紀元前 | 主なファラオ(王様) | 主な歴史上の事柄 |
3000年頃 | ナルメル | ヒエログリフの文字体系が確立する |
2620年頃 | ジュセル | サッカラに階段ピラミッドを造営 |
2550年頃 | クフ | ギザに大ピラミッドを造営 |
カフラー | 第2ピラミッド・スフィンクスを造営 | |
メンカウラー | 第3ピラミッドを造営 | |
1550年頃 | トトメス3世 | トトメス3世が即位するが、2世の王妃ハトシェプストが王権を主張し、統治する |
1350年頃 | ツタンカーメン | アメンヘテブ4世(アクエアテン)がアテン神を唯一神とする宗教改革を断行するが、 没死後、ツタンカーメンが、アメン神信仰に復帰する。 短命ながら、今も、王家の谷にミイラとして安置。 |
1275年頃 | ラメセス2世 | アブ・シンブルに大神殿・愛妃ネフェルタリの小神殿を造営 ラメセス2世はカデシュの戦い(シリア)以降、エジプト国内に多くの建物を残す |
332年 | アレクサンドロス | アレクサンドロス大王がエジプトを征服する |
305年 | プトレマイオス1世 | アレクサンドロス大王死後、プトレマイオス将軍が即位 アレキサンドリア図書館が開かれる。 |
30年 | クレオパトラ7世 | クレオパトラの死をもって、古代エジプトの「ファラオの時代」が終わり、 エジプトはローマの属州になる。 |
アスワン・ハイダムの経緯
1952年 | ナセル革命政府がアスワン・ハイダムの研究に着手 |
1956年 | スエズ戦争 米・英・世界銀行から資金援助を依頼したものの、ナセルが中立主義を主張したため、断られる。 そのため、スエズ運河会社の国有化を宣言(スエズ運河の収益によるアスワン・ハイダムをめざす)するが、イスラエル・英・仏がエジプトを侵略する。国連の力で、英・仏は撤退。ガザを含むシナイ半島を占領したイスラエルも翌年、撤退した。国連はじめ世界各国が侵略三国を非難し、ナセルはスエズ運河の国有化を国際的に確立した。 |
1960年 | アスワン・ハイダムを着工 |
1969年 | アスワン・ハイダム完成 ダムの高さは111m・頂上部の長さは3600m・基底部の厚さは980m、これによってできる湖(ナセル湖)は長さ500キロに達する。世界一の長さ全長6650kmのナイル川に巨大な人造湖が生まれた。 アスワン・ハイダムの完成で水没する「イシス神殿」・「アブシンベル神殿」等がユネスコの援助を得て、今日見られることは嬉しいことです。 |