山  城  真  宗  院  ニ  重  塔

山城真宗院ニ重塔

「拾遺都名所圖會」巻四 より:

山城真宗院全図

山城真宗院部分図:左図範囲拡大図

この図によると、開山塔として、ニ重塔があったと思われる。
この二重塔の沿革は全く不詳。
現在、現地には二重塔ではなくて二層堂が現存する。
この江戸期のニ重塔と現在の二層堂との関係については、不明。
二重塔が退転し新しく二層堂が再建、あるいは二重塔の相輪を欠く事態となり二層堂に改造などが想定されるも、詳細は不明。

「拾遺都名所圖會」記事;
真宗院〔安楽行院のひがしにあり、浄土宗にして西山派深草流義の本寺なり。仏殿の本尊は阿弥陀仏の坐像にして、長四尺ばかり、春日作なり。脇壇の左に地蔵、毘沙門、右に善導、法然、西山の影を安置す。仏殿の額龍護殿と書して二重屋根 の間にかくる、又祈祷の額は正面唐戸の上にかくる、又真宗院の竪額は堂内外陣の中央にかくる、後深草院の宸筆なり〕
通西軒〔仏殿のひがしにあり、此地尼女人界内を許さずして、藩屏を隔、前に大界外相の立石あり、是当寺の別院とす〕
経蔵〔仏殿の前西向にあり。本尊釈迦仏、坐像一尺余にして、宝冠の相なり。脇士は左に迦葉、右に阿難を安置す〕
鎮守の社〔仏殿のひがしにあり、春日、稲荷、愛宕を祭る〕
当寺は後嵯峨帝の本願にして、開山は円空上人なり。宝治年中の草創にて、初の地はこれより二町ばかり坤の方、今民家の間に薮あるの所といふ。〔其所に長五尺ばかりの五輪石塔あり、円空上人の塔といふ。当院中興は誓願寺の龍空上人にして、今の如く再建ありしなり〕

2006/11/19追加:
「山城おうせんどう廃寺心礎」の「おうせんどう廃寺地図」
  明治42年測量地図:1/20000、京都南部 と 昭和26年測量地図:1/10000、醍醐 に ニ層塔「記号」がある。

真宗院二層堂

現在は相輪はなく、二層堂の形式となる。
山城真宗院二重塔1
  同        2
  同        3:左図拡大図
  同        4
  同        5
  同        6
  同        7
  同        8
  同        9
外見で判断する限り、建物自体は最近のものと思われる。
建築そのものも塔の様式ではありません。

昭和60年,西山浄土宗深草派円空立信上人(1213〜84)七百回大遠忌にあたり,真宗院本廟の修理行われるとの情報があり、この時に「開山塔」は大修理が行われたとも推測される。
「日本塔総鑑」;「二層堂あり」と記載あり。
「新撰京都名所圖會 巻5」(昭和38年)の挿絵ではこの開山堂(円空上人廟)は単層堂に描かれているが、粗雑な描写とも思われ、良く分からない。