★「神道の本源」への「思い込み」
○2008/01/05朝日新聞「ニッポンの面(おもて)」記事
現在、多くの人々が「初詣」に出かけ、この「風習」は古くからの「伝統行事」のように見えるが、実は寺社への「初詣」は20世紀になって広まった極めて今日的な現象である。江戸期において、元旦は「恵方」から来る神を家で向かえるのが一般的であり、また寺社への参拝は「初詣」という形式ではなく、縁日・祭日に参拝するのが一般的であった。
一方宮中では元旦に「四方拝」(天皇が五穀豊穣と天下大平を祈る)の行事があった。明治維新後、公官庁・学校などが宮中に習い、元旦に儀式を行うようになる。「恵方」参りも元旦に行く人が増える。さらに関西では各私鉄が沿線の寺社を「今年の恵方」としてバラバラに宣伝し、これが流布していった。こうして国家神道で各付された「官幣社」に参拝者が集中し、こうして元旦の「初詣」が一般化した。
つまりは、「初詣」とは日本の資本主義的近代化の過程で生じた都市への集中あるいは鉄道網の発達(商業主義)などを基盤とし、これに日本の国家神道の「臣民教化」の政策が上乗せされた、極めて近代的な最新の風習であるといえる。
(以上 京都大学人文科学研究所・高木博志准教授)
アニミズム的な要素を色濃く残し、天皇の宮中祭祀とも繋がる(あるいは付会した)神道は日本古来の宗教とされる。しかし「国家神道」的な色眼鏡を外せば、日本の神道は中国や朝鮮の影響が強いとも云われる。
例えば、日本・高句麗・百濟・新羅の建国神話は天上から建国の始祖が降臨するという共通性がある。また神道の禊・祓も中国の書物に出てくる。
(以上 京大名誉教授・上田正昭)
「神道には本源的な日本の文化や精神がある」という思想は本居宣長風の外来の文化や思想を排除してゆけば純粋な日本があるという「思い込み」であるが、実は「時代を溯ぼるほど、見えてくるのはアジア的普遍性」であって、「そこから次第に日本列島の中で個性が生れていった。」といえるのではないか。
(以上 名古屋市立大教授・吉田一彦)
★国家神道・要約
○2008/02/11朝日新聞「国家神道」、東大教授・島薗進
明治23年「教育勅語」(明治天皇が教育の根本精神について臣民に授けた聖なる教え)が発布され、この後、小学校は天皇の聖なる教えに導かれる場となった。つまり、臣民は神道の礼拝(伊勢神宮や宮城を遥拝し、靖国神社や明治神宮に詣で、ご真影や教育勅語に頭を垂れる)を強制されることになる。
2月11日の紀元節では「雲に聳ゆる高千穂の・・・」という唱歌で、「高千穂」とは天照の天孫ニニギノミコトが天下った日向の山であることを教えられ、「大御世」とは「ニニギノミコト」の子孫である万世一系の天皇の治世を意味することを教えられた。この唱歌の3番「天つ日嗣の高御座・・・」では、日向国ではなくて飛鳥で初代天皇神倭伊波礼琵古命(神武)が即位し祭政一致の統治を始めたことを教えられた。
以上が国家神道の成立であり、国家神道の教義のエッセンスである。
そして、教育勅語が発布された同じ年(明治23年)、神武が即位したとされる場所に橿原神宮が創建される。
以上、教育勅語に凝縮される国家神道は神社で宣伝されるよりは、むしろ学校で広められた。学校では教育勅語や修身科や国史の授業を通じて、国体思想や天皇崇敬の教義を教えこまれることになる。要するに天皇崇敬こそが国家神道の根本教義であった。
一方国家神道の歴史的特異性として、国家神道とは近世江戸期に形成された国体思想を拠り所に、維新国家とともに形成された全く新しい神道であったということがあげられる。
それは、起源や教義が定かではない民俗宗教(あるいは風習・古代神道・初原の神道)とは全く別のものであった。強いて起源をあげるとすれば、皇室神道とでも云うべきものであろう。それは天武持統朝あたりで確立した唐の国家体制の儀礼(奈良期の律令体制)などに起源を持つものであるが、その後中世では仏教に圧倒され、それは僅かに宮中儀礼として存在をしていたに過ぎない。
その後時代は替り、江戸期には皇室神道を国家の中心にしようとする国体思想や祭政一致が高揚し、明治維新の変革で国家の基本思想になり、国家神道(天皇崇敬)は臣民に強制されるに至る。
しかし、この国家神道は今次侵略戦争の終結でGHQの指令により、終結されたとされる。しかしそれは国家と神社との結合の解体という外形だけのもので、天皇崇拝(伊勢神宮崇拝・神話の歴史化・皇室不可侵)の精神つまりは国家神道の教義が解体されたわけではない。今も保守層を中心に様々な国家神道復活の動きがあるのが実態であろう。まさしく現下の状況は『「無宗教」の国に多くの支持者』とでも云うべき状況であろう。
→参考:国家神道への道
2006年以前作成:2008/03/27更新:ホームページ、日本の塔婆
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