7 YES・NOクイズについて
わたしはクイズの中で、YES・NOクイズをたいへん重視している。実にクイズの根源的な楽しみの要素が詰まっている形式だと考えるからである。その具体的な要素は次のようなものであると考える。
このうち、1と2は、3の要素を最大限引き出すための、前フリとしての要素と考えることができる。要は、わたしの理想のYES・NOクイズは「正解するとうれしい問題」というもの。
現在クイズ界(というものがあるかどうかは別にして(←くどい))で考えられている「クイズ」というものは、「身につけた知識を元にして確実な正解を導く」という、クイズの中の一部の要素を拡大したものにすぎない。それに対し、今挙げたような要素は、
という意味において、普段行われているクイズとはだいぶ違うものであると思う。だいぶ違うからこそ、「非日常的なクイズの楽しみ」を味わえる。「知っていることを答える」日常的なクイズから、「なんとなく」「分からないけれど」「勘で答える」非日常的なクイズへの飛躍も、クイズの楽しみを広げる大きな要素である。「正解してうれしい」をとことん追究すると、上記1〜4の要素をなるたけ問題の中に盛りこまなければならない。そのためには「予備知識がなくても楽しめる」を一歩進めて「知識では解けない」まで行かないといけない。もちろん、世の中の人全員が分からない問題というのはあり得ないと思うが、なるべくそのために尽力している問題であることが求められる。
YES・NOクイズの面白さの分析を軽く済ませたところで、ではこのような面白さを最大限引き出すような問題作成について考えてみよう。
YES・NOクイズといえば現在は「高校生クイズ」の問題がすぐ頭に浮かぶが、古くは「地上最大のクイズ」「クイズ面白ゼミナール」などで出題され、視聴者を純粋に楽しませてきた。何と言っても「疑似体験(詳しくは「オールマイティー5」参照)」をしている視聴者の「射倖心と知的好奇心をくすぐる」形式であり、また予備知識がなくても楽しめるという点で、知識を競う問題よりも多くの人々を楽しませたのである。そういう意味では「予備知識がいらない」という要素はYES・NOクイズを特徴付ける最大の点だといえるだろう。まず、このことを意識してみる。
そうすればYES・NOクイズの問題に必要な要素として、「予備知識がなくても何かしら考えることができる」という点を挙げることになる。「考えることができる」という点をもう少し見てみると、「正解を導くために頭を使いたくなるような問題」であることも重要である。ありていに言えば「面白い問題」「しゃれている問題」ということになろうか。まず、具体例で見てみよう。
わたしが1997年に作った問題。「すぐやる課」について詳しいクイズ関係者なら、考えてみようという気が起こるかもしれないが、一般の人からすれば「すぐやる課って何だ?」ということになりかねない。だからテレビ番組向けではないだろう。「予備知識」がなければ(あっても)なんの面白みもない問題であり、いい問題とは言えない。
同じころ作った問題。雑誌「POPEYE」はかなりの知名度があると思うので、別に悪くないのだが、それでも「そんな雑誌全然知らない」と言う人が、なんとなくいるような気がする。また、名前は知っててもどんな雑誌なのかイメージが沸かない、という人が結構多いのではないか。やっぱりあまりいい問題ではない。極端に言えば、参加者のうちひとりでも知的反応を起こせないような問題は、ふさわしくない。
予備知識の問題は置いておくとして、この問題の答えなんかはYESだろうがNOだろうが、別にどっちでもいい。こんなことには何の知的興味も沸かない。別に何処の楽団でもいいよ、こんなの。こういうのは「別に正解を導くために悩みたくならない問題」になる。答えが出て「ふーん、それで」と思われてしまえば、YES・NOクイズとして成功とは言えまい。
「小惑星」という単語にピンとくるクイズ研究会の人になら、まあまあ出題してもよい問題かな、と思う。クイズ問題というのは、自分の個性を出すことも大切だが、その場にあった問題を作ることも大切である。そういう意味で、「クイズ研究会」でなら出題してもよい、高校生クイズでもまあいいかな、こうなると出題者の主観の問題かもしれない。ちなみに、わたしは一般向けのクイズ大会にこの問題は出題しないだろう。
今まで述べたことの結論を少しまとめておくと、
予備知識がなくても、参加者に「正解を導くために頭を使おう」という意識を持たせるような問題を、わたしは良しとする。
今回はこの辺で短めに終了し、次項でそのような問題をわたしが作成するときの思考の流れを紹介したい。
YES・NOクイズについては、歴史的な分析を含めてオールマイティーにも記すつもりである。では。
なお、問題の答えはこちらへ