旧 白 毫 寺 多 宝 塔 ・ 井 植 山 荘 多 宝 塔 |
大和白毫寺多宝塔・井植山荘多宝塔
白豪寺多宝塔(摂津井植山荘) 2002/3/19焼失
★大和白毫寺多宝塔(在白毫寺)
※「大和名勝」藤園主人述、東京:金港堂、明治36.4 には 2010/12/31追加: ★白毫寺多宝塔古記録 「南都名所集」巻之4(延宝3年・1675版)に見る多宝塔
2013/03/11追加: この塔は大正年間に売却され、現在の宝塚市井植山荘に移建され、2002年3月19日まで現存した。 ★白毫寺多宝塔(在井植山荘)/焼失前多宝塔
2005/05/29追加:
★焼失前白毫寺多宝塔画像 何れも画像クリックで拡大表示 |
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1.多宝塔上下層・相輪・扁額 | ||||||||||||||||
左:ほぼ全容、中:相輪(今般焼け残る)、右:かなり大きな扁額を掲げる。(梵字でシンターマニ<如意宝珠> と云うらしい。) | ||||||||||||||||
2.多宝塔上層 | ||||||||||||||||
上重屋根は桧皮葺(近年の葺替か)。上重軒は和様の二重繁垂木で、斗栱は四手先と思われる。饅頭は型どうりの漆喰。 |
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3.多宝塔下層組物 | ||||||||||||||||
下重軒は二重繁垂木。斗栱は出三斗。頭には長押を用いず、禅宗様の頭貫と木鼻で構成する。柱間には間斗束を置く。 極めてシンプルな意匠を採用する。角柱は面取される。 白壁・桧皮の様子から最近修理がなされた雰囲気で、保存状態は良いと思われる。 |
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4.多宝塔下層下部 | ||||||||||||||||
中央間は板唐戸、両(脇)間は連子窓、板縁を廻らす。亀腹を造る。 | ||||||||||||||||
○2002年3月23日撮影現場
大和白毫寺多宝塔(宝塚井植山荘多宝塔)は「2002年3月19日から20日の山火事」で類焼し完全に焼け落ちる。
なお、ほんの数秒であるが、TVのニュースで塔の焼け落ちる映像が放映されるのを目撃する。 ○2002年7月31日撮影現場(「Kisida氏」ご提供) ○2002年8月6日撮影現場(「Kisida氏」ご提供) |
★大和白毫寺多宝塔(在白毫寺)絵画 「奈良の白毫寺/焼失の多宝塔、絵で帰る」2002年06月29日
・朝日新聞「奈良」版記事: 住職は旧白豪寺多宝塔焼失の報の後、4月に井植山の塔焼跡に出向き、焼失した多宝塔の残灰をもらい、境内に埋めて供養したという。 その後、住職は上記の手紙を「つて」に、長野県に向かい、頼んで絵を譲ってもらう。
★白豪寺多宝塔跡 多宝塔跡:敷地および土壇、敷地に至る石段、塔礎石(自然石)などが整備・保存される。 2012/02/26実測: 2003/01/02:追加
2010/12/31追加: ★大和白毫寺現況 2012/02/26撮影:
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