旅行日記
自己紹介将棋戦記旅行日記コラム

2008年11月11日〜15日の3泊5日の旅行である。成田空港からハノイ経由シェムリアップへ約7時間半のフライトである。旅行の目的はカンボジアのアンコールワットとベトナムの海の桂林と言われるハロン湾である。アンコールワットは日本の鎌倉時代に建てられたものと聞いていましたがツアーに参加してカンボジアの苦難の歴史に教えられました。シアヌーク殿下・ポル・ポト政権・PKO、最近では、「島田伸助のカンボジアに学校を建てる」などが私のカンボジアのイメージであった。現地で、カンボジアの人達の生活、特に子ども達の物売り・物乞いを見い、義務教育なし、小学校登校も任意と現地ガイドに聞かされ、カンボジアの歴史を調べたいと思いました。

アンコールワット王朝は800〜1430年と言われ、その後のカンボジア王国は15世紀以降、隣国のシャムやベトナムの攻撃され、両属状態に置かれていた。この二重属国状態を脱するために、時のアンドゥオン王は1853年にアジアに進出していたフランスに接近し、10年後、フランスの支配下に入り第二次世界大戦まで植民地化される。カンボジアの悲劇は日本と違い、この長い間、民族独立思想が生まれなかったことと思う。やっと、1941年に即位したシアヌーク国王が1953年に国際世論に訴え、フランスより独立を果たす。しかし、その後、シアヌーク国王の独裁主義的政治や中国に倣った経済政策が失敗し、1970年に右派のロン・ノン将軍が外遊中のシアーク国王の国家元首を解任するクーデターを起す。この事件がさらなるカンボジアの第二の悲劇がはじまる。内戦ほど悲しいことはない。北京に亡命したシアヌークは共産勢力クメール・ルージュと協力するが、ベトナム戦争と重なって1975年にクメール・ルージュのポル・ポト派が政権(民主カンプチア政府)を握ると、農村への強制移住政策を行い市場・通貨の廃止・労農・政治教育以外の学校教育の廃止・宗教活動の禁止など急進的な共産主義を断行し、何百万人という人々を大虐殺とされた事件は有名である。

その後、ベトナムとの対立が激しくなり、ベトナム軍はカンボジア領内に侵攻し、民主カンプチア政府はプノンペンを放棄し、タイ国境地帯に多くのカンボジア難民が生まれた。そして、1979年にベトナム軍に支援されたヘン・サムリンがカンプチア人民共和国を樹立した。一方、タイ国境に逃れた民主カンプチア勢力はゲリラ活動をし、1982年には、シアヌーク派らと共に反ベトナムの民主カンボジア連合政府三派を発足させ、ヘン・サムリンのカンプチア人民共和国に対抗した。こうして、中国やASEANなどに支援された民主カンボジア連合政府三派とベトナムやソ連などに支援されたカンボジア全土を実効支配するカンプチア人民共和国という二つの「国家」が併存することになった。両政権による内戦は長期化し、二重政権状態が継続され、「カンボジア問題」は東西対立に加えて、社会主義国家間の対立が内戦の原因を複雑している。

こうして、1987年「カンボジア問題」の解決のためにパリで当事者同士の会談が初めて実現された。冷戦が終結して1991年、パリ会議において、「パリ和平協定」が19カ国の代表により調印された。シアヌーク殿下が12年ぶりにカンボジアに帰還し、カンボジアの主権を体現する機関「カンボジア最高国民評議会」を発足した。1993年に総選挙が行われ、FUNCINPEC党と人民党の連立を基礎とした暫定国民政府が成立した。しかし、国連が目標とした各派の武装解除が実現出来ず、不安定な政権が続き、1996年には両党派軍の武装衝突が発生し、「ふたりの首相制」という矛盾と国際社会からの批判で連立政権の枠組みが破綻した。国連主導で達成された和平が崩壊される危機にASEAN各国をはじめ、国際社会が援助を停止し、時のフン・セン第二首相が1998年に「自由で公平な」選挙を実施し、民主的政権の樹立を約束した。長々と書いてしまったが、日本に比べると

@陸続きの外国のタイやベトナムの両国から侵略を繰り返し受けてきたカンボジア

A幕末のような内戦を避け、自立独立出来なかったカンボジア

B明治維新のように近代国家づくりのリーダー不在のカンボジア

等々、現在も民主化・社会自立が遅れている。

現地ガイドによると本当かどうか?アンコールワット観光収入のうち昼は国とフランス民間・夜は国と韓国民間と分け合っているとか?自動車免許もあるようで・・・無免許でOKとか?ワイロの多い国と聞かされると、まさしく子ども達に教育が大切と思ってしまう。

日の出

約150年前にフランス人博物学者アンリ・ムオが再発見するまで、密林の奥深くに眠り続けていた。この巨大寺院群を有したクメール王国はインドネシア半島の大部分とマレー半島の一部までを領土とした大帝国である。アンコール・ワット入場するのに朝4時半に起床し、1日券20ドルでその場で写真を撮って顔写真入りのパウチされた券を購入し、その券を持って各遺跡の入口で検礼を受ける。券がない場合は60ドルの罰金が科せられる。

アンコールワット
トンレサップ湖の船

カンボジアの中央に位置し「伸縮する湖」といわれ、乾季は約3000kuの大きさだが、雨季には約9000kuの面積にまで膨れ上がるトンレサップ湖がある。約300種類の淡水魚が生息し、東南アジアで最も淡水魚の種類が多いといわれ、世界でも有数の漁獲高を誇る。

←観光客用のクルーズ  

湖上の教会→

湖上の教会
湖上の学校

←学校

トンレサップ湖のクルーズはオプション・ツアーであったが、カンボジア人やベトナム難民など湖上で逞しく生活している姿を見ることができる。教会や学校・病院などが湖上に浮ぶ景色は別世界である。               

湖船の生活者
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