24 私の経験したTQC4年間

 東大風とは何か、という議論が一部で盛んに行われているようである。これについて私は明確な解答を持っていない。「東大風」と呼ばれるクイズ問題が、如何に受容されているかがいまいちわからんからだ。様々なHPを渉猟するに、曰く「長文に対するアンチテーゼ程度のものである」、曰く「斬新な発想は面白い」、曰く「長文系についていけない人が慰みに作っているのみ」、云々。

 「東大風とは何か」「何故東大では前フリ系の問題が出なかったのか」などのテーマについて、どれだけの人が本気で解答を得ようとしているのか定かではない。しかし、わたしのTQC4年間の生活をしたためることで、本気で考えている人の疑問が幾分かでも解消できれば幸いである。

 

A 入学1年目(1994年4月〜1994年12月)

 「史上最強のクイズ王決定戦」「FNS1億2500万人のクイズ王決定戦」の地方予選が行われない初めての春を迎えたが、それでもこの頃は「何となく面白そうだから」という理由でクイズ研究会に入ってくれる人が結構いた。ウチの学年でバリバリ強くなろうとしていたのは、学連副会長で1996年マンオブ司会をするHくん、芸能・スポーツに強いMくん、わたしの3人くらいだった。本当はもう一人、百人一首に専念するために学年の途中で活動を停止したNくん(最近よく他HPで名前を見る)も加えるべきかもしれない。

 それ以外の人は、強くなることより「クイズを楽しもう」という気持ちだったと思う。RUQS(立命館)では「楽しむために強くなる」というコンセプトがかつてあったようだが、TQCにはそういう風潮はあまり無かった。ただ、みんな知識量はかなりあるから、クイズの勉強をしなくてもベタ以外の問題は結構押し勝って正解していた。

 当時TQCは、最後のFNSで予選通過者を大量に出したり、前年度のマンオブにウルトラクイズチャンピオンのTさんがなったりして、「強いサークル」という印象が強かったと思う。4年生にAさん、Uさん、Sさん。3年生は高校生のころからFNS予選通過していた前会長Nさん、「蔵間さん」の愛称だったKさん、第1回のK−1で優勝するKさん、イケメンのOさん、はじめは頑なにクイズをしなかった水谷さん、などなど、とにかく強豪がひしめいていた。もちろん2年生に秋元さんがいる。当時会長のOさんも強い。これだけ見ると「強豪ひしめく中で、クイズに強くなるために明け暮れたんだろうなぁ」と見えるかも知れない。しかし、そうではない。

 いわゆる「強豪」と呼ばれる人たち以外にも、当時のTQCにはたくさんのメンバーがいた。先に挙げた3人以外の4年生の方々は、どちらかというと「楽しいクイズ」を指向されていたように思う。「強くなるためにガシガシクイズをやる」という感じは、あんまりなかった。例えば、ある3年生の方が「クイズの勉強としてベタ問題を覚えまくるのは、『たほいや』に備えて広辞苑を覚えまくるようなものだ」と主張されたことがある。「たほいや」についてはこちらを参照のこと。で、そもそも「たほいや」とクイズは違うからこの主張にはかなり無理がある訳だが、それでも傾聴に値する意見ではある。たぶん、ベタを勉強しまくった人たちだけがクイズに勝てるような当時の状況に対し、「楽しいクイズ」を求める立場として否定したい気持ちが強かったのでは無かろうか。今は、そう思う。

また、4年生の強豪の方々は、TQC以外にもインカレのサークルっぽい集まりでクイズをしているようだった。だから、強くなるためのクイズをTQCに求める必要がなかったのかも知れない。もっとも、4年生はこのころ就職のために忙しかったから、そもそも参加率は高くなかった。

 このころTQCで出題されていた問題は、どちらかというと当時出版されていたクイズ問題集(主に『クイズ王への道!』あたり)のテイストと、そう変わらなかったように思う。難易度が高すぎることもなかったから、1年生である自分も少しは答えられた。こういう出題傾向が世間にはまっていたからか、オープン大会でも毎回大量の予選通過者を出していた。ただ、わたし自身はマンオブで予選落ちしたとき、「結局クイズ本集めたり暗記したりしてる人が勝つなんてつまんないや」と結構生意気に思ってしまったために、ちょっぴりクイズに飽き始めてもいた。『能勢本』の問題集編も、読むには読んだが、読み込もうとはしなかった。昔から、問題集を暗記するのがどうも好きになれず、長戸本も大して覚えてはいない。

 TQCの場合、12月のクリスマスパーティー(だいたいマンオブの次の週)で新執行部が発表される。執行部はその時点での1年生から選ばれる。わたしはワープロを持っているということで広報という役につき、毎回の会報を書くこととなった。会長はKくん。副会長に高校生クイズ全国大会経験者Iくん、連盟委員はHくん、会計が科学者志望Hくん。この5人の執行部員がその後のTQCを担うこととなった。ところが、この5人が、、、

2 執行部としての1年(1995年1月〜1995年12月)

 この5人が、揃いも揃って「人と同じことはしたくない」「何処かで聞いたことがある問題は出したくない」「とにかく面白がらせなくてはいけない」という考え方の持ち主だったから、さあ大変。最初は比較的おとなしい問題を出していたが、だんだん本性を現していく。あれだけいた上級生は就職活動やら何やらであまりサークルに来ないから、新しく入ってきた1年生を引き込んで、どんどん新しい方向にひた走っていく。「テレビ番組で勝つためにクイズの勉強をする」という目標も、サークル内から無くなりつつあった。番組そのものがないんだから仕方がない。

 例えば、連盟委員Hくんの出した問題は

l        この問題は解答を黒板に書いていただく問題です。分かったらボタンを押して黒板に書いてください。音楽記号の「4分休符」はどう書く?

l        次はヴィジュアルクイズです。こちらをご覧ください(「東京六大学には指名打者制はない。〇か×か?」と書いた紙を見せて)。〇か×か?

l        次は飲み物を飲んで答えていただく問題です。このカクテルは何?

l        私、Hは皆さんご存じのように最近よく豊川悦司に間違われますが、その豊川悦司が中退した関西の大学は、何学院大学でしょう?

 1問目は、この頃TQCで流行った「早押し書き問題」。2問目は裏をかくためだけの問題で、かなりのひねり球。ちなみに、早押しで○×を出す、という発想もこのころTQCによくあった。3問目はカクテル通のHくんの本領発揮。その後アタック25で「ホワイトカカオにグリーンペパーミント」ぐらいでボタンを押し、「グラスホッパー」を正解して優勝するだけのことはある。4問目はおふざけだが、このような「私、Hは皆さんご存じのように」シリーズ問題も何問かある。こういうクイズをサークル内の企画で出題することに、我々は全然抵抗がなかった。抵抗どころか、至って真面目に出題していた。おふざけだとはさらさら思っていないし。

 私自身の問題を挙げるとこんな感じである。

l        テレビ東京の人気番組「TVチャンピオン」で、初の3連覇を達成したのは「オタッキー原口」ですが、彼が3連覇したのは何選手権?(手先が器用選手権)

l        次はクイズ研史上初のものまねクイズです。これからわたしがまねするのは誰でしょう?→「(高い声で)そんなことないんだよー」(中居正広)

l        ミツカンの「おむすび山」のパッケージに書かれてある言葉、「きょうは何よう日」?(愛情コメ曜日)

l        普通はひとりではできない行為で、漢字で「一つの家の心の中」と書くことは何でしょう?(一家心中)

l        田原俊彦の「NINJIN娘」で、娘がNINJINのようになったのは何故でしょう?(日に焼けてやせたから)

l        かつてロリコン系美少女ブームを巻き起こした、ダウンタウンの松本人志や130Rの板尾創路がお気に入りであるAVメーカーは何処?(宇宙企画)

実際にわたしが企画で出題した問題である。1問目は新しい素材を掘り起こす趣旨の問題。2問目はひどい。コメント不能。別にこのモノマネに自信があったわけでもないし。3問目は好きだった問題。ボードで出している。正解はいなかったが、そんなことは問題ではない。4問目。前フリの馬鹿馬鹿しさが気に入っている。「普通は」という言葉は絶対要らないし。5問目は「なぜ?」問題。このころ出題し始めて、今でも出し続けている。早押し、という形式に馴染まないと思われた「何故」問題も、作ってみれば結構クイズの出題範囲を広げる結果となったのが嬉しい。最後の問題は、AVをクイズにする、という新しい試みのつもり。

 クイズにおける出題範囲を広めたことにより、1年生の後半でクイズに飽き始めていたわたしだったが、じゃんじゃん個人企画の魅力にとりつかれることになる。1月に第1回個人企画をやって以来、4月に第2回(上級生歓迎クイズ大会)、6月に第3回(アタック25への道)、10月に第4回(文転記念)、これにプラスして執行部企画や合宿の企画をやっていたから今考えると異常なクイズ欲だ。

結局、執行部の間にサークルで出した問題が全部で1200問以上。ベタや問題集に載っている問題を外して作ろうとすると、とにかく思いつくまま気の向くまま、周りにあるものを問題にしていくしかない。このころは、とりあえず家にある本やテレビ、新聞からネタを拾うことで問題を作りまくっていた時期である。「クイズにでそうだ」と思われる問題は、なるべく外して作っていた。問題集とかぶる問題は、そもそも安易に感じていた、というのがある。

このころ、世間では「第2回K−1グランプリ」で「前フリうじゃうじゃ問題」が関東に伝わってきている。いかに世間のクイズの流れを無視していたかが知れようというものである。ちなみにわたし自身は、第2回K−1で何を間違ったかベスト8まで進んでしまったが、前フリ問題を追究しようなどとは全く思っていなかった。というか、そう言うのが流行し始めるなどと思っていなかった。たまたま知識として知っていることが前フリで出たから、超早押しができた、というだけのことである。

このころの前フリ問題について、私は「全編がエピソードを中心とした『はじめて物語』のようなクイズ」という認識をしていたし、その認識を公言してもいた。基本的にはこの認識は今も変わっていない。それまで偶に私が「エピソード問題」を自分で作成するとき、今で言う前フリ文法になっていたという自身の経験に由来する。前フリ問題で問うことでしか生かしにくいネタもある、と今でも思う。しかし、「ベタ落ちする」という前フリ問題の構造に馴染めなかったから(=面白いと思えなかったから)、自然とこういう問題になる。

l        秋田県立横手高等学校の校歌を作詞したことではあまり知られていないものの、詩集「天地有情」はそこそこ知られており、仙台市の名誉市民ともなっている人は誰?(土井晩翠。なお私は横手高校出身)

l        もともとは朝鮮戦争の際、架空の戦争犯罪を信じるようになった現象を説明するためにエドワード=ハンターが作った言葉「brain washing」を日本語訳した、ちょっと前に流行った言葉は何?(洗脳)

l        父は裁判官なのに、本人は青学在学中試験でカンニングがばれて、単位を取り消された経験をもつ、ヘアヌード写真集も出した女優は誰?(川島なお美)

l        引退相撲の断髪式のあとタキシードを着て、土俵で自分のヒット曲『ネオン無情』を歌った、かつて「現代っ子横綱」といわれたのは誰?(北の富士)

 わたしが「前フリ問題=エピソード問題」と短絡的に結びつけていた頃、連盟委員のHくんは違った考察を行っていた。これは彼が連盟委員で他大学のクイズ事情を私よりよく知っていたことに起因すると思われる。彼はその著書『オリジナル・クイズ』で「手抜きで辞書から型どおりの問題を作った」「長々とした問題のほとんどは、サプライヤー(問題提供者のこと。佐々木注)のその事柄に対する関心のなさ、造詣の浅さ、そして出題に対する意欲の欠如を暴露してしまう」と述べている(19ページ)。これは彼の実感であろう。彼自身、自ら作った問題を顧みてこう言っているのだから。ただ、現在の前フリ問題作成者に対して通用する意見ではないだろう。「前フリ」=「型どおり」=「手抜き」という認識は、TQC内部でのみ通用する分析だったかも知れない。もっとも、それ以外の記述については、かなり分析がすばらしい。特に「実力」についてはよくこの時点でここまで分析したもんだ、と思える内容である。

 また早押しにおける「見せる問題(ヴィジュアルクイズ)」を頻繁にやり出したのも我々の代が最初であった。最初にやり出したのは4月の「新入生歓迎クイズ」あたりだったと思う。わたしは6月の「アタック25への道」で「早押し読み上げ問題に、イントロをいっぱい挟む」という試みをし、その後10月の「文転記念」ではヴィジュアル問題をたくさん出題した。ヴィジュアルには、早押し席による見やすさの有利不利問題が常に残っていた。だから、一目見て答えが分かってしまうような問題は避けるべきだ、とは思っていた。しかし、必ずしもその通りになっていなかった反省は残る。

 で、こういう傾向を踏まえたのか、10月(「文転記念」の3日後)に行われた第2回東大(中略)オープンでは、ヴィジュアル問題が結構出題された。このとき一番強烈だったのは「アンケートクイズ」であろう。わたしも参加しており、勘が全然働かず敗退してしまったのでよく覚えている。一問多答やアンケート的な問題に答え、正しい答えを書いた人のうち人数が多かった人を勝ちとする、という企画だった。これに対する批判が多かったことも『オリジナル・クイズ』に記されているが、要約すれば「こういうクイズはサークル内で行うものであり、オープン大会には向かない」というものであった。当時のわたしは「ウルトラクイズみたいで面白い」くらいにしか、このルールを考えていなかったから、こういう批判があったことがもはや驚きであった。

 こういう批判が来る、ということは、逆に言えば「オープン大会は権威があり、『実力』を持った人が勝てる形式にすべきである」というムードが、多くのクイズプレーヤーたちの考え方になっていた、ということでもある。わたしは全く以て異を唱えるものであるし、当時東大(中略)オープンの担い手であった3・4年の人たちも同様であったろう。クイズを広げよう、という我々サークルの考え方は、あまり他のサークルのプレーヤーたちには認知されなかった。そして、認知されなかったことが、今日「東大風」という風変わりな呼称の出現を許したような気がしてならない。

 と、こんな感じで1年間過ごし、次の執行部に代が移る時期。次期会長は北海道出身のNくん。この人がすごいのである。次項へ続く。

さて、ここでひとつ懺悔をしたい。特に私は、このころベタが出題されるクイズ大会を特に嫌っていたから、今考えると大会や対抗戦などで大変失礼な振る舞いもしてしまっていたと思う(でも、重ねて言うが商東戦で早押し機にいたずら書きをしたのは私ではない)。私の場合、すぐ不快感が顔に出てしまう。この年の某オープン、ペーパー後の早押し問題がすべて見事にベタ問題だったために、全く押す気もなく敗退となったことがある。徹マン明けで対抗戦に行ったこともある。こういうことの積み重ねにより、このころTQCが対外的に非礼なサークルと見られていたのではないか、と反省している。本当にごめんなさい。

(この稿つづく)

おまけ わたしが執行部の任期を終え、3月ごろ記した「現代クイズ論」の改訂文章はこちら

 

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