明和の大津波 |
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当研究所の最大の研究テーマは明冶45年廃村となった平久保半島東側の安良村であるが、その憂き目の引き金になった明和地震{1771年4月24日午前8時頃、マグニチュード(以下略称Mを使用)と7.4}と、その後に引き続いて起こった大津波について 故牧野清先生の執筆された 「八重山の明和大津波」の記述に基づき検証してみた。近年様々な学説が発表されているので本サイトの内容は参考意見ということにしていただきたい。 |
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津波による死亡、行方不明者は八重山群島で9313名、宮古群島で2548名 | |||||||||
最近の事例と比較して、1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)はM7.3、死者行方不明者合わせて6437名。マグニチュードは数値1増えるとエネルギは32倍といわれるので単純比較は出来ないがほぼ同じ規模と思われる。 |
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石垣島各村の波の高さ、記録の正確性については牧野清氏の著書「八重山の明和大津波」に記述されており、ここでは最大波高地点、「宮良牧中」と「安良村」について検証する。P |
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正確に言うと「大波之時各村之形行書」に記された、嘉崎浜(現在の白保崎先端)は画像の左方で明和地震の推定震源地(東経124.3°北緯24.0°)と直線にして約40Kmの距離。 | |||||||||
「八重山の明和大津波」を執筆された牧野清氏(当時石垣市役所助役)によれば「嘉崎浜」の名は大浜町役場・石垣市役所内のあらゆる文書を探しても見つからず、場所特定に難儀をしたそうだ | |||||||||
昭和40年頃この地名を知っていたのは白保部落の長老「崎原場慈」翁ただ一人。 | |||||||||
嘉崎浜については場慈翁からの聞き取り調査による、二人の兄弟酋長が土地境界設置に至る、村建時からの話があるが、詳細は次回現地調査後に紹介したい。浜は境界設置時、兄弟が相撲で勝敗をつけたので一名「しまとる浜」の名もあり、昭和43年ごろ宮良部落では「バダンジ」と呼ばれていた。また、白保寄りの地域は毎年3,4月頃野生のユリが咲き乱れるので、子供たちに「百合が浜」と呼ばれ、その名が定着。地境として積んだ石は白保小学校の西北方に当時存在していたとの事。 | |||||||||
当時の子供達も現在は50を過ぎており歴史を秘めたこの海岸「嘉崎浜」の現況を一日も早く確認したい。 | |||||||||
慰霊碑への道順は大浜から白保方面に向かい宮良川の橋を渡ってすぐ左へそれ、坂を上がる。 |
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200m位上がり、農道へ右折するとすぐこんもりとした岩盛りが見え、更に200m位走行、道標もあるのですぐわかる。 | |||||||||
津波の生き証人 |
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当研究所は1998年から毎年1〜3回八重山群島、宮古群島を調査した。 | |||||||||
宮古島東平安名崎の北側、吉野・新城海岸側に転がる岩は大津波で崩された崖の岩と思われる。 | |||||||||
「明和大津波」に記述のある黒島・ユナ海岸の大石は道路整備の障害となるとの事で既に破壊され跡形も無い。 | |||||||||
それどころか、地元古老に尋ねても「ユナ海岸」という名前すら誰も知る人はいなかったが、 | |||||||||
それでも黒島では牧場内所々に大石が転がっており大津波の痕跡が見られたのが救いだった。 | |||||||||
これは大浜・崎原公園内の「津波大石」(つなみうふいし)で石垣島内最大の生き証人である。 |
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公園に隣接してゲートボール場があり、ここでも古老に「津波石は」と尋ねても誰も知らなかった。 | |||||||||
地元の意識とはそんな程度のものだろうか。 | |||||||||
故牧野先生の学説では海中を転がりながら陸に上がったため角がとれ丸っぽいB型である。 | |||||||||
直径10m、高さ5m、周囲36m、体積約353.25立法メートル、1立方m当たり2トンとして706.5トンと算定。 | |||||||||
表面にはみどり石、テーブル珊瑚、その他生物の痕跡が歴然としており、真に大津波の生き証人である。 | |||||||||
この他にも昭和四十年代前半までは石垣市内の民家の庭先や、台地、畑に津波石はゴロゴロしていたそうだ。 | |||||||||
今でも道路工事等の際、地上から1m位のところで砂地に混ざり大津波により流され溺死、 | |||||||||
その後打ち上げられたと思われる遭難者の遺骨が現れる。 | |||||||||
撮影地:安良村・波が打ち上がった標高65mと推測した位置からの画像。 | |||||||||
村は壊滅状況となった。 | |||||||||
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