旅行日記
自己紹介 将棋戦記 旅行日記 コラム
エジプト編
2006年3月20日〜3月27日8日間の古代エジプト文明のツアーに行って来ました。成田〜カイロ飛行時間約14時間半、エジプト航空の直行便ですが、エコノミークラスの座席では、腰が痛く、又、機内ではアルコール類が販売しないので持込をお勧めします。特に、アスワンでは、レストランでも、ノン・アルコールビールしか飲めないので、酒好きな人は、成田の免税店で忘れなく。旅行行程はカイロ〜ギザ〜ルクソール〜アスワン〜アブシンベル〜アスワン〜アレキサンドリア〜カイロです。アスワン〜アレキサンドリア区間は寝台夜行列車、約1200キロ、14時間、長い道程です。ハードな日程と3月なのに気温45度と日差しの中、私としては、「アブシンブル大神殿」をメーンにと思っていましたが、ルクソールの「カルナック神殿」の雄大さ、まさに「石の文化」を感じさせ、「来て良かった」の一言。事前に、エジプト大使館の観光局からパンフレットを取り寄せましたが、図書館で細かく調べるべきと後悔しています。現地のガイドの「バベルさん」、ヌビア人で日本語を流暢に話し、ユーモアもあり、エジプト文明を誇り思う姿を感じました。彼は考古学に詳しく、近代化しすぎて、この世界遺産の保存維持を危惧しているようです。
エジプト 面積100万1494Ku 人口約8000万人 首都 カイロ 通貨 エジプトポンド(1ポンド約22円)
小遣い =エジプトポンドは、帰国してから日本で両替出来ないので、アメリカドル(25000円)を成田空港で両替し
て、現地で小まめにエジプトポンドに変えたほうが良い。博物館以外は、アメリカドルでOK。
後は、クレジット。ツアーなので、エジプトポンドを使用したのは、ミネラルウォーターとビールのみ。
食 物  =美味しいもの(パン・アイスクリーム) お土産(ハイビスカス紅茶・ナツメやしの実)
香辛料や油が多いので、私としてはお勧め品はない。(豚・酒はイスラムは食べない)
治安  =特に問題なし。唯、飛行機の搭乗の際や文化施設・ホテルに入る時、セキリティチェックが厳しい。
特に、飛行機搭乗までに3回あり、最悪、ベルトまで外すことある。日本のように入れ物籠を用意してい
ないので、帽子に金属の時計ベルトやタバコ(銀紙)など入れた方が無難である。
(くれぐれ忘れ物ないように)
我々が日本人観光客だろうか、エジプト人は「ちゃめけ」があり、コーヒーをお代わりすると、「わざと、少ししか入れない」が顔を見ると、とっても良い笑顔を見せて注いでくれる。スマイル素敵な人が多い。唯、トイレや観光地の現地の人・警官・兵隊と記念撮影をすると、チップを要求されるのは困惑しまう。いづれにしても、5千年とも7千年と言われるエジプト文明、一見の価値はあり。
  地図 3大ピラミッド
↑3大ピラミットを背に現地人と記念撮影。とっても、嬉しかったのですが、チップを請求され、困りました。
ピラミット
ギザ高原に3大ピラミット「クフー王」「カフラー王」「メンカウラー王」がある。
エジプト年表を参照
  フィンクス ←カフラー王のピラミッドは高さ136メートルあり、その前に、人面獅子身の大スフィンクスの顔は、王のしるしである「コブラ蛇」をつけ、カフラー王を表し、又、」守護神であり、真東に向かっている姿は太陽への信仰を表している。

→サッカラに、そびえる立つ6段の階段ピラミッドがある。ジュセル王がピラミッドの祖形の建造者と言われている。
段差ピラミット
  カルナック神殿 ←ルクソールのカルナック神殿→
アメン神の御座であり、統治が行われ、歴代のファラオ達がこの神殿を部分部分を次々とつくり(王の威厳)、王たちは神から啓示を求め、神殿の庭で大きな祭りを行った。
ナイル川の氾濫の水位があり、船着場から神殿には、表道があり、その両側には、ラメセス2世の像を伴った羊頭のスフィンクス像が並んでいる。東西540m・南北に西辺600m・東辺500mの方形の日乾レンガの周壁あり、世界最大の神殿と言われている。写真では言えない「素晴らしさ」がある。
ラムセス2世
  ルクソール神殿 ←ルクソール神殿→
(アメン神が妻ムト女神と過ごす神殿)
←ラメセス2世の第1塔門前に2本(オベリスク)立てられていたが、1831年、当時の権力者モハメッド・アリが右の1本をフランス皇帝に寄贈し、現在、パリのコンコルド広場に飾られている。

→ツタンカーメンは7歳で即位し、17歳の短命と言われているが、ここに、夫婦像がある。
ツタンカーメン夫婦
  メムノンの巨像 ←メムノンの巨像
王家の谷に行くと途中に、巨大な像は、アメンヘテブ3世の葬祭殿の遺品がある。 このルクソール地帯は、まだまだ遺跡があるらしく、現在も発掘作業が行われている。

↓世界的な有名なアスワン・ハイダム
エジプト文明の遺跡を蘇らせると同時に、近隣諸国の電力供給を行い、エジプト全土に灌漑用水やナイル川の氾濫の災害を防ぎ、エジプトを保護している。ナセル湖の最高水位(地中海水準から起算)180mに達する
ハトシェプスト女王葬祭殿
  ↓イシス神殿
アスワンのナイル川に浮ぶフィラエ島にあったイシス神殿(地中海水準から104m)は、末期王朝時代からローマ時代にかけてつくられたヌビア地方を代表する美しい神殿で「ナイルの真珠」と呼ばれていた。しかし、アスワン・ハイダムの完成により、水没する危機にさらされ、1992年から7年の歳月をかけて、近くのアギルキア島に解体移築された。
アスワンダム ↑ハトシェプストの葬祭殿
王家の谷の東側ある断崖を背景に雄大なスケールで葬祭殿。女王ハトシェプストの権力を想像させる。しかし、長らく女王ハトシェプスト政権下で、虐げられたトトメス3世は、彼女が歿し後、ハトシェプスト女王の名前を消して自分の名前を刻ませたと言われている。この事は、カルナック神殿にも、同様なことがなされている。
  フィラエ神殿 →きりかけのオベリスク
この切りかけのオベリスクは切り出される際に亀裂が入って放置され、そのままこの場所、アスワンに残っている。元はカルナック神殿にあり、現在はローマのラテラノ宮にあるオベリスクと対になる予定だったので、完成していれば高さ約37メートル・重さ1150トンと言われている。古代エジプト人達がオベリスクを約250kmあるルクソールに運ぶと思うと「タダタダ・スゴイ」の一言に尽きる。
オベリスク
  アブ・シンベル神殿

←アブ・シンブル神殿→
アスワンから南280kmの地点に、ラメセス2世が紀元前1200年つくったアブ・シンベル神殿と愛妃ネフェルタリの小神殿(地中海水準から125m)がある。アスワン・ハイダムの建設より水没するを恐れたエジプト政府は、ユネスコの援助(35ヵ国)を受けて1964年から1968年、4ヵ年の歳月をかけて、建てられていた場所より60メートル以上に引き上げられた。

1年のうち、2月22日と10月22日に、朝陽が東から西へ真っ直ぐ神殿内に差し込み、入り口から63mの最深部にある4体の像の内、一番左のプタハ神は闇の神のため、照らさないが、他の3体を照らす。光が照らす3体の像は、アモン・ラー神、ラムセス2世、ラー・ホルアクティ神、3000年以上前の設計された神秘的な現象が見られる。

アブ・シンベル全体
  アスワン駅の列車 ←アスワン駅
外観は汚れている列車であるが車内は、ソファ式2段ベットで、アレキサンドリア迄14時間の長い旅であったが、中国の夜行寝台列車に比べると広く楽であった。

→アレキサンドリア駅
朝、9時到着したアレキサンドリア駅。
紀元前332年にアレキサンダー大王に支配され、その名が地名の由来となった。
アレキサンドリア駅
  →ポンペイの柱
3世紀に花崗岩でつくられた高さ25mの柱でセラビウムの最後に残された遺物である。
柱には、ディオクレティアヌス皇帝の名が刻まれている。
ポンペイの柱 ↓カイロのホテルよりのナイル川
カイロの「マリオットホテル&カジノ」5つ星のホテルで、設備がとても完備されて、たくさんの外国旅行者がおりました。ショッピングモールやカジノもあり、庭園にて、パラソルの下で食事が出来て、開放的な雰囲気を味わえると思います。
  カイト・ベイの城塞 ←カイト・ベイの城塞
記念撮影をお願いしたところ、彼女らは「恥ずかしがって」・・一時、断れましたが、彼女の小父が快く応じてくれました。エジプトの女性は14歳から20歳までに結婚するそうです。コーランには妻を4人までもてるとされています。唯、最初の奥さんの承諾を得ないと二人目の女性と結婚出来ない。当然、3番目・4番目も奥さん全員の承諾が必要。だから、そう簡単に、結婚出来ないし、離婚した場合は、5年間、生活費を見る。すべて、裁判所に許可を得るようです。
ホテルから見たナイル川
  →ナイル川ディナー・クルーズ
エジプト旅行、最後の夜、船内で、生演奏やベリー・ダンスショーが行われ、デッキから見るナイル川の夜景はとても、美しいかったです。
食事はバイキング方式でした。私は、アイスクリームを2回お代わりしました。とても、美味しかったです。
クルーズ・ナイル川ディナー ↓ハンハリーリ・バザール
日本で言うと「上野のアメ横」的な場所。沢山の人で賑わってますが、礼拝時には、一時、店は休業になります。イスラム教徒は、一日に5回礼拝をする。その時刻、「日没」「日没の残照が完全に消えた時点」「夜明け前」「正午」「昼下がり」の5回、いづれも、時計で決まるのでなく、太陽の運行にしたがって時刻となるので、夏・冬では時刻が大きく変わるので、イスラム圏の新聞には、その日の礼拝の定刻が記載され、街中のスピーカーで知らせる。
  エジプト考古学博物館

←エジプト考古学博物館
最近、世界遺産はどの国も、撮影を禁じられことが多いので、困ります。館内には、古代エジプトの史跡が数多くあり、「ツタンカーメンの黄金マスク」や「ラムセス2世のミイラ」がある。古代エジプトでは、死ぬと遺体はミイラにされ墓の中に埋葬された。それは、死者の魂が供物 などを受け取りに抜け出した時、肉体が滅びていると戻れない理由で、そのために、遺体から内臓を取り出してソーダで人口乾燥させてから、詰め物をして姿・形を整え、樹脂で固めて包帯を巻いてミイラとしたと言われています。

ハンハリーリ・バザ^ル

エジプトは治安が安全と聞いていたが、中東のイスラム教徒の過激な政治行動が報道されている。デンマークの「ムハンマド風刺画」問題が持ち上がり、イスラム教徒は「偶像崇拝」を嫌う。そういう意味で欧米とイスラム世界との関係、キリスト教とイスラムの宗教対立を感じます。唯、エジプトは一世紀には聖マルコによってキリスト教がもたらされ、キリスト教を守り続けた教徒をコプト教がいます。
イスラムは裕福な人が身近な親戚や友人で困っている人がいれば、その人に直接施す。
「犠牲祭」には羊肉の一部を貧者に施す制度がある。
イスラムでは「イエス」も「ムハンマド」も神の預言者で、神ではない。ムハンマドが「最後の預言者」であり、それまでの神の予言とされるものは間違っていて、最後の予言を書き記した「コーラン」こそが正しいもとされ、イスラム教(アッラーの神)の聖典とされている。イスラム教徒は、ムハンマドを尊敬しても、彼を崇拝することを禁止している。モスク(礼拝堂)はキリストの教会のようにイエスの絵画や神父はなく、唯、礼拝する場所。つまり、世界中にいるイスラム教徒は礼拝する時刻に、発祥地「メッカ」の方向を向いて立つ。本来、民族、国籍、性別、社会的地位に関係なく、すべての人に慈悲と慈愛を与えてくれる神である点では、イスラム教徒とキリスト教徒も同じなのに、今日まで対立するのだろうか?原因は、イスラム圏の国々が欧米に対する近代化の遅れなのか?私には、良くわからない。 2025年は世界人口のうち、4人に1人がイスラム教徒であると予測されている。私は、宗教・民族文化の違いあるけど、お互い尊重することが、一番、大切なことと思う。古代エジプト、紀元前2000年に、エジプト人は永遠と不死の思想を「太陽」から得た。太陽は昼の間、東から西に向かって、人間世界の上を旅し、夜になると人間世界の裏側を、西から東に向かって旅し、夜明けとともに東の空に現れる。まさに、「クフ王の太陽船」は来世の世界を旅する木造船であり、「永遠と不死」のためのミイラである。そう思うと、宗教・民族問題など小さな事のように思えます。
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