11 3択問題を作る

 みなさんは、3択クイズというとどのようなイメージを持っているだろうか。まずそこから検証したい。

 わたしの記憶の糸を手繰っていった時、最初に登場する3択クイズは、あるテレビ番組である。誰もご存知無いと思うし、タイトルも忘れてしまったのだが、司会がマチャアキ・井上順、解答者がドリフターズと女優、というテレビ朝日の特番だった。たぶん1983年ころの番組。この番組は「世界まるごと20世紀(この番組のことは後ほど詳しく、ホームページ上で再現したい)」と同様に、わたしのクイズに対する前記憶を徹底的に植え付けてくれた。

 その番組はいろいろ人をバカにしたような問題が出題されていた。何度もビデオで見たので覚えているが、「朝日新聞が、第三種郵便物として認可されたのはいつ?」とか「小林一茶の父親の名前は?」のように、絶対答えられない早押しクイズ、ヒントも何にも無いシルエットクイズ(正解は荒井注で、いかりやだけ正解した)、重いのはどっち?的な問題などに混じって、難問か3択クイズが出題された。全部覚えているわけではないが、覚えているものを挙げてみると、

  1.  街角で宝くじを売っている人を何と言う?
    @宝くじ販売人  A宝くじ売りさばき人  B必殺仕掛人
  2.  実際にあるお茶は?
    @ドッコイ茶   Aゴメンナ茶   Bカトー茶 

 1番の問題は、今だと容易に正解できる。Bは外して、@とAで比べる。@なら問題にしないから、正解はA。そういえば免許書き換えのとき警察署にいくと「証紙売りさばき所」と書いてある。はがきの場合も「売りさばき人」と呼んでいるようだ。
 2番は本当か分からないが、そのときはBが正解だと言っていた。「加糖茶」のことかと今になって思う。が、「○○地方にあるこういうお茶です!」という解説が、そのとき無かったので、いまいち分からない(井上順が「カトー茶というお茶があるんです!」と一言言っただけだった)。

 と、今になって思えばどうということのない問題なのだが、わたしは「クイズの楽しさ」をこの3択問題によって教えてもらった。この問題を無知な時点で見たわたしが、どこに楽しさを感じたのか。

 それはずばり「へー、そんなおもしろい事実があったのか!」という発見的喜び、これにつきる。「宝くじ売りさばき人」という名前の面白さと意外性。かつて水津康夫さんという方が自著で「問題と解答との間の意外性」ということをたいへん重要視されていた。その意味は、よく知っていたつもりだ。

 この発見的喜びが、わたしにとってクイズの喜びの中枢でありつづけた。これは中学を卒業するくらいまでそうだった。どうということがないかもしれないが、第8回高校生クイズ「貝割れ大根、そのまま育てると大根になる」という問題は、当時中学1年だったわたしにとって衝撃だった。「へー、そうなのか! そりゃおもしろい」というココロをくすぐってくれる魅力的な問題が、高校生クイズのYES・NOクイズをはじめ、クイズ面白ゼミナール、ウルトラクイズにはぎっしりつまっていた。

 3択クイズの魅力がそこだけでないことは、高校に入ったあたりから分かりだしてきた。ウルトラクイズのペーパークイズの問題に、こういう問題がある。

 これにはびっくりした。最初、大笑いした。こんなアホらしい問題を真剣に出題する出題者に敬意を感じる。クイズは出題のしかた、ネタの料理の仕方によって面白さがどうにでもなる、ということを教えてくれる印象的な問題だった。

 この「選択肢で遊ぶ」「出題のしかたで遊ぶ」という発想は、周りに理解者がいないとやりづらいかもしれない。幸いわたしの周りにはこういう遊びが好きな人が多かったので、結構あそばせてもらった。

 さて、いつも言っているように、わたしは「史上最強」を見てなかったので、あの番組に象徴されるような「純粋な知識を問う問題」にあまり触れないで大学に入学してきた。問題集としては読んでいたけれど、テレビを見ることによる「疑似体験」をしていなかったため、いまいちあの種の問題に対しては親近感も楽しみも感じてこなかった。ただ、純粋な知識を問う問題に、3択問題が使える、ということを教えてもらった、ような気もするし、そうでないような気もする。

 で、3択問題にわたしが持っているイメージを整理すると、次のようなことになる。

  1. 「意外な事実の存在を教える」「へーそうなんだ」というイメージ。
  2. 「選択肢で遊ぶと楽しい」というイメージ。
  3. 「純粋な知識を問う」というイメージ(同じ知識の有無を大量の人間に問える、という利点を生かす)。

 これにもう一つ加えるとすれば「早押しなどの形式では聞きづらい知識を問う」という要素がある。

 このうち、1はYES・NOで問える。3は早押しでも問える。だから、YES・NOで出したほうが面白い意外な知識を、無理に3択にしたり、その逆をやってしまうと、あまりいい問題にはならない。

 たとえば先ほどの「宝くじ売りさばき人」の問題は、次のようなYES・NOクイズにすることもできる。

 この手の問題は、例えば第11回高校生クイズ東北ブロックで出題された次の問題に似ている。

 でも、これらの知識をYES・NOクイズにすると、「意外な事実を知ったから問題にしよっと!」という意識が丸見えになってしまい、如何にも正解がYESであることがロコツだ。YESでなければ面白くも何とも無い問題だし。だから、3択問題として、選択肢で遊ぶのが正しいと思われる。

 さて、3「純粋な知識」についても同じようなことが言える。早押しで出題するべき知識を無理に3択にする場合がよくあるが、そうすることで面白さが半減することの方が多いので、注意が必要である。これも具体例を挙げる。

 自作問題だが、早押しで問うた方がすっきりする。3択問題を必要としていた時期だけに、こういう問題ができてしまったのだが、あまりいい問題ではなかった。正解してもそんなにうれしくはないし、間違ってもそんなに悔しくは無い。

 同じ路線上に「どうやっても3択問題になり得ない知識」なのに、無理して3択をこしらえてしまうこともある。これは「難しすぎる問題」を、何とか出題できないかなぁ、とこねくり回している時に起こってしまう。また、どうしても3択を大量に作る必要があるときにやってしまう。こんな感じ。

 ダッシュ勝平と同様、間違ってもあまり悔しくない問題。どれが正解でも別に興味が起きない。やはり早押しなどの形式でしか問えないような気がする。

 ここで確認しておこう。先に「正解してもそんなにうれしくはないし、間違ってもそんなに悔しくは無い」という言い方をした。これは「問題を正解するために考える気が起こらない」「正解を知った後に知的リアクションが起こせない」ということを端的に述べた表現である。「YES・NOクイズについて」の項で既に述べたことの繰り返しになっているが、基本的には同じなんだな。

  このように考えてくると、3択問題を面白く拵えるのは、案外難しい。今までのことを踏まえて、わたしが気を遣っていることを紹介したい。まず、大会などで出題する場合、

  1. 解答者が考えようという気持ちが起こるような問題、もしくは解答者を純粋に悩ませるような問題。
  2. 「へー、そうなんだ」と思わせる知識を提供し、しかも3択として出題するだけの妥当性がある問題。

 の、どちらかの条件に当てはまるものを出そうと思っている。具体例は「隔週クイズ」で紹介するが、仲間内で出す時は「純粋な知識の有無を問う」ことをあまりしないことにしている。これはかつてテレビのクイズバラエティーが教えてくれたクイズの楽しさを踏襲したいからである。と同時に、純粋な知識を問う3択問題は、見ていてあんまり面白くないからである。 

 その代わり、クイズのゲーム機のバイト(あれは4択だが)をするときには、「純粋な知識を問う」「選択肢で遊ぶ」を目いっぱいさせてもらっている。「純粋な知識を問われている状況を楽しむ」「選択肢を見て楽しむ」という楽しみ方は、きわめて個人的なクイズの楽しみだから、ひとり(もしくはごく少人数)を相手に出題する状況では、目いっぱい楽しめると思う。

 

 さあ、では上の1・2の条件を満たすために必要な要素は何なのか。ずばり「ネタ」と「選択肢」であると思う。

 で、ちょっと長くなりそうなのでいったんここで切る。次回のコーナーで具体的な作成について見てみたい。

 

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