阿  波  明  王  院   二  層  塔

阿波明王院二層塔

阿波明王院二層塔

資料ご提供:徳島県山川町教育委員様、ご提供資料の内、3点(A,B,C)について伽藍関係を要約。
        (徳島県山川町<平成16年吉野川市に合併>教育委員会)

A:パンフレット類の一項と思われる資料。

11.明王院
寺伝では弘法大師の開基。天正2年(1574)要全師を中興の祖とし、・・22代となる。
寺号は月光山明王院宝積寺。本尊不動明王。
建造物:
本堂(安政2年1856建立)、大師堂(大正4年建立)、鐘楼(文化年間1804-56建立)、
多宝塔(二重の塔−明治41年建立)
この二重の塔は六地蔵を奉安し、弘法大師作と伝える。元大坊惣持院にあったが、当寺が護持するようになる。
万治年中(1658-61)は六角堂であった。蜂須賀忠英公が参拝・・・
明王院・・・西方には細川氏菩提寺惣持院跡がある。

注)多宝塔との表現があるが、厳密には多宝塔ではない。

B:町史の類と思われる資料中の明王院の記事(山川町史と確認)

(3)明王院
真言宗高野山金剛峰寺派に属する。
高越寺登山口にあり・・・、本尊は不動明王。建物は本堂・地蔵堂・大師堂・庫裏等・・・
弘法大師の開基創立と伝えるも、・・・中興要仙が開基創立したとするのが妥当であろう。

C:「ふるさと探訪 明王院(月光山宝積寺)とその周辺 実地調査」9月学習会、山川町教育委員会、昭和62年

「ふるさと探訪 明王院(月光山宝積寺)とその周辺 実地調査」から転載。

 

1)二層塔図が描かれる。
 形式的には多宝塔のように表現され、亀腹もあるように表されるも、実際には亀腹はない。

2)多宝塔上段記事
 下が方形上が円形の二重の塔。
 宝形屋根の上に相輪をつけている。
 注:これは多宝塔一般を説明したものなのであろう。

3)多宝塔下段記事
 本尊六地蔵=めひき地蔵という。
 享保2年(1717)建立、安政5年(1858)再建
 明治41年再建(松村伊平寄附)
 石段は谷類三郎寄附

A、B、C 3点の記事を総合すると
ABCの3資料に共通する堂宇は本堂、大師堂で、庫裏、鐘楼もあるものと思われる。
しかし Bには二層塔の記載が無く、代わりに地蔵堂の記載がある。
この地蔵堂は、二層塔本尊には六地蔵を祀り、それ故に二層塔を地蔵堂と表現しているものと思われる。
 (二層塔について、多宝塔とも解釈できる表現があるが、あくまで二層塔である。)

阿波明王院二層塔画像

残念ながら正規の塔建築ではない。
また形式は初重;方3間、上重:方1間の二層塔と称すべき建築である。

相輪は四方に鎖を下ろし、多宝塔の相輪形式を踏襲する。
屋根:本瓦葺き。軒下:一重平行垂木。組物はなし。
組物に代えて、頭貫に相当する材を上下2重に打ち、上頭貫には巾広の材を用い、木鼻に相当する材を作る。
内法長押相当材なども用いる。
正面と左右の中央間:扉、正面両脇間:連子窓、あとは全て土壁とする。上重には欄干、下重縁は板縁を張る。
柱は円柱で欅と思われる。
内部構造は不明。そのため上重の柱が下に下りているのかあるいは梁から建つのかは不明。
初重柱間間採寸を亡失。多分1間1m弱?位の寸法か。

阿波明王院二層塔遠望:四国の山地が落ちて、吉野川の平野をなすその境目の山麓に位置する。遠方からも遠望できる。
阿波明王院二層塔1:左図拡大、背後から撮影
  同        2
  同        3
  同        4:急な石段上にあり、全容の撮影は困難。
  同        5:上重
  同        6:上重
  同        7:上重
  同        8:初重
  同        9:初重
  同       10:初重
  同      扁額:めひき六地蔵尊とある
  同  中央間右柱:寄附主陸中国黒澤尻町松村伊平
  同  中央間左柱:明治41年建立
  同      床下:特に基壇は作らず、礎石上に長方形の切石を載せ、その切石から柱を建てる形式と思われる。

 

2007/06/03追加:
 2000/08/26徳島新聞 「徳島建物拝見 5」「明王院(山川町)の二重堂」 より

 明王院二重堂:初層3間、上層1間の多宝塔から明王院の二重堂
 明王院二重堂初層:組物を使用せず、簡素に造られている初層の軒下
 明王院二重堂初層棟:稚児棟をつけない隅降り棟、シンプルな卍の鬼瓦を用いる。


2006年以前作成:2007/06/03更新:ホームページ日本の塔婆