(7月14日の続き)フルーツガーデンでもぎたての新鮮なフルーツを腹一杯食ベた、山行中は味わえ ない新鮮な食べ物は本当に嬉しかった。何より2日ぶりのビールがうまかった。下 山後に本来乗る予定にしていたバスに乗り、尾之間の宿に向かった。これだけのん ぴりできたのも、途中でおじさんの車に拾ってもらったからだ。
この宿には、旅の後半に必要な水着やサンダル、スニーカーなどを出発前に送っ ておいた。宿に着き、まずはビール(バスに乗る前に飲んだばかりだが)で気を落 ちつかせてから山行で使ったテント、ザック、シュラフ、登山靴などのこの先必要 のない物を家に送り返すために荷造りをした。これでやっと普通の旅行者に変身で きた。これだけ片付けがスムーズにいくのも、山行中に一度も雨に降られなかった からだ。
この旅は、明日からまだ3日間続くので明日以降の日程をたてることにした。
屋久島でのもうひとつの楽しみは海水浴をすることだったのでレンタカーで島で一番 綺麗と言われている永田のいなか浜(ウミガメの産卵で有名なところ)に行くこと にした。ここ尾之間は、屋久島にふたつある町(上屋久町、屋久町)のうち、屋久 町の役場のあるところで国民宿舎まである町なのにもかかわらずレンタカー屋がな いのだ。電話帳で調べたが屋久島には一番大きな宮之浦(上屋久町の役場のあると ころで港がある)と、安房(以前屋久杉の伐採で栄えたところ)、空港の3ヶ所に しかないことが分かった。そこで、バスに乗り安房のレンタカー屋まで行き、そこ で借りることにした。
7月15日(水)、一夜明けても山行の興奮は冷めていなかった。それどころか成し遂げたという実感が沸いてきて気分はハイだった。
家に送り返すための大きなザックと段ボール箱を抱えてバス停近くの商店で宅配便を発送した後バスに乗った。ちょうど通学時間と重なり女子高生で結構 バスは一杯だった。
バスに揺られること30分で安房の町に着き、「まつだんばレンタカー」を訪ねた。まつだんだとは聞き慣れ名前だと思ったら島に昔から伝わる民謡 のことらしい。どうしてレンタカー屋の名前に民謡が付くのかまったく不思議なものだ。車種 の選択の余地はなく白の日産サニー(マニュアル車)を借りた。
交通量の極めて少ない海岸沿いの道路だが島の車はのんびり運転だ。すれ違う車 はバスかタクシーで乗用車はほとんど走っていない、時々見かける乗用車もほとん どが「わ」ナンバーだ。
屋久島で一番綺麗と言われている永田のいなか浜海水浴場では、シーズン前(と は言ってもここは南の島、しかも7月中旬だというのに)なのか、海水浴客は僕た ちの他に2組しかいない。海の家などというものも、ひとつも開いていない。これ でも本当の観光地なのか。でも、この方が南の海の良さがよくわかり都合がいい。 泳いでいる魚が見える海は、2人とも初めてだったので、大いにはしゃいだ。
午後からは、土産探しに屋久杉の工芸品を求めて安房周辺をドライブした。僕は そこで日本間にぴったりの机や衝立を見つけ買って帰ろうとしたが、何十万円もす る高価なものなので妻に反対され結局は2000円のペン皿と600円の楊子立て を買うことになった。
帰り道に巨大な花崗岩の一枚岩でできているという珍しい千 尋の滝を見て、今夜の宿である尾之間の国民宿舎までレンタカーを走らせ、乗り捨 て料を含め1万数千円を払った。
ここ尾之間には、東洋のマッターホルン(本当に 形がそっくり)と呼ばれているモッチョム岳(本富岳)がある。
夕食後、妻が急に明日は島一周をレンタサイクルで走りたいと言い出した。どう してこうも僕に似てしまったのか。実は妻は、今回の旅の計画段階で島一周レンタ サイクルをやりたいと言っていたが、日程的にきついため一度はあきらめていたの だった。僕は自転車の厳しさを以前体験した北海道ツーリングの話をおりまぜて説 明したが、意志が固くどうしてもやりたいと言うので、それならやってみようとい うことになった。(島一周レンタサイクルと簡単に言うが、島一周は何と100キロ もある)そこで、電話帳で探した宮之浦の店に予約の電話をいれた。
明けて、7月16日(木)、昨日に引き続き、今日も尾之間から路線バスに揺られ 1時間、宮之浦の町に着いた。レンタサイクル店でその名も「縄文水」という名の ミネラルウォーター(1.5リットル入り、実は我家の近くのスーパーでも売って いた!)が売っていたので、途中で飲むために買い込み、9時から17時までの8時 間のレンタル料を払い、いざ出発だ。
島の外周道路は一周約100キロ、海岸沿い の外周道路とは言え島全体が山になっているため平地が少なくアップダウンが多い。 元気良く飛び出した妻であったが、最初の長いダラダラとした登り坂ですでに息を 切らしている、あっという間に妻の姿は僕の視線から消えていった。
ペダルを漕ぎながら、僕はいつしか北海道ツーリングの途中で苦労した三陸海岸 沿いの国道45号線を思い出していた。昨日、海水浴をした永田までが一周の約5 分の1(20キロ)だが、ここまで来るのにもひと苦労だった。
僕は、遅れてくる 妻の到着を待った。5分遅れで苦しそうな顔の妻が到着した。そこで僕は「これで やっと5分の1だ、残りはまだまだ長い、しかもここから栗生までのこの先の20 キロは、西部林道と呼ばれているところで、集落もなく、そのためか路線バスすら 通りていない程の山の中だ。地図によると最高地点の標高は300メートルもある。 もし引き返すならここだし、予定通り行くならもう引き返せないぞ、それでも行く のか」と少し脅し気味に言った。(実は、僕自身もこの先には多少の不安があった のだが、妻にはそれらしいそぶりをひとつも見せなかった)予想に反し妻は「やっ ぱり行く」ときっぱり言いきった。
結婚して3年が過ぎ何度も山につれて行ったり したが、いつのまにか随分根性が付き、すっかり僕に似てしまい僕自身もびっくり した。こうなりては、もう後に引くことはできない。
15分の休憩後、再びペダルを漕ぎだした。アップダウンが一層きつくなった。 妻は、遅れる一方で次の栗生の町の手前の大川林道入り口(2日前の下山の時にと ぽとぽと歩いていた僕たちをおじさんが車で拾ってくれたところ)までの間、僕は 妻の姿を一度も見ることがなかった。待つこと10分くらいで妻が到着した、途中 でかなり強い雨に降られたので二人ともぴしょびしよになった。運良く僕は途中で 野生の猿を見ることができた。妻にはそんな余裕は全くなかったようだ。一番の難 所である西部林道を無事クリヤーすることができたことで妻は嬉しそうだった。心 配していた林道だったがダートはほんの一部だけでほとんどが舗装されていた。こ れだけ苦労したけれどまだ一周の約5分の2を走ったにすぎない。けれど、この先 にはもう山間部はないので気分的には、半周以上も走ったようなもので随分楽な気 分になった。
そろそろ腹が減ってきたので次の中間の町で昼食をとることにしたが、この町に は食堂らしい物がなく、雨も降っていたので、店の軒下を借りてパンでも食ベよう と「有馬商店」という小さな店に入り、パンをいくつか買い込み店の軒下に座り込 んで持参した「縄文水」を飲みながら食ベていると、店のおばさんが冷たいジュー スを差し入れてくれた。「そんなところで食ベていないで中で食ベなさい」と行っ てくれたけれど遠慮した、「どこから来たのか」、「山に登ったのか」などいろい ろと聞かれ話をした、挨拶を済ませ一緒に写真を取ったりし、休憩を楽しんだ。
雨も止み、陽も差してきたのでそろそろ出発する事にした。これでほぼ島を半周 したことになる。その後は比較的順調で、昨日、一昨日と泊まった尾之間の町をす ぎ、昨日レンタカーを借りた安房の町も過ぎ、残りもいよいよ5分の1となった。 相変わらず妻は僕から遥かに遅れているが、随分と自信も付いてきたようで「つら い」などと弱音を吐くことはなかった。
途中の水田は、まだ7月中旬だというのに刈り取り寸前の稲が大きく実を付け ていた。
屋久島空港を過ぎ、宮之浦の町が遥か彼方に見えてきた。もうひとふんばり、ペ ダルを漕ぐ足にも一層力が入る。
16時30分、7時間半かけてやっと宮之浦に戻ることができた。つらく、長い 100キロの道のりだった。サイクリングというより過激な自転車レースだった。
喫茶店に入り、妻はかき氷、僕はもちろんビールを注文し、二人の完走を祝った。
充実した1日が今日も暮れていく、ある意味では3日間の登山よりもはるかに苦し かったと思う。
今夜の宿は、一週間前に島に入った日に泊まった島一番のホテルだ。登山後に再 び泊まるからといって預かりてもらっておいた着替えなどの荷物をフロントで受け 取り、一週間前と同じ部屋に入った。いつものとおりビールを飲みながら明日、最 終日の日程を考えることにした。予定では、帰りも行き同様に飛行機を乗り継ぐつ もりで航空券も手配しておいたが、せっかくなので鹿児島までは船で帰ろうと僕が 提案し妻もOKと言ったので、そうすることにしたが、既に時間が遅く空港カウン ターも港も閉まっていたので明朝に手配することにした。
二人とも、かなり疲れていたが、屋久島最後の夜ということでもあり、うまい物、 うまい酒を心いくまで楽しんだ。
7月17日(金)
今日も朝から晴天だ。本当にこの7日間最高の天気に恵まれて ラッキーだった。朝食後、僕は片道20分のバスに乗り航空券の払い戻しのために 空港に向かった。妻は港に船の予約に向かい、予約がとれたところで航空券をキャ ンセルする手はずにしていた。無事に船の予約が取れ飛行機をキャンセルし、パス で港に向かった。まったく最後の最後まで忙しい日程だ。その間に、妻は荷物をま とめホテルの支払を済ませ港で落ち合うことにしていた。
出港の30分くらい前ぎりぎりに何とか無事二人落ち合い乗船することになった。 この船は超高速船「ジェットフォイル」と呼ばれるもので、普通の船が4時間30 分で鹿児島・屋久島間130キロを結ぶところを何と1時間50分で走るという優 れものだ。僕たちの席から見える位置に船の速度を表示するデジタル表示盤あり、 最高速度は何と84キロにも達した。この船は、海上を浮いて走るため震動が少な く船とは思えない。船酔に弱い僕でさえ不安を少しも感じなかった。
帰りを船に変更したのは佐多岬(九州(本土)最南端の岬。昨年の九州バイクツーリング で訪ねた思い出の地。もちらのご覧ください。)が見たかったのだ、来るときの飛行機では岬の位置が僕たちの席から進行方 向反対側だったため残念ながら見ることができなかったのだ。岬のかなりそばを通 過したため二人とも大満足だった。昨年は、あそこまでバイクで走ってきたのかと 思ったら僕も髄分走り回ったなと改めて感心した。(と言うより、少し呆れた。) 登山に海水浴に、自転車レースにと汗をかき、泣き笑いした7日間があっという 間に終わった。今回の旅で、妻はずいぶん根性がつき頼もしくなったようだ。 帰りの船から屋久島がだんだん遠ざかり見えなくなる頃、僕は、早くも次の旅のことを考えていた。妻はいつの間にか疲れて眠りについていた。
帰宅して、暫くし、あの島一周自転車レースの途中で軒下をかりてパンを食ベた 有馬商店のおばあちゃんに写真を送った。数日後おばあちゃんは、わざわざ104 でわが家の電話番号を調べてお礼の電話をくれた。人間って暖かいな。屋久島って いいな。また、いつの日か必ず訪ねてみようと思った。
(番外編もあります!)