極私的全国民必聴歌 面影平野(藤圭子) 2013/8/28()

・「怨歌」という言葉には、以前から違和感を感じていた。同時代人ではない私にとって、最初の藤圭子は「懐かしの昭和歌謡」的な番組で見た、「圭子の夢は夜ひらく」であった。確か、平成元年ころだと思う。その映像が日本歌謡大賞第1回であったことは、後で知った。園まりの「夢は夜ひらく」とか、三上寛とか、そういうのもずっと後で聴いた。

 ・時代背景も藤圭子の生い立ちも無視して曲を聴いたら、「怨」というイメージはわき上がらないように思う。しかし、人々は(当然だが)そのイメージを藤圭子に求めた。だから、極度にハスキーな声を歓迎した。このたびの報道でも、のちにクリアーな声になった藤圭子の曲にはほとんど言及がなかった。やはり人々は、芸能人に「ストーリー」を求めているのだ。ただ歌がうまければいーじゃん、とは、ならない。

 ・さて、私は以前書いたように「面影平野(1977年)を準全国民必聴歌に指定している。時代のイメージと重ねることもできるが、今の時代に持ってきても充分聴ける。この辺が比喩を主体にした歌詞の強みであり、阿木・宇崎コンビの見事なワザでもある。同じコンビでも「想い出ぼろぼろ」の方は、やや時代のにおいが強い。

 ・だいたい、「切ないよ」と心情を単純化してはっきり訴えるような歌詞は、歌手にはきっと歌いづらいはずなのだ。そこまでの前フリがあって、それをまとめて初めて「切ない」という言葉が生きてくる。その流れも見事な表現力で歌いきっている。

 ・部屋が平らであることを強調するタイトルは、そのまま語り手の目線の置き方を表している。ずーっと床ばっかり見て、そこが面影を写すスクリーンになっている、というイメージは凄まじい。しかもスクリーンに映る映像は基本的にモノクロ。それに色を付けようとして、赤いお酒をこぼしてみる。どうやれば思いつく歌詞なのか。説明するときりがないが、とにかくすごい歌詞。それに負けない歌い手の力量がはっきり試されている。

 ・私はこの曲を、「夜のヒットスタジオ」再放送で見た。繰り替えし見た。余談だが、このとき内山田洋とクールファイブが同時に出演している。しかも、前川清の祖母も出演している。何でそんな日にブッキングしたんだろ。

 ・家族を支える少女が歌うという強烈な背景を持つ「怨歌」は、人々を感動させたかも知れないが、それは芸ではない。そこから脱皮し、脂の乗りきった大人の歌い手(このとき26歳)として凄みすら感じさせる歌いぶりは、是非多くの人に見てもらいたい。

 ・と思っていたら、何と宇多田ヒカルが同じことを考えていたではないか! これにはびっくりした。彼女も感じているのだろう。このときの藤圭子が、歌手として一番良い姿であることを。ということで、極私的国民的必聴歌に格上げします。


極私的全国民必聴歌 なごり雪(伊勢正三バージョン) 2011/9/17()

・出張で車を走らせている間、たまたまCDに入れていた伊勢正三「なごり雪」を聴いたら、何となく歌詞の意味が分からなくなり、何度か繰り返しているうちに、1つの解釈が思いついたので書いておく。

 ・優れた歌・残る歌というのは、様々な解釈が可能である。自分がその時点で一番良いと思った解釈を、各自が勝手にできるからである。もっと言えば、よく分かんなくても、何となくいいものはいいのである。

 ・だから、この歌の2人の関係がどのようなものであるか詮索する向きもあるが、無粋な説明は必要ない(どうしても詮索するなら、「22才の別れ」とリンクさせるのがよい)。ただ、こう読むことで作品をもっと楽しめる、と言う読みなら、提示する価値があると思う。

 ・彼女がきれいになったのは、春(多分他の人との結婚)が来たからで、彼は少女のままの彼女が好きで・・・云々、というような話は、よくある少女が大人になっていくときの取り残された感の話なので省略。「大人になると気づかない」のは、当然「彼女が大人になるという当たり前のことに男が気付いていない」ととる。「取り残された感」を歌っているのは、もちろん間違いない。 それはみんなが指摘していることなので、私はもう少し違う角度から読みを提示してみる。

 ・一番、女は汽車を待つ。女が汽車を待つことに、男が気付いているわけだから、女の視線や動きが汽車の来る方を向いていると考えるのが自然だ。将来に自分の気持ちが向いていることを、暗に示している表現だ。

 ・それに対し、男は時計を見ている。このことには、別れの時間が迫ることを気にしていることに加え、もう一つ重要な情報がこめられている。それについて後述する。

 ・二番。男は下を向いた。

 ・問題は三番である。「落ちてはとける雪を見ていた」を読み間違えやすい。彼の視線は、何処にあるのか。線路をはるばる見渡すイメージを持ってはいけない。雪が溶けるのは地面である。そう、彼はここでも下を向いているのである。だから、多分一番の「時計を気にしてる」も、腕時計だと思う。駅の時計だと、視線が下向きにならないので。実は彼、歌の表現上はずっと下の方を見ているのである。

 ・普通なら彼女が去った線路方向を見れば良さそうなものだが、そうしていない。たぶん彼は、彼女の将来のことを、あまり案じていない。彼女は自分の今後を思っているが、彼は、取り残された自分のことしか考えていない。将来の自分のことを考える彼女との対比は鮮やかである。

 ・「君のくちびるがさようならと動くことがこわ」かったとしても、そこで彼女にやさしい言葉をかけなさいよ、とおじさんは思う。お前が偉そうなこと言うな、と言われそうだが。それはともかく、ここに来てまだ「さようならがこわい」と考えてしまうところに、成り行きに任せながら失いたくないものを失う、男の弱さが感じられてしまう。

 ・下を向いているということは、彼女を見ていないと言うことにもなる。なら、なんで「君はきれいになった」と言えるのか。きれいになったからこそ、見られなくなった、ということか。いや、この部分は「きれい」という言葉にこそ刺さるべきではないのか。「美しい」でもいいはずなのに、なんで「きれい」なのか。必ずしも視覚的な美について述べているわけではない、という可能性がある。振る舞いとか、言葉遣いとか、様々な要素をひっくるめて「きれい」としているのではないか。いつまでも彼女との過去に拘泥し、変われないでいる自分と比較している可能性もある。

 ・この歌は彼女が去っていった直後のところで終わっているから、その後男がどういうことを感じたかまで想像していくと、読みとりは面白くなりそう。

 ・なお、よく問題になる「ふざけすぎた季節」は、将来のことは考えず(結婚などは意識せず、と言うことか)二人でいた時期のことを指すと思う。「東京で見る雪はこれが最後ね」→雪を見て楽しんだ思い出があるから、こんなことをわざわざ言っている。そう解釈すれば、雪が二人の楽しかった(ふざけすぎた季節の)思い出の象徴だと考えられる。別れが来るのが「なごり雪」が降るときを知る、につながる。

 ・やっぱり無粋ですな。とにかく、文句なしの名曲であり、「世間で名曲とされている曲を書かない」という禁を破って紹介してしまう。


極私的全国民必聴歌2 「ルーム・ライト」を国語教師が読む 2010/6/10()

・所ジョージが一番好きな吉田拓郎の歌は、「ルーム・ライト」である、らしい。私も大好きなこの曲、しかし、歌詞を読むといろいろ丁寧に解釈せねばならない箇所が多く目立つ(たぶん、だから所ジョージさんがこの歌を好きなのだろう)。

 ・まず冒頭である。「あなたが運転手に道を教えはじめたから/わたしの家に近づいてしまった」。そんなわけはないのである。「家に近づいた」から「運転手に道を教えはじめた」のである。ではなぜ彼女は(語り手が女性だと決めつけるが)、論理的に逆のことを語ったのか。

 ・そういえば、3番の冒頭「あなたがわたしの手を軽く握ってくれる頃/私の家が近くなった」も、普通は逆に述べるところだ。この逆転はともに、「あなたの行動」→「家に近づく」という順序に、彼女の思考が動いていることをしめしていると考えることにしよう。そう見れば、この歌全編を通して、語り手の彼女は、なにひとつ自分から行動を起こしていないことに思いが至る。「あなた」の行動に身を任せているだけ、本当は離れたくないのに、それに抗うこともない。一種のあきらめの雰囲気の中の恋を経験している。一種歌謡曲的な「恋の諦め」というテーマを、大仰にでもドラマチックに出もなく、めいっぱいせつなく作り上げた岡本・吉田コンビに、ただただ日本国民は脱帽すべきなのである。

 ・他にも2番の「忙しさ」や「スピードゆるめ」もささりたい。見えたのは「横顔」だけなのもささりたい。が、夜も遅いのでまた今度。

 ・おまけ。3番のルームライトはタクシーが開いたときのライトだと思うが、1番のルームライトは? おそらく、タクシー運転手が信号待ちかなんかで日報を書くためのライトではないか。だとすると、長くても1分以内のライト点灯の時間である。「あなた」を見るのにはあまりに短い。やっぱりせつない。あまり指摘されたことがないかもしれないので、書き添えておく。


極私的全国民必聴歌 おもいで岬 2008/1/14()

歌詞はこちら

・御存知・新沼謙治のデビュー曲。これが良い。「おもいで」と言うとき、我々はともすると「良い想い出」ばかりを追いがちである。この歌、3番まで聴いているときは「自然っていいなぁ」とか「素朴な土地っていいなぁ」とか、歌われた「おもいで」を勝手に美化するかも知れない。

・しかし4番で、そのような聴き方が甘かったと思い知らされる。「耐えてしのんで 船のりが/行方たずねる 眼をはらす」。実はこの歌詞、4番まで一貫して「自然の中での小さい人間の暮らし」を描いている。そのくせ、4番には自然の描写がない。これがすごい。

・実は冬の描写は1番に「たき火」と「流氷」として存在する。こう見ると「顔をゆるめる」も生やさしい笑顔でないことが知れよう。都会にいると思われる語り手は、岬のおもいでに、何を求めているのだろうか。

・関連歌:「誰のせいでもない雨が」(中島みゆき)、「竜飛崎」(よしだたくろう&かまやつひろし)、「襟裳岬」(吉田拓郎)、「俺らいちぬけた」(岡林信康)など。

 

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