甲 斐 長 禅 寺 三 重 塔 ・ 五 重 塔 ・ 八 角 三 重 塔 ・ 傘 塔 婆

甲斐長禅寺三重塔・五重塔・八角三重塔・傘塔婆

甲斐長禅寺三重塔・五重塔・八角三重塔

「O」氏ご提供画像:1993/09/05撮影

長禅寺両塔1:下図拡大図

長禅寺両塔2:左図拡大図

2010/05/30撮影:
 甲斐長禅寺両塔3

2019/06/30追加:
長禅寺に信濃安楽寺塔婆を模したと思われる八角三重塔が、2016年頃建立されたようである。
建立場所は仏殿背後である。
 甲府長禅寺空撮:2017年07月GoogleStreetViewより転載
仏殿手前右に三重塔、仏殿左の一画に五重塔、仏殿裏手(背後)に八角三重塔が配置される。
なお、北西の隅に棟門(かなり巨大な)が新しく建立されている。この付近はまだ未整備であるが、境内として整備予定なのであろうか。


甲斐長禅寺三重塔

「O」氏ご提供画像:1993/09/05撮影

長禅寺三重塔1:下図拡大図

長禅寺三重塔2:下図拡大図

長禅寺三重塔3:下図拡大図

昭和53年完成。和様の本格木造塔、彩色。屋根銅板葺。総高18.6m(内相輪長5.5m)、一辺3.57m。
信濃大法寺塔がモデルと云う。
建立の目的は、大型仏塔建立の技術研究のためと云う。
 (大型塔とは七重塔であり、その建立計画であったが、技術上及び資金上の問題などで、この後に五重塔が建立される。)
基本的には和様で統一される。
大型木造塔婆建立の技術研究のための建立といいながら、建築として一級品の出来栄えであろう。

「O」氏ご提供画像:1993/09/05撮影
長禅寺三重塔4(相輪)
 同      5(三重)
 同      6(ニ重)
 同      7(初重)
 同      8(三重):左図拡大図
 同      9(二重)
 同     10(初重)
 同     11(初重縁)
 同     12(初重組物)
 同     13(初重組物)

2010/05/30撮影:
甲斐長禅寺三重塔21       同        22       同        23       同        24
  同        25       同        26       同        27       同        28
  同        29       同        30


甲斐長禅寺五重塔

長禅寺五重塔1:下図拡大図

「O」氏ご提供画像:1993/09/05撮影

長禅寺五重塔2
長泉寺五重塔3:左図拡大図

平成元年(1889)完成、落慶は平成2年か?。基本的に伝統様の白木本格木造塔。
総高31.8m(相輪長8.5m)、一辺5.0m。屋根銅板葺。
2人の宮大工(宮崎忠仍棟梁ほか)が数年をかけて建立。
本来は七重塔建立の意図であったが、構造上・費用などの関係で五重塔に変更されたとも云われる。


「O」氏ご提供画像:1993/09/05撮影
長禅寺五重塔4
 同      5(相輪)
 同      6(五重)
 同      7(中間重)
 同      8(中間重)
 同      9(中間重)
 同     10(五重)
 同     11(中間重)
 同     12(中間重)
 同     13(初重):左図拡大図
 同     14(初重)

長禅寺(瑞雲山)は甲府五山の筆頭と云う。
 (五山:瑞雲山長禅寺・法蓋山東光寺・定林山能成寺・瑞巌山圓光院・金剛福聚山法泉寺)
信玄公の母(武田信虎夫人・大井夫人)の菩提寺。臨済宗妙心派。

2010/05/30撮影:
甲斐長禅寺五重塔21       同        22       同        23       同        24
  同        25       同        26       同        27       同        28
  同        29       同        30       同        31       同        32
  同        33       同        34       同        35       同        36
  同        37
 ※初重扉、基壇上部の石敷、塔周囲の外装工事(内部装飾の進捗は不明)などは今も未完であり、恐らく落慶はまだと思われる。


甲斐長禅寺八角三重塔

詳細不詳である。
信濃安楽寺八角三重塔を模したものと推定される。
諸Webページを参照すると
2015年3月7日の訪問で、建立中の写真があり、
2016年5月5日の訪問で、ほぼ竣工した三重墓の写真があり、一重目の覆だけ残る。
2018年10月14日(放蕩訪塔記)では、竣工した姿の写真の掲載がある。
従って、不確実ではあるが、2016年頃竣工と思われる。

2019/06/09「X」氏撮影画像:
 長禅寺八角三重塔1:左図拡大図
 長禅寺八角三重塔2

なお、「旅 464 長禅寺」のページに次の興味ある記事があるので、次に記す。
 「墓地には大井夫人の墓など比べものにならない、大きな墓石があり私を驚かせた。・・・
後で、山門の近くで孫と遊んでいた近くに住んでいる人に訊いたら、甲州財閥と呼ばれるグループの一家、若尾家の墓所だという。
 ※戦前の諸堂は昭和20年の空襲で全焼という。戦後、仏殿や諸堂、三つの塔婆などが建立され、その資金力は瞠目に値するが、その大檀越は誰なのであろうか。甲州財閥の一角を占める若尾家なのであろうか。
 ※尤も、若尾家は戦前に没落したようで、其の外の甲州財閥の有力者が檀越なのであろうか。巨額の資金はどうやって調達しているのであろうか、それは良く分からない。
 「山門や鐘楼を建てたのは、熟練の宮大工ではないようだ。
 孫と遊んでいた近所に住む人に訊いたら、設計図があり、何分の一かの模型が正確に作れれば、誰でも建てられるという考えのもとに、この作業場で部品を作り組み立てているのだという。
 ※三重塔や五重塔や八角三重塔の建立も「熟練の宮大工ではない」のであろうか。しかし、塔婆の仕上がりは「熟練の宮大工ではない」ようには見えないが、どうなのであろうか。


甲府長禅寺傘塔婆

建立年代などは不明、かなり新しく2019年頃竣工とも思われる。
大和長岳寺傘塔婆(五智堂)を模したものと推察する。
但し、長岳寺傘塔婆には今は覆堂ができ、屋根の形は分からないが、およそ、本傘塔婆のようなものであったのであろう。
心柱には須弥壇が設置され、これは心柱が佛(大日如来)であることを明示するものであろう。
2019/06/09「X」氏撮影画像:
建立の場所は不明である。
 甲斐長禅寺笠塔婆


補足:その他の伽藍

長禅寺は昭和20年の空襲で焼失し、古伽藍は残さない。
「O」氏ご提供画像:1993/09/05撮影:
 長禅寺山門:当時(1993年)山門は建立中であった。
2010/05/30撮影:
 長禅寺山門2     長禅寺山門3
 長禅寺仁王門
 長禅寺大井夫人廟


2007/10/15作成:2019/07/02更新:ホームページ日本の塔婆