神仏分離へ

小豆島88所札所に於ける明治維新の神仏分離


「小豆島 遍路と旅」冨永航兵、朱鷺書房、2003 は勿論、小豆島88所遍路の案内記である。
案内記であって、各々の札所の歴史を詳述するものではない。
しかしながら、この著書には明治維新の神仏分離に関する記述も多く見られる。
 即ち、この著書によれば、札所として、内海、亀甲、福田、亀山、富丘、大木戸、伊喜末の各八幡宮および天満宮(天神)、牛頭天王の神宮寺(別当)を札所にしていたケースがあった と云う。
当然明治の神仏分離でこれらの神宮寺(別当・社僧)は廃寺となるが、巡礼の対象であった仏像はほとんど現在に伝えられ、札所の本尊として今も信仰 が護持されている状況が分かる。おそらく小豆島の各村人の信仰がそうさせたのであろう。
以下は、標記の著書から明治維新の神仏分離に関係する記述を抜き出したものである。

第9番:庚申堂

庚申堂に不動明王を安置。不動明王像は内海八幡宮別当八幡寺の本尊であった。
小豆島が石清水八幡宮の荘園になったのは延長4年(926)といい、この期の少し後に内海八幡宮が造営されたと云われる。
明治の神仏分離で八幡寺本尊を庚申堂に遷座し札所とする。

第10番:西照庵

もとは内海の亀甲八幡宮が札所であったが明治の神仏分離で改められたという。
亀甲八幡宮には慶長10年の棟札が残る。(西照庵?)本尊愛染明王は亀甲八幡宮の本地仏という。

第22番:峰之山庵

縁起は不詳。五社八幡宮祭礼に関係する村の寄合席を神仏分離時に札所に改めたものとも推測される。

第23番:宝海山本堂

本尊釈迦如来は福田八幡宮別当東光寺(神宮寺)から遷座したという。福田八幡宮再建棟札に「社僧東光寺住増秀」とあると云う。

第33番:金陵山長勝寺

亀山八幡宮の本地仏・阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩(重文)が明治維新の神仏分離で遷され、収蔵庫に安置される。

第34番:保壽寺庵

本尊無量寿如来は亀山八幡宮本地仏で別当保壽寺の本尊であった。
明治6年「無檀家無住にて、廃寺仕り候、建物などの儀は別紙絵図面を相添え、この段お届け奉り候」と廃寺願いを提出する。
廃寺後、当地に小堂を興し、本尊を祭祀し、保寿寺庵と称する。

第35番:林庵

明治維新の神仏分離以前は亀山八幡宮が札所であったが、神仏分離で当地に一宇を建立し、阿弥陀如来を遷座し、札所とする。
延長4年(926)石清水八幡宮の荘園となり、この地に八幡神が勧請されたとされる。現在の社殿は嘉永5年(1852)の造営であるが、応安4年(1371)の棟札が残ると云う。

第40番:保安寺

保安寺境内に産土神の荒神社があったが、神仏分離に際し、山川の山中に社殿を建て他の社と合祀したという。

第51番:宝幢坊

富丘山観音寺と号する。もとは富丘八幡宮の別当であったが、明治の神仏分離で廃寺となる。
しかし仏像・諸具は宝生院に移され、札所は再興されると云う。
富丘八幡宮は延長4年(926)に勧請されると伝え、宝幢坊が社僧として創建されたという。 札所は今も宝生院境内にある。

第52番:旧八幡宮

富丘八幡宮の本地仏を明治の神仏分離でこの地に移す。宝生院境内に堂を構える。 本尊阿弥陀如来。

 第58番:西光寺・・・・神仏分離には関係なし。昭和50年三重塔が建立される。

第59番:甘露庵

神仏分離以前の札所は天満宮であったが、現在地に遷すと云う。
嘉永5年(1852)の記録では「草庵は本社石段下にあり、宮守りの僧ここに住す。内に地蔵菩薩を安ず」とあると云う。
本尊阿弥陀如来は天満宮の本地仏であったと伝えられる。
また現在地は鹿島明神の別当の地とされ、石仏などが多いとも云う。

第62番:大乗殿

大木戸八幡宮別当が明治の神仏分離でこの地に移転するという。本尊阿弥陀三尊。
第63番蓮華庵と同じ堂宇に同居する、向かって左大乗殿、右が蓮華庵となる。
 ◆(2008/06/29撮影)第62番大乗殿・第63番蓮華庵

第63番:蓮華庵

この地は大木戸八幡宮の別当のあった場所と伝える。
大木戸八幡宮は高橋氏が弘安年中(1278-)伊喜末八幡宮を土庄に勧請したことに始まるという。
 ◆(2008/06/29撮影)大木戸八幡宮: 胡散臭いことに、境内・社殿などは戦前の国家神道の色合いを醸し出す。

 第64番:松風庵:◆(2008/06/29撮影)第64番松風庵・・・・神仏分離には関係なし。

第66番:等空庵

本尊は無量寿如来。伊喜末八幡宮の本地仏であった。
神仏分離ではじめ松林寺に遷したが、後この地に堂宇を建立して遷座するという。(大正4年の縁起)

第67番:瑞雲堂(釈迦堂)

本尊釈迦如来。明治までは鷹尾山神護院瑞雲寺と号し、大木戸八幡宮の別当であったが、明治の神仏分離で廃寺となる。
仏像は北浦歓喜寺に預けられるが、明治28年村人の懇請によって、堂宇を再興して遷座するという。

第68番:松林寺

伊喜末にある。伊喜末八幡宮の本地仏無量寿如来を併祀する。

第71番:瀧ノ宮堂

薬師堂という。元瀧宮天王社で牛頭天王を祀っていたが、明治の神仏分離で薬師堂とされる。

第77番:歓喜寺

本堂背後に本地堂があるというが、由緒は不明。北浦にある。

第83番:福田庵

福田八幡宮別当神宮寺本尊薬師如来を安置。明治の神仏分離で神宮寺は廃寺となるが、その後檀信徒がここに堂宇を再興し、本地仏を遷すと伝える。

第84番:雲海寺

明治2年福田八幡宮本地阿弥陀如来をこの寺に遷す。

第85番:本地堂

明治2年福田八幡宮本地阿弥陀如来を雲海寺に遷し、雲海寺本地堂に祀り、札所とすると云う。
福田八幡宮は延長4年(926)の創建で、当地村本氏が崇尊したと地耐える。正保元年(1644)の棟札には「大導師北山宝生院増海、社僧東光寺住増秀」とある。延宝9年(1681)には神宮寺と称する。
 


2006年以前作成:2008/07/07更新:ホームページ日本の塔婆
 

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