春  日  興  福  寺  境  内  繪  圖

春日興福寺境内繪圖

春日興福寺境内繪圖

宝暦10年(1760)以降の製作と推定される。
法量は1.889m×3.730m
焼失箇所を、朱で囲み、朱筆書入する。掛幅の仕様である。これは焼失堂塔の再建勧進に使用されたものかも知れない。

江戸中期の興福寺伽藍・寺中・鎮守春日社などの状態が把握可能な図と評価できる。
 享保の大化後の描写のため、主要伽藍は焼け落ちたままの状態であるが、多数の院家・寺中のほぼ全容が把握可能である。
 ただ、大乗院門跡の描写はないが、その理由は分からない。

2022/01/13追加:
○「奈良六大寺大観 第7巻 興福寺1」岩波書店、昭和48年(1973) より
 興福寺伽藍春日社境内繪圖 宝永5年(1708)5月 : 享保焼失以前の伽藍を描く。
享保2年(1717)、明和4年(1767)、寛政3年(1731)の火災・大風によって失われた中金堂・講堂ほか、四恩院十三重塔ほか、東室、春日社新談義屋を朱で囲み、その旨を朱記注記している。またこの朱記は墨書と同筆である。
従って、本図そのものの書写は寛政3年(1731)をやや下るころであろが、その基となった図は享保2年(1717)以前に成立していて、少なくともそれ以前の状態を伝える貴重な図である。

◆奈良女子大学学術情報センター蔵
春日興福寺境内繪圖全図:下図拡大図<容量:1M>・・・2022/01/13:大容量画像を追加。

向かって左は興福寺堂塔とそれを取り巻く寺中群が描かれ、右は後背の山々と叢林に取り囲まれた春日社を描く。

○「春日興福寺境内図」と「春日興福寺境内図/興福寺部分図」及び「春日興福寺境内図/春日社部分図」との関係
大和興福寺五重塔・興福寺三重塔・勧學院八角多宝塔・春日西塔東塔・四恩院十三重塔」の
ページでは
春日興福寺境内図/興福寺部分図」 及び 「春日興福寺境内図/春日社部分図」 を使用する。
 
その「春日興福寺境内図/興福寺部分図」及び「春日興福寺境内図/春日社部分図」がトリミングする「春日興福寺境内図」の状況は次の通りである。

赤の囲いの部分が「春日興福寺境内図/興福寺部分図」のトリミング範囲であり、青の囲いの部分が「春日興福寺境内図/春日社部分図」のトリミング範囲である。


2015/01/20作成:2022/01/13更新:ホームページ日本の塔婆大和興福寺