相手か、そのあたりになる。問3。白菊の花が「移ろいやすい心情」の喩えになりやすいことを知らないと、ややつらい。また序詞かどうかの判定をさせる、というのも高校生には難しいのでは? つーか、そこまで授業で扱わなければならないのだろうか。一応言っておけば、「序詞」は叙景(事物の叙述も含む)の句が殆どである。叙景と叙情を重ねるための表現が「序詞」であり、「掛詞」である。それを教えろ、ということだろう。問4。セリフや心中語が心情を表す典型的な問題。「めざまし」「びんなし」を分かっていれば楽勝。問5。五行目さえ読みとれば正解が出る。こんな簡単で良いのか? 問6。1に引っかからなければ楽勝。

・漢文。注を使って人物の説明を理解しないと正解できない問題がある。問1。「安寧」「寧日」あたりを知っていれば1か2に絞れる。「相類」は私がいつも授業で言う「熟語を作れ」で「相互」「類似」を作ればオシマイ。問2。書き下し問題は(1)句法が有れば、それに従う。(2)語順で絞れれば、それに従う。(3)それで無理なら、訳してみる。この問題は、慣れていれば(2)でいける。ま、文脈でも解けてしまいそうなので、正解率は高いと思うが。問3。(ア)が簡単なので楽勝。問4。3とか4に引っかからないと良いが。3は(注9)の内容の強調だし、4は空っぽの強調。問5。「二君の荒淫と精明とは」で、二人の資質が違うことを理解できれば楽勝だが、そうでなくても後半で充分絞れる。問6。久しぶりの10点問題。よく分かんなくても消去法でいけそう。

・ということで、ごく簡単に見てきたが、「受験テクニック」より「国語の世界を深く勉強してこい」というメッセージを強く感じる試験であった。概ね良問と言えるだろう。これでいつでも解説授業できるぞ。


センター国語2009 2009/1/20()

・センター試験を解いた感想を。

・国語の世界に慣れている私たちにような人種には、非常に素直で解きやすい問題なのだが、高校生にはつらいだろう。語彙や古文常識などで、やや経験が物を言う内容が含まれていたので。

・評論。漢字は訓読みが出題されていない珍しいパターン。その分、同音異義語がイヤらしい。難しいのは「多寡」くらいか。問2。従来の隠れん坊と「複数オニ」などの違いを傍線部直前から見つければ楽勝。問3。これも楽勝。なお正解選択肢「利己的」は「私的エゴイズム」や「私生活主義」に対応している。問4。ややこしい文脈だが、解答選択肢の構造から、「飽きることに飽きてしまう」後にどういう状況が来るかを探すのが楽か。問5。これも選択肢の構造から「かんを蹴って友を助ける行為」の持つ意味、逃れるべき「社会」の性質、逃れるとどうなるか、をそれぞれ見つける道筋。問6。最近多いパターンだが、具体例からの一般化、という手順になれていないと、5にひっかかってしまうかもしれない。

・小説。川端ではなかった。問1。「無聊をかこつ」とか「沽券に関わる」は、もはや死語か。我々おっさんには常識だが。(ウ)の「はかは行かず」の「はか」が「はかどる」「はかばかしい」の「はか」であることを、古文単語の勉強で知っていれば良いが。古文単語は、やはり語源を知るのがベスト。なお、秋田県南の方言で「はかが行く」というのがあるので、県南の高校生は楽勝か。

・小説続き。問2。小説が苦手な人が最も苦手なパターン。「父の七十年の全生涯はこの一軒の家で過ごされた」「それが今確実に消えようとしている」「黙り込む」と矛盾しないものを選べばよい。こういうのを消去法で解こうとするから、いつまで経っても点数が伸びないのだ。問3。これもはまれば間違う。傍線部そのものから「父の老いによる衰え」が根本的理由であることを読みとれば、これしかない。傍線部語の文章もそれを示している。問4。周囲に説明らしい記述がない場合は、傍線部そのものを、無難な範囲で言い換えただけのことが多い。こういうのこそ消去法だ。問5。これも「狂暴な衝動」「荒んだ心」と矛盾しないものを、消去法で選ぶ。問6。4も5も間違いになりようがない。6が間違いなのも、すぐ確認できるだろう。


国語の雑感・方言について 2008/11/23()

・少し前のこと。ある講演を聴いたら「方言を知らない若い教師が多くて困る。学校で生徒に方言を教えてもらわないと、生徒が方言に触れる機会がない。若い教師は正しい発音の方言がしゃべれない」とのこと。

・若い人々が方言を話せないのは、単純に「方言に触れる機会が相当少なくなっているから」である。それは若い人々の責任ではない。年配の方が方言をしゃべれるのは「方言の勉強をしたから」ではなく、「幼少の頃、周りにそういう言葉がたくさんあったから」に過ぎない。

・学校で方言を教えないことを責められるのも心外である。秋田県の方言は県北地区(鹿角・大館・能代で多少異なるが)・中央地区・県南地区(これも横手・大曲でやや異なる)で相当異なっている。教員も各地区の出身者が混ざっている。そんな状況で生徒に方言を教えることは不可能である。そもそも、方言は学校で教える性質のものではない。

・その講演者は「○○という方言は知っているか?」など執拗に参加者へ質問していた。知らない人が大勢だと「こういう状況だから困る」。ある地区のある方言の言葉を知らないと言うことで、何故にここまで批判されなければいけないのか。

・講演者曰く、「方言が共通語に比べ、下に見られている状況が気に入らない」。言語相対主義の持ち主かと思えば、「秋田の方言には、古語に由来する美しい言葉が多く残っていてすばらしい」とも発言。古語=中古京都の共通語に価値を見いだし、それが保存されているから美しい言葉である、という感覚は、言語相対主義からは遠い。つーか、古語に由来する言葉なんて何処の地域の言葉にも(共通語にさえも)残っていると思われるのだが。


覚え書き 2008/10/5()

・「竹取物語」の冒頭、かぐや姫が輝く女の子なので、家の中が輝きに満ちているという描写がある。子どものいない暮らしのところに子どもが来れば、さだめし可愛かったのであろう。どんな家でも、にぎやかになって輝きに満ちるのではないか。つまり、かぐや姫が特別な子でなくても、子供が生まれた家はたいがいあんな感じなのではないか。つまり、結構普通の「子どもを得た家庭の喜び」が書かれているだけではないのか。ということに、ごく最近気づいた。

・「ものとことば」で、「犬」と「dog」は違うというようなことが書いてある。どう違うかよく分からないので、ネイティブの人に質問したら、「あまり変わらない」とのお答え。困るのう。

・ビデオ整理をしていて第20回高校生クイズ東北大会の決勝地が「宮城スタジアム」だと気づいた。大会で2回ほど行ったが、良いスタジアムである。グラウンドは風が強いらしいが。

・学校保健法は、学校保健安全法に改正されました。覚えておこう。


「極私的全国民必聴歌」を作るきっかけ 2008/2/6() 午後 11:56

・わたしは昔から「新婚さんいらっしゃい」という番組が大好きである。しかし、そのことを長いこと他人に話さずにいた。基本的に下世話な内容の番組だし、好きと発言するにはためらわれたのだと思う。同じように、わたしとしては高い評価を下したいと思うものでも、「こんなのを高く評価する変わり者はわたしくらいなもんだろう」などと考えることが多い。だから、自分が良いと思うものでも、あまり人には勧めない生活を送ってきた。

・そんなある日、某テレビ番組で藤子不二夫A(安孫子氏)が、好きなテレビ番組として「新婚さんいらっしゃい」を挙げていたのを見た。大変面白い番組だ、と褒めていた。衝撃だった。わたしも、「新婚さんいらっしゃい」の何処がすばらしいのか、少なく見積もって15分は語れる。なのに、自分が良いと思って惚れたものなのに、世間の目を気にして評価しないフリをすることは、たいへん恥ずかしいことなのだと思った。それから、わたしは「自分が良いと思ったものは、誰が何と言おうと評価する」と決めた。他人が褒めないものを褒めることは、勇気が要るが、絶対に必要なことだと思うのである。

・それに関連して、わたしの愛する文章の一説を、少し長いが引用しておく。筒井氏の、星新一氏に対する深い尊敬と愛情が感じられる名文である。

・筒井康隆の『玄笑地帯』(新潮文庫)の中の「譫妄状態における麻雀」より引用

 おれもこの雑誌の映画ベスト・テンへのアンケートを求められたのだが、悩みに悩んだ末、ついにことわってしまったのである。というのは、おれの好みというのはたいへん片寄っていて、過去に定評を得たいわゆる名作映画というのは、おれのベスト・テンにはみごとと言ってよいほど入ってこない。喜劇映画がほとんどなのだ。それでもいいではないかと一方では思ったりもしたのだが、そんなものはどうせ集計の際、百位以下ということで切り捨てられてしまうのだ。労力が無駄となり、こっちは馬鹿と思われる。癪だからことわったのだ。ところが星新一が一位にあげたのはアニメーションであった。喜劇映画でさえ入れることをためらっている人間にとっては盲点でもあり、想像もしていなかったことだ。(中略)

 そうか。ベスト・テンのアンケートというのは実にこういうところにこそ価値があったのだ。そしてまた自己主張の場でもあったのだ。おれは「不思議の国のアリス」を見た数十年前のあの感動をまざまざと思い出した。あの感動をなぜ忘れてしまっていたのだろう。原作である「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」をすでに読んでいたおれは、あのすごい話と、クイズの如くまた迷路の如き文章がどうやって映像になり得るのか、出来るわけがないと思いつつ見に出かけ、その懸念をみごとにふっとばされた上、ほぼ原作通りの感動が得られたことによって涙さえ浮かべておったのではなかったか。それをなぜ忘れたのか。あきらかだ。大勢にまどわされたのだ。しかし星新一は忘れなかったし大勢にまどわされもしなかったのである。誰が何と言おうと自分だけはこの作品を評価するというこの毅然たる態度はどうであろう。またひとつ、おれは教えられたのである。大勢に迎合する人間を茶化したり罵ったりしておきながら、自分がまさにそうなりかけていた。いやはや。恥しいことであった。

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