近  世  喪  失  塔  婆  (参  考)

近世喪失塔婆(参考)

Bernheimer gardens pagoda

◆発端の絵葉書:掲載の「Y」氏ご提供絵葉書画像にて、「Bernheimer gardens pagoda」なる塔婆の存在を知る。

2010/11/22追加:
Bernheimer gardens pagoda:「Y」氏ご提供画像:絵葉書:左図拡大図

絵葉書発行年代は不詳と云う。

bernheimer gardens の構成要素としてこの塔があるのであろうが、所在場所・現在の存在の有無などについて全く不明。
この塔は多宝塔に似せてはいるが、二重塔であり、しかも上下とも1間である。
従って、一応木造とは思われるが、正規の塔建築ではない。斗栱などは省略。屋根は銅板葺か。
基壇(と思われる)上に建つ。下重には勾欄付椽を廻らし、四方(と思われる)に木階(と思われる)を付設する。
上重には仏壇に置く欄干様の勾欄を付設した椽を廻らす。
柱間はおそらく桟唐戸であろうが、工芸品的な装飾を施す。窓はない。
内部の様子は全く不明。

2016/09/05追加:
「Bernheimer gardens pagoda」については上の掲載時点では「所在場所・現在の存在の有無などについて全く不明」であったが、次のHP
Bernheimer Residence and Oriental Japanese Gardens
などでその存在あるいは由来などが確認出来るので、要旨を転載させて頂く。

現存するBernheimer gardens pagoda

上記の「Bernheimer gardens pagoda」は元の「Bernheimer邸」にあったもので、この塔は元位置に現存する。

その前にBernheimer邸は2邸あったことに留意すべし。
一つはHollywooにあったBernheimer邸(Hollywood Bernheimer邸と呼ぼう。)で
もう一つはPacific PalisadesにあったBernheimer邸(Pacific Palisades Bernheimer邸と呼ぼう。)である。
上に写る二重塔はHollywood Bernheimer邸にあったもので、現存する。
2つのBernheimer邸のついての紹介は下に掲載する。

上掲の絵葉書「Bernheimer gardens pagoda」に写るPagodaはBernheimer兄弟によって、Hollywood Bernheimer邸の庭園に1914年(大正3年)頃 移建されたものである。
しかし、第2次大戦中は敵国趣味として破壊の対象となり荒廃するも、今はHollywood Bernheimer邸を転用した「Yamasiro Hollywood」(レストラン・ホテル・アパート)の一施設として存続する。「Yamasiro Hollywood」には「Pagoda Bar」(?) なるバーがあり、このバーの名称の由来であり、バーの鑑賞用建物として現存するようである。

○まず、GoogleEarthで現存する姿を確認しよう。
(Pagodaが現存するYamasiro Hollywoodのアドレスは「1999 N. Sycamore, Hollywood, CA. 」である。)
 Yamasiro Hollywood:中央のYamasiro HollywoodがBernheimer邸を改装したレストランである。
Yamasiro Hollywoodの東南に茄子形の青い池があり、その東南すぐに緑青の屋根の二重塔が写っているのが確認出来る。

○次に、Webサイトを探すと、本塔の写真が数多くアップされている。個々にはその出所(URL)は示さないが、次そのいくつかを転載する。

現存する二重塔画像:
 Bernheimer gardens pagoda1
 Bernheimer gardens pagoda2
 Bernheimer gardens pagoda3:左図拡大図
 Bernheimer gardens pagoda4
 Bernheimer gardens pagoda5
 Bernheimer gardens pagoda6

本塔について詳細は全く不明であるが、写真で判断すれば、
本塔は木造塔であり、上下重とも平面1間で、上重は下重よりかなり縮小された1間である。上下重とも切目椽を廻らし、上下重とも椽には勾欄を置く(但し、上重の勾欄は現在欠失しているようである)。下重には木階を設ける。屋根は銅板葺。
柱間の扉などは凝った装飾がなされる。組物などは不明。
作成年代も元より、不明であるが、1910年代にアメリカや日本で製作した新造の塔ではなく、もしかしたら桃山期や江戸期に遡る「古塔」をBernheimerが入手し、ここHollywoodの邸宅に移建したのかも知れない。(憶測)

なお、Hollywood Bernheimer邸にはこの二重塔の他に、下で述べるように、三重塔が存在したようである。

以上のように確かにこの二重塔は現存するのである。

○では、HollywoodのBernheime邸の由来を見てみよう。
 上掲Bernheimer Residence and Oriental Japanese Gardens<Bernheimer邸とオリエンタル庭園>
には2タイトルの解説があり、その内の後段のタイトルと解説は次のようである。

 Bernheimer Residence and Gardens, Franklin Ave 3 blocks West of Highland, Hollywood, California
Conceived in 1911 and completed in 1914, the Bernheimer brothers, Charles Bernheimer and Adolph Bernheimer, built a 10-room mansion 250 feet above Hollywood Boulevard. It was an exact replica of a palace located in the Yamashiro mountains near Kyoto, Japan. It was their personal residence and was built to house the oriental treasures they collected in their travels that began in the 19th century. The mansion became a gathering place for movie stars and celebrities of the time. Charles Bernheimer passed away in 1922 and much of the collection was sold at auction. In the early 1940s it was vandalized by anti-Japanese patriots. It was converted to apartments and fell into a state of total disrepair. It was purchased in 1948 by Thomas O. Glover who intended to demolish it, but he discovered the treasures under layers of paint and decided to restore it instead. Restoration continues today and its magnificence lives and thrives as the Yamashiro Restaurant. The address is 1999 N. Sycamore, Hollywood, CA. A very special thanks to Mary Louise for providing this history; various sources used, including history by Thomas Y. Glover on Yamashiro Website.
------上記を日本語表記すれば、以下と思われる。
 Bernheimer邸と庭園 (Hollywood Bernheimer邸) フランクリン・アベニュー3ブロックハイランドのウェストハリウッド、カリフォルニア州
Bernheimer兄弟(Charles Bernheimer and Adolph Bernheimer)は、ハリウッド大通りの250フィート上に10室の大邸宅を建てる。それは1911年に企画し、1914年に竣工する。 そしてその邸宅は京都近くの山城の山中にあった宮殿の正確なレプリカであった。
 その邸宅は兄弟の個人住居であり、兄弟は19世紀に始めた彼らの旅で収集した東洋の宝物を収容するために建てられたのである。
いつしか、大邸宅は、その時代の映画スターや有名人の集会場ともなる。
 Charles Bernheimerは、1922年に逝去し、コレクションの多くはオークションで売却される。
そして1940年代初めでは、反日愛国者によって破壊されることとなる。
やがて邸宅はアパートに転用され、ひどく荒廃する。 その後1948年には、更地にすることを企図したThomas O. Gloverが購入したが、塗装の下には藝術品が隠されていることを発見し、取り壊す代わりにそれを復元することを決定する。
 復元は今日も続き、その素晴らしさは往時の輝を取り戻し、今は「山城レストラン」として繁盛している。
 The address is 1999 N. Sycamore, Hollywood, CA. A very special thanks to Mary Louise for providing this history; various sources used, including history by Thomas Y. Glover on Yamashiro Website.
 以上がHollywoo Bernheimer邸の由来であるが、このページには多くの古写真があり、その中から往時の「二重塔写真」をピックアップしてみよう。
 Bernheimer Hill Hollywood, Cal     Bernheimer Residence Hollywood California
 A Glimpse of Hollywood, California:Glimpse:一瞥       Overlooking Hollywood Bernheimer Gardens
 Japanese Pagoda Japanese Gardens      Japanese Pagoda Japanese Gardens
 View of Hollywood from Bernheimer Gardens
●HollywoodのBernheime邸には三重塔もあったようである。
但し三重塔の詳細は全く不明。以下3枚は二重塔と三重塔の両塔が写る。
 Bernheimer Gardens overlooking Hollywood     Hollywood from Japanese Gardens
 Hollywood from Bernheimer's Gardens Hollywood, Calif.
●HollywoodのBernheime邸三重塔写真:
写真の質が悪く三重塔の詳細そのものも分からないが、もしかしたらこの三重塔も室町期に遡るような古塔を移建した可能性もあるものと思われる。
 Bernheimer Japanese Gardens Hollywood, Cal.
なお、
ページ:Yamashiro History にはレストラン「Yamasiro」の歴史が述べられる。・・・参考資料

○以上は「Hollywood Bernheimer邸」の概要であったが、
もう一つの邸宅「Pacific Palisades Bernheimer邸」の解説を紹介しよう。

上掲Bernheimer Residence and Oriental Japanese Gardens<Bernheimer邸とオリエンタル庭園>  より

 Bernheimer Residence
, 16980 Sunset Blvd., Pacific Palisades, California
In 1924 Adolph Bernheimer leased the Pacific Palisades location, which was being used as a mule camp in the construction of highways. Adolph supervised every detail of building the complex of oriental structures as his personal residence. It housed his ancient oriental collection. It also was a horticultural showplace. The Bernheimer Gardens flourished as a tourist attraction until 1941, averaging 5,000 visitors a week. World War II was a factor in its fall from grace -- because it was oriental and because Adolph Bernheimer was of German origin. This triggered contempt and led to vandalism. Adolph's passing in 1944, financial difficulties and land erosion, caused the Oriental Gardens to slip into a state of disrepair. The property was vacated in the late 1940s and the treasures were sold at auction in 1951. All of the structures were demolished in the early 1950s. An apartment complex was built at the West End of the property and the rest of the property is still vacant land. The above map is from a Bernheimer Oriental Gardens brochure (see full brochure below). The following old postcards, article and other items provide a great visual look back at the Bernheimer's Garden and Residence history. Thanks to Mary Louise for providing this history; various sources used.
------上記を日本語表記すれば、以下と思われる。
 Bernheimer邸(Pacific Palisades Bernheimer邸) カリフォルニア州パリセーズ太平洋 16980 サンセットブールバード
1924年 Adolph Bernheimerは、高速道路の建設に使用するラバのキャンプとして使用されていたPacific Palisadesの地をリースする。
アドルフは自ら指揮し、個人的な住居として、細部にも凝った東洋的な邸宅を建造する。
そこには、Bernheimerの古代東洋のコレクションが収められていた。また、そこは公開された庭園でもあった。
庭園として、Bernheimer庭園は週に平均5,000人の入園者があり、1941年まで観光地として賑わったものである。
しかし、これら繁栄は第二次世界大戦を契機として暗転し、没落の道を歩む。それは、Adolph Bernheimerが東洋的嗜好に偏り、またドイツに発生源を持つからである。
これらは蔑みの対象であり、東洋的邸宅・庭園や美術は恰好の破壊の対象であったのである。加えて1944年にAdolphは死し、財政危機と土地の浸食はOriental Gardensを破滅状態に追いやることとなる。
1940年後半に財産はほぼ底をつき、財宝は1951年にオークションに掛けられ、邸宅の全ては 1950年代初頭に破壊されることとなる。
マンションが屋敷の西端の土地、まだ空いている土地に建設される。
The above map is from a Bernheimer Oriental Gardens brochure (see full brochure below). The following old postcards, article and other items provide a great visual look back at the Bernheimer's Garden and Residence history. Thanks to Mary Louise for providing this history; various sources used.
 以上がPacific Palisades Bernheimer邸の由来であるが、本サイトに掲載されている絵葉書類を見れば、ここの庭園には次の層塔があったようである。
 三重塔一基、円形三層堂一基(塔とすべきかどうかは微妙ではある。)
これらの写真を幾つかピックアップしてみよう。

日本式庭園(三重塔/三層堂)
 Bernheimer's Chinese Gardens Pacific Palisades Santa Monica
 Miniature Japanese Gardens Bernheimer Home Los Angeles, California circa 1935
 Bernheimer Japanese Garden Temple of Heaven Pacific Palisades
三重塔
 Bernheimer Oriental Gardens Pacific Palisades
 Bernheimer Japanese Garden Battle for Castle of Nagoya:名古屋城の戦いというから、天守は名古屋城を模したものなのであろうか。
 Bernheimer Oriental Gardens 16980 Sunset Blvd Pacific Palisades
 Temple Town of Nikko Bernheimer Oriental Gardens:日光山内を模したものであろうか。
 Bernheimer's Shrines and Temples of Nikko and Protectors Budda
円形三層堂(あるいは十二角形三層堂)
 Bernheimer Oriental Gardens Pacific Palisades     Temple Town of Heaven at Peiping Bernheimer Oriental Gardens

もとより、これらの塔は今は失われ、詳細は不明のままである。
 なお、写真は精度の良いものではないが、一緒に写る堂宇・社や付属物の出来栄えは、出来損ないあるいは品性を欠くものとしか評価のしようがなく、そういった意味から、三重塔及び円形三層堂も同列のもの即ちアメリカで戦前に施工されたものなのであろうと判断せざるを得ないであろう。

2016/09/14追加:
現存するBernheimer gardens pagodaの情報

現存するBernheimer gardens pagodaについて情報をWebで検索すれば、少数ながら以下が散見されるので、転載する。
しかしながら、塔に関する情報は限られたもので、Bernheimer兄弟によって、1910年代に日本からアメリカに持ち込まれ、HollywoodのBernheime邸に移建されたこと、そしてその建築年代は600年前に遡ると云われていること以外には分からない。
従って、この「古塔」が日本のどこの如何なる社寺に属していたものなのかの究明が待たれる訳である。

(1)United States Department of the lnterior National Park Service(アメリカ内地国立公園庁)の
National Register of Historic Places Registration Form」(「歴史的地点の全国登録フォーム」)にある程度まとまった情報がある。

「National Register of Historic Places Registration Form」United States Department of the lnterior National Park Service
(「歴史的地点の全国登録フォーム」アメリカ内地国立公園庁)
に「Yamasiro歴史的地区」としての登録用紙(2012年8月10日受付)が公開されている。
 →登録用紙を以下のように辿ると
Name of Property:Yamashiro Historic District(登録名称:Yamasiro歴史的地区)
 ↓
Contributing Structures(寄与物件)
 ↓
Narrative Description(概説)
 ↓
3. Japanese Pagoda(日本の仏塔) の項がある。

-----英文は次の通り。
 The Japanese Pagoda is the most distinctive ornamental structure on the hill. lt is located southeast of the Main House near the Hotel pool.
 The pagoda was imported from Japan by the Bernheimer brothers and is over 600 years old, making it the oldest known structure in California.
 This traditional pagoda is similar in design and scale to Tahoto style pagodas, which were developed by the Japanese Tendai and Shingon sects of Buddhism during the Heian Period from 794-'1 185, when Chinese cultural influences were at their height. Pagodas were derivations of lndian stupas, which were used to house relics and images of the Buddha.
 The Yamashiro pagoda rests on a rough masonry rock hill with a narrow passage running beneath it. lt is on a concrete foundation which is raised off the ground and accessed by four miniature staircases with low railings.
The pagoda is a "jeweled pagoda" or hoto pagoda consisting of three parts: a raised foundation (kidan), the main body (foshln), and a spire (sonn). The pagoda's spire is composed of six elements'. Hoju (the Sacred Jewel), Ryusha (the Dragon Vehicle), Suien (the Water Flame), Kurin (the Nine Rings), Fukubachi(the Lotus Flower), and Roban (the lnverted Bowl). There are nine rings representing the Buddhist deities, and a water flame charm to protect the pagoda from fire.
The pagoda has a copper pyramidal roof with elaborate flying eaves and cloud patterned brackets. The top story sits on a square platform decorated with a lotus-patterned cornice resting on the section below. A copper mokoshi or pent roof with flying eaves and decorative brackets is beneath the platform, over the ground floor structure which is also square in plan. Both floors are enclosed with carved wood panels that are decorated with brass fittings, stamped metal plaques, and carved wooden floral decorations at the corners.
-----意訳すれば以下の通り。
3.日本のパゴダ
 日本のパゴダは、丘の上にあり尋常でない独特な装飾の施された建物である。それはホテルのプールの附近にあり、メインハウスの南東に位置する。
 パゴダはBernheimer兄弟により日本から持ち込まれ、カリフォルニアで最も古い建築として知られ、600年以上の歴史がある。
 この伝統的なパゴダは、デザインや規模に於いて、多宝塔形式の塔(Tahoto style pagodas)に似ている。多宝塔は、中国の高度な文化の影響を受け平安期(794-1185)に発展した日本の天台宗と真言宗によって生み出された塔婆の形式である。仏塔は、そもそもインドのストゥーパ(stupas)を起源とするものであり、それは仏陀の遺骨と心の遺影への礼拝所であったのである。
 Yamasiroの仏塔は、下を走る狭い通路上の粗く削られた岩盤の上に建つ。仏塔はコンクリート基礎上に在り、椽には、手摺を持つ4つの小階段によって登ることができる。
さらに塔は3つの要素からなり、それは基壇(kidan)、本体(foshln)、および尖塔(sonn)であり、パゴダは「jeweled pagoda」また「Hoto]と云われる。
パゴダの尖塔(sonn)は、6つの要素からなる。それは、Hoju(宝珠)、Ryusha(龍車)、Suien(水煙)、Kurin(九輪)、Fukubachi(伏鉢)、およびRoban(露盤)である。
 パゴダは、精巧な飛行軒(flying eaves)と雲形斗栱(cloud patterned brackets)を持つ銅板葺きの宝形屋根を架す。上重(top story)は正方形の土台に載り、その土台は、下重に据えられる蓮華座(lotus-patterned cornice)で支持・飾られる。
飛行軒や装飾された斗栱(brackets)を持つ銅板葺の下重屋根(mokoshi or pent roof)は上重の正方形土台の下にあり、下重の平面正方形の軸部(ground floor structure)に支えられる。どちらの柱間(floors)も、真鍮の金具で装飾され、彫刻された板材が嵌められ、その板材は金属板(metal plaques)が押され、角には木の花の装飾が彫られている。

 ※ここでは、Bernheimer gardens pagodaはBernheimer兄弟により日本から持ち込まれ、カリフォルニアで最も古い建築であり、600年以上の歴史があるとされる。
600年以上と云えば、足利義満の時代・南北朝期が名目上も終った室町前期(14世紀末から15世紀初頭)のことで、その頃の建築と云う。写真で判断する限り、アメリカ現地で昭和初期に新造されたような塔ではなく、確かに日本からの移建であることは間違いないものと思われる。
しかし、室町前期に遡るような建築かどうかは疑問である。遡っても桃山期あるいは江戸初期の建築のような印象である。
更にいえば、600年を経過した仏塔とは何を根拠にそういうのか全く不明であり、情報としては信憑性に欠けると言わざるを得ないであろう。
 ※本塔婆は多宝塔形式の塔(Tahoto style pagodas)という見方がなされている。
しかし、厳密な意味で、本塔婆は多宝塔形式ではなく、特殊な形態・形式の塔婆で、殆ど日本では類例を見ない。
基本的な構造について、本塔婆の下重は平面方形で1間であり、上重も平面方形の1間であり、下重屋根上には椽を設ける二重塔であり、下重平面方形で3間・上重平面円形で、下重屋根上に饅頭を設ける多宝塔とは、根本的に相違する。
日本では殆ど類例を見ないが、建築としての出来栄えや建築年代を無視し、強いて類例を上げれば、次のような塔婆が思い浮かぶ。
 陸奥蓮光寺二重小塔:天保7年(1836) 建立。初重に椽がない、初重の側柱の配置などを除けば、構造は近似しているように思われる。
 備前上生院二重小塔:残念ながら、昭和初期の建立で古塔ではない。
 備後福性院二重塔:江戸末期の建立という。
 信濃照光寺二層塔:昭和初期の建立
 阿波明王院二層塔:明治末期の建立であり、初重平面は方3間、建築としても、工芸品の細工としてもBernheimer gardens pagodaとは比較にならない簡素な建物ではある。

 ※さらに、ある程度、建築の細目が述べられる。
 相輪については水煙があるように述べれらるが、古写真には水煙は写らない。さらし古写真では宝鎖が四隅に垂れるので、相輪は層塔のそれではなく、多宝塔のそれであろう。なお、現在では宝珠・龍車・宝鎖及び上下屋根の四隅のあった風鐸は失われているようである。
 上重の飛行軒(flying eaves)とは扇子垂木か平行垂木かは不明であるが、二重繁垂木であったのを飛行軒(flying eaves)と表現したものであろう。また雲形斗栱(cloud patterned brackets)とは飛鳥期の雲形の斗栱をいったものではなく、三手先もしくは四手先の組物を表したものであろう。
 下重屋根には饅頭を造るのではなく、床を造り椽と為し、その床の上に平面1間の方形建物を載せたような構造であったと思われる。そして上重の椽の下には蓮弁が飾られたものと思われる。(ちょうど方形の蓮華座に上重が載ったような形式であったのであろう。)但し、古写真では蓮弁のあったような様子ははっきりとは写っていない。なお、上重の椽には古写真では勾欄が写るが、現在では失われているようである。
 下重軒下は上重と同じく二重繁垂木を用い、二手先程度の斗栱(brackets)であったと推定される。
 上下重の1間の柱間は扉なのか板壁なのか良くわからないが、常識的には扉(桟唐戸)であったものと思われる。しかもそれは四面とも桟唐戸であったものと思われる。桟唐戸の竪框と横桟が交差する辻には真鍮の金具で装飾され、嵌め板はおそらく草木花の彫刻がなされ、さらには金属板(metal plaques)がプレスされるような加工がなされていたようである。また、四隅の柱と桟唐戸との隙間には花の彫刻が施された板が嵌められていたようである。現在の写真などからそれらはうかがうことができる。これらは室町初期というより、桃山期や江戸前期の特徴を示すものかも知れない。

(2)サイト:Dinah Eng A Positive Take on Life>August 25, 2010 Yamashiro holds ghosts from yesteryear(ヤマシロには去年から亡霊が出没する。) より
says David Comfort, general manager of Yamashiro.
“In the 1940s, they boarded everything up because they were worried about it being bombed with the start of World War II. The oldest structure in California was the Pagoda.”
The 600-year-old Pagoda, brought from Japan by the Bernheimers, still stands below the restaurant.
-----意訳すれば以下の通り。
ヤマシロの事業部長は言う。
「1940年代に、彼ら(海軍兵学校生)は全てを板で囲った。なぜなら、彼らは、それが第二次世界大戦の開戦によって爆撃されることを心配していたからである。カリフォルニアの最も古い建築がその塔であったのだ。」
600年の古い仏塔〈日本からBernheimersにより持って来られた〉は、まだレストランの下に建っている。

 ※日本からBernheimersにより持って来られた600年を経過する仏塔とあるが、その根拠は示されない。

(3)Yamasiro Hollywood>THE PAGODA: 600 YEARS AND COUNTING:POSTED ON MARCH 31, 2014(パゴダ:600年と時の経過:2014年3月31日投稿) より
The history of the Pagoda can be traced all the way back to 14th century Japan. Pagodas historically were used as Buddhist places of worship, with the inside used to house relics and sacred writings. Then in 1914, the Bernheimer Brothers constructed a Japanese mountain palace meant to house their collection of Japanese antiques. That palace became the Yamashiro that you see today. As part of the construction, the Bernheimer Brothers brought the Pagoda over from Japan, and it has graced the Yamashiro grounds ever since.
-----意訳すれば以下の通り。
パゴダの歴史は14世紀の日本に遡る。 仏塔は、歴史的に仏教の礼拝の場所として使用され、内部には仏舎利と経典が安置された。
その後1914年に、Bernheimer兄弟は、彼らのコレクションである日本の骨董品を収蔵する日本の山の宮殿(mountain palace)を造営した。 その宮殿は、まさに今日見るYamasiroとなったのである。宮殿の一画として、Bernheimer兄弟が日本から持ってきたパゴダ を飾り、それ以来、パゴダは山城の敷地にある。

 ※Bernheimer gardens pagodaはBernheimer兄弟が日本から持ってきたという。

(4)Doves Today > Monday, July 25, 2011:The view from the Pagoda(2011/07/25:仏塔からの眺望) より
Now almost one hundred years old, Yamashiro was built by a pair of eccentric German brothers as a replica of a real Japanese palace in the mountains near Kyoto. In an undeveloped Hollywood, it was an impressive landmark as it loomed above the town from its hilltop site, ringed by tiered gardens that included a pool with swans and an antique pagoda.
-----意訳すれば以下の通り。
現在はほぼ100年を経過したYamasiroは京都の近くの山の本当の日本の宮殿のレプリカとして、変人であるドイツの兄弟によって建造された。 それは白鳥とプールやアンティークな仏塔などを配した階層型庭園に囲まれた丘の上に茫洋とあり、未開発のハリウッドでは、それが印象的なランドマークであった。

 ※1922年の航空写真があるので転載する。

写真右端中央やや下に仏塔(二重塔)が写る。
 1922 aerial photo from the Los Angeles Public Library:左図拡大図
 (1922航空写真 ロサンゼルス公共図書館から)


日本絹業博覧会第二会場(湊川公園)多宝塔

日本絹業博覧会:
大正14年(1925)4月10日〜5月28日、神戸で開催される。兵庫県初の本格的博覧会という。
生糸・絹織物の輸出港としての神戸をアピールする目的で、発案・開催される。
会場は第一会場が神戸市海岸通埋立地、第二会場が湊川公園であり、生糸・絹織物・人造絹糸・織機など42000点余が展示されるという。
観覧料は平日大人40銭・小人20銭、日曜祝日は大人50銭・小人25銭(当時の相場は上野動物園10銭、映画50銭)。
入場者は約66万人で、一日平均1万3000人。(http://lib.yg.kobe-wu.ac.jp/exhibition18.html より)

第二会場(湊川公園)には多宝塔が設営されたものと思われる。
絹業博第二会場 湊川会場各無料休憩所のタイトル
絹業博湊川会場多宝塔:左図拡大図
多宝塔に関する情報は皆無であり、詳細は全く不明。
写真向かって右手前が無料休憩所であろうか。
その奥には四脚の蓮台が設営され、その上には多宝塔が建てられる。
下重は平面方3間、上重は平面円形の多宝塔形式の建築である。
その材質や屋根、細部は全く不明であるが、おそらく細目は省略された簡易な構造であろうと思われる。
屋根には相輪を建て、少々オーバーな宝鎖を四隅に垂らす。

この多宝塔は絹業博の終了後、どうなったかは不明。
取り壊された可能性が高いと思われるが、どうであろうか。



2010/11/22作成:2016/09/14更新:ホームページ日本の塔婆