備 前 上 伊 福 妙 林 寺 : 三 門 妙 林 寺

備前上伊福妙林寺:三門妙林寺

備前上伊福妙林寺:三門妙林寺:岡山市北区三門東町(上伊福別所)

 本寺は池田光政の岡山移封に従った慈雲院日意が城下山崎町に創建するという。
寛文5年不受不施禁制により、悲田派に転宗、悲田派小湊誕生寺末となる。
 →悲田不受不施派時代である天和3年(1683)には「悲田不受不施派岡山城下妙林寺法難」がある。
   →上記の法難については初期内信法難の項を参照。
大乗山と号する。奠師法縁。
貞享3年(1686)元地の数倍の3700坪の寺地を得て現在地に移転、同時に光政の寛文の廃仏・不受不施弾圧で廃寺となった日蓮宗寺院の檀家の多くが本寺の檀家に組み入れられる。 事実付近の村郷で圧倒的な数の檀家を有するようである。
 ※この貞享3年の事績については、後述の「貞享3年妙林寺関連文書」を参照。
元禄6年(1963)悲田派禁制により受不施派に轉宗する。
 ※妙林寺は藩主池田氏に従って因幡より移転した寺であり、その因縁より、藩主の意向に従ったものと思われる。
寛文6年御野郡の日蓮宗寺院が廃寺となるが、それらの檀家の大部は妙林寺の檀家とされたため、妙林寺は多数の檀家を擁するようになる。
 2019/03/10追加:
 ※受派に転宗の後は、内信信仰の高揚や内信信者の増加により、寺院の存続が脅かされる危機感を抱いたのであろうか
 日應寺・浦伊部妙國寺などとともにしばしば不受不施派への讒訴を行い、不受不施派法難の端緒を作る。
 まさに、保身に走り、幕府や藩の走狗の役割も果たしていたのである。
 また、明治維新後信仰の自由が認められた後にも、不受不施派再興の動きに対し、様々な妨害工作を行ったことも
 伝えられる。 → 備前法華の系譜を参照。
元文・延享年中(1736-1741)10世日慈代に本堂、仁王門、庫裏等を整備する。
現在は本堂、祖師堂、番神堂、庫裏、客殿、鐘楼、仁王門、総門、新客殿等を有する。
昭和半ばまでは、東参道北に2院(授法院と観明院)、南に2院(延寿院と清凉院)の寺中があったという。
現在は北側授法院と観明院の2院があり、南側2院は駐車場などとなり、寺地・建物は存在しない。
 ※平成20年(2008)10/13に掲載された「今週の「つぐらの顔」妙林寺」のページでは
 「東からの参道北に残る唯一の寺」授法院という紹介文とともに、現在とは違う授法院の写真の掲載がある。
  これは、造替前の授法院の写真であろう。現在の写真は下に掲載する。
    造替前授法院1:2008年以前の姿であろう。ページ 「今週の「つぐらの顔」妙林寺」より転載。
    造替前授法院2:ページ 「大乗山 妙林寺」より転載。
 この記事から類推するに、近年(2008〜2014年の間)、授法院は造替され、観明院は再建されたものと思われる。
○なお、備前48寺の一つである上地山満楽寺(報恩大師開基備前48寺の45)が文化12年 (1815)に西塔及び東塔の塔株を御野郡津倉妙林寺に譲った文書(「御内意窺」)が残るが、この妙林寺とは本寺を云う。しかしこの件については現在のところ「御内意窺」の記載内容以上の情報がなく、譲られた「塔株」がどのように「生かされた」のかは不明である。
 ※寺歴や池田光政の不受不施弾圧の経緯からみて、妙林寺は藩の庇護を受け、寺の財政は潤沢なものがあり、塔婆の建立を企図していたのかも知れない。
2014/11/04追加:
○貞享3年妙林寺関連文書
ページ:「岡山県地域別寺院一覧」>「大乗山 妙林寺」に以下の掲載がある。(転載)
(妙林寺は、貞享三年二月現在の地に移るが)、
「移転の事情は同寺宛のつぎの文書により知ることができる。」
  (「撮要録 巻十三」)
 備前岡山山崎町日蓮宗証文之不受不施大乗山妙林寺、境内狭小面檀越之用事難調に付、寺地之義数年被願候、依之町中之寺と申其上溝筋為通路今般被召上替地於御野郡伊福村寺屋敷三増倍七百八十三坪拝領被付者也。且又檀方数多有之寺内墓所就為不足面所望被申故、所之庄屋百姓え相対年貢地買添被造立梵字宇也拠旧今准御城下之寺院為後証如件
  貞享三年寅霜月十三日   能勢勝右衛門(書判)
     大乗山妙林寺

 「右文書の能勢勝右衛門は寺社奉行、また文中に「日蓮宗証文之不受不施」とあるのは、寛文六年の不受不施派禁制に際し、受不施に転ずる旨の証文を公儀に差出した寺の意に解せられる。」
※無印は2014/11/22撮影、□印は2019/03/02撮影:
◎妙林寺現況:
 南参道入口題目碑     □南参道入口題目碑2      山門々前題目碑     □山門前題目碑2
山門及び仁王門
 上伊福妙林寺山門1     上伊福妙林寺山門2     □上伊福妙林寺山門3
 上伊福妙林寺仁王門1    上伊福妙林寺仁王門2    上伊福妙林寺仁王門3:平成26年11月仁王門・仁王像を修復。
 □上伊福妙林寺仁王門4
 □仁王門内題目碑3基     □仁王門内650遠忌題目碑     □仁王門内700遠忌題目碑
 仁王門内題目碑1
 上伊福妙林寺番神堂1     上伊福妙林寺番神堂2 
 上伊福妙林寺鐘楼1       上伊福妙林寺鐘楼2     □妙林寺鐘楼3
伽藍俯瞰
 上伊福妙林寺伽藍1     上伊福妙林寺伽藍2
祖師堂
 □妙林寺本堂・祖師堂
 妙林寺祖師堂1      妙林寺祖師堂2      妙林寺祖師堂3      妙林寺祖師堂4
 □妙林寺祖師堂5     □妙林寺祖師堂6     □日朗・大覺題目碑
 □妙林寺日蓮聖人立像     祖師像前題目碑2     祖師像前題目碑3     祖師像前題目碑4
  ※日蓮立像下は納骨堂で、立像とともに戦後の造作である。
 □祖師像前題目碑2基     
本堂:元文元年(1736)建立、5間四面入母屋造本瓦葺き。
 上伊福妙林寺本堂1     上伊福妙林寺本堂2     上伊福妙林寺本堂3     上伊福妙林寺本堂4
 上伊福妙林寺本堂5     □上伊福妙林寺本堂6     □上伊福妙林寺本堂7
 上伊福妙林寺客殿:平成8年竣工
 上伊福妙林寺土蔵       開基日意上人墓碑
寺中
 授法院(左)・観明院      寺中授法院      寺中観明院      延寿院・清凉院跡
2014/11/04追加:
補足:妙林寺(など)に関する平易な解説があるので、補足する。
 ※当然ながら、これは歴史の解説であって、現在の解説ではない。
◆ブログ「岩清水日記」>「妙林寺と妙善寺  岡山の風景で知っておかなくてはならないこと。」 より引用
 (江戸時代にキリスト教の他に)「禁制になった宗教は他にもありました。日蓮宗の不受不施派です。
禁制というのは、時の権力者が、神や仏を自らより上位に置く宗教を禁ずることともいえます。反権力ということになります。
実は、岡山の妙善寺は、不受不施派です。
 (妙善寺のHPから引用すると)「妙善寺も備前法華の拠点として備前藩主池田家の厳しい迫害と弾圧を受けた。やがて、寺は無住となり、宝永5(1708)年には一切の堂宇を廃棄する有様であった。
一方
 「弾圧した備前藩主池田家は、鳥取から岡山に国替で移住してきたのですが、一緒に移住してきた中に、日蓮宗の僧侶がいました。その僧侶が建てた寺が・・・(上伊福)妙林寺です。
 (妙林寺のHPから引用すると)「妙林寺は・・・池田光政公・のお国替えの時に、慈雲院日意上人が光政公に従い・・・寛永9年(1633)旧山先町に寺院を創立したのがその起こりである。
その後、・・・貞享3年(1686)2月第6世一往院日周上人の代に現在の地に移転し、・・・・元文元年(1786)に現在の本堂・祖師堂・番神堂・鐘楼堂・仁王堂・山門・庫裡などを建立して現在に至っている。・・・
多くの堂屋が立ち並び、多大なる檀信徒に支えられている中四国屈指の大寺院である。

 
ということで、こちらは藩主の庇護を受けた日蓮宗寺院だということです。
2016/07/05追加:
大乗山妙林寺末寺:
○岡山妙栄寺:但し妙栄寺は戦後の開山であり、既に公式の本末関係はない時代の寺院である。
  →上に掲載の備前岡山妙栄寺を参照。
大乗山玉翁寺(倉敷市生坂)
○有縁山妙傳寺(倉敷市真備町箭田) →備中箭田妙傳寺


2022/10/05作成:2022/10/05作成更新:ホームページ日本の塔婆