常 陸 山 尾 権 現 山 廃 寺

常陸山尾権現山廃寺

権現山廃寺概要

平安期の寺跡とされる。
東に塔、西に仏堂が配置され、塔跡は礎石を完存する。南面基壇の外に石造露盤が残されている。
2007/09/17追加:
 「筑波山麓の仏教-その中世的世界-」真壁町歴史民俗資料館、平成5年(開館15周年紀念企画展) より
筑波山麓奈良期の寺院跡は新治廃寺(新治郡)、中台廃寺(筑波郡)、茨城廃寺(茨城郡)が知られ、真壁町には源法寺廃寺、谷貝廃寺、権現山廃寺がある。権現山廃寺は山中にあり、創建年代は不明であるが、塔の遺構が良く残る。出土瓦から奈良期末・平安初頭の建立としておこう。同時期の寺院として岩瀬小山寺、筑波山中禅寺などがある。
 常陸権現山廃寺塔跡礎石群:心礎以下礎石を完存する。

「山尾権現山廃寺」(推定:「真壁町史料 考古資料編3」真壁町史編さん委員会編集、1991 所収)より

山尾権現山廃寺遺構図

寺院跡は海抜396,5mの権現山を下降した海抜263m附近にあり、伽藍地は南に傾斜し、西は崖となる。
 ※遺跡の位置については後述の「権現山廃寺位置」の項を参照。
(権現山廃寺の発見)
昭和50年から山口地区を通る県道から権現山中に入る林道の建設が始まり、その途中の昭和55年に布目瓦の採取があり、現地調査の結果礎石群が発見された 。
 ※なおこの林道は現在も行き止まりで(工事放棄?)、車の通行が何日も無いと思われる林道である。

昭和56年4月に3日間現地調査が行われた。 遺跡状況は以下の通り。
礎石類は露出し、若干の土砂の除去で、遺跡は検出可能、遺物の採取も容易であった。
山尾権現山廃寺測量図:但し概略とされる。
 ※図の南の2ケの破線の囲みの右が塔跡、左が仏堂跡、その中間に引かれている直線は中軸線で、その延長線上南に推定中門跡礎石があり、延長線上北に推定講堂跡がある。講堂跡西北に平坦な造成地(海抜264m)があるも、遺跡の確認はできていない。

山尾権現山廃寺遺構図: 左図拡大図
軸線上南に3個の礎石があり、門跡と推定される。
軸線上左右に塔跡(右・東)と仏堂跡(金堂)がある。
この建物背後にも礎石群があり、講堂的な建物と推定される。
さらに西側にも礎石群が存在するが、性格は不詳(鐘楼・経蔵のような建物?)。

権現山廃寺位置

権現山廃寺の位置が特定できない。
位置情報その1:(A)廃寺位置:2004年 に「某公共機関」様よりご教示頂いた位置
位置情報その2:(B)廃寺位置:「山尾権現山廃寺」に記載されている廃寺の位置図
位置情報その3:(C)廃寺位置:「山尾権現山廃寺」の山尾権現山廃寺測量図(上掲載)及び本文では標高263m附近にあるとする。
          (位置不明)
位置情報概要:山尾権現山廃寺位置:上記の(A)及び(B)位置を1/25000の地形図に落としたもの。
 ※この図で(A)位置は標高210m前後、(B)位置は標高110m前後となり、(A)(B)とも標高263m附近と合致しない。
 一方この地形図で見る限り、標高260m前後はかなり傾斜がある場所の連続であり、伽藍地の適地があるのだろうかと疑問にも思われる。
 地形的(現地は未見)、及び「山尾権現山廃寺」の記載図などから、(B)位置が適合するとも思われるが、標高がかけ離れている。

現状、遺跡地(塔跡・露盤も)は埋め戻され、また調査後原野化が進み、容易に発見することは困難と思われる。
要するに、遺跡地が(A)なのか(B)なのかそれとも標高263mの別の地点なのかはっきりせず、今の段階では現場を知る人の案内もしくは明確な位置の教示が無ければ、探索は困難と思われる。

2007/09/27:
今般、位置情報概要:山尾権現山廃寺位置(上掲載)の(A)位置附近を探索<(B)位置、(C)位置はこの後に入手。>
 (A)位置現況1:この附近で平坦地と思われる地点、山尾権現山廃寺測量図の塔跡・仏堂跡があるとすれば、写真の中段附近か?
 (A)位置現況2:この地点が廃寺跡であるとして、山尾権現山廃寺測量図の塔跡・仏堂跡があるとすれば、写真の上段附近か?
    ※上記の中段・上段とも足を踏み入れてはいません。足を踏み入れるには、藪を切り開く必要あり。
 (A)位置礎石1?:上記の中段・上段の下の段にあった礎石様の石。 (礎石かどうかは不明)
 (A)位置礎石2?:上記の中段・上段の下の段にあった礎石様の石。 (礎石かどうかは不明)
            何れも、ここが廃寺跡であり、また礎石とするならば、山尾権現山廃寺遺構図の仏堂南西の崖下の礎石とも思われる。

2016/06/06追加:
「常陸国の初期寺院」黒沢彰哉(『関東古瓦研究会第2回シンポジウム 関東の初期寺院 資料編』関東古瓦研究会、1997 所収) より
山尾権現山廃寺の位置図の掲載がある。
 山尾権現山廃寺位置図:有力な位置情報と思われる。
山口から(A)位置に至る山道の途中であり、(A)位置に至るおよそ300mほど手前の地点に廃寺跡があるようである。
だとすれば、(A)位置は上に上がり過ぎであり、上記で示した(B)位置は見当違いであり、(C)位置は依然として場所が特定できない。
また、2007/09/27に探索した(A)位置は山道の北側の探索であったが、今般の位置図は山道の南側ということになる。

権現山廃寺塔跡および心礎

「山尾権現山廃寺」(推定:「真壁町史料 考古資料編3」真壁町史編さん委員会編集、1991 所収)より

山尾権現山廃寺塔跡

山尾権現山廃寺塔跡:左図拡大図
権現山廃寺塔跡実測図

基壇はほぼ33尺(10m)四方で、北側は地表と若干の段差であるが、南側は約70cmの差がある。南と西の面には板石が並べられる。
礎石は心礎を始め17個が完存する。
塔一辺(礎石の芯-芯間)は14.6尺(4.42m)、中央間5尺2寸(1.58m)、両脇間4尺7寸(1.42m)
四天柱礎・脇柱礎は花崗岩で、表面を平滑にする、形状は円形もしくは楕円形に多少加工する。最も大きい礎石で4.6尺(1.4m)×4.5尺(1.5m)、最も小さい礎石で2.3尺(70cm)×2,5尺(76cm)程度である。


山尾権現山廃寺心礎


山尾権現山廃寺心礎:左図拡大図
権現山廃寺心礎円孔
権現山心礎実測図

心礎は花崗岩製、ほぼ円形で径4尺(1.21m)を測る。
中央に径40cm×19cmの円孔を穿ち、さらに径27cm×3cmの浅い円孔を彫る。

権現山廃寺塔跡状況1   権現山廃寺塔跡状況2
権現山廃寺塔跡状況3   権現山廃寺塔跡状況4   権現山廃寺塔跡状況5

2016/06/06追加:
「常陸国の初期寺院」黒沢彰哉(『関東古瓦研究会第2回シンポジウム 関東の初期寺院 資料編』関東古瓦研究会、1997 所収) より
 塔礎石・露盤・心礎実測図

権現山廃寺露盤

  山尾権現山廃寺石造露盤

その他の遺構

「山尾権現山廃寺」(推定:「真壁町史料 考古資料編3」真壁町史編さん委員会編集、1991 所収) より

◇門跡:
中軸線上南に礎石3個と基壇化粧石が露出している。全部を発掘したわけでは無く、詳細は不明であるが、まず門跡であろう。
◇仏堂跡:
塔基壇の西約6.5mに基壇がある。
位置的には金堂の位置にあるが、規模としては金堂と呼ぶには貧弱である。桁行3間、梁間3間の礎石16個の礎石が完存する。
桁行は中央間80尺(2.4m)、両脇間70尺(2.1m)、梁間は各間57尺(1.72m)を測る。(6.5m×5.2m)
基壇南・東からは基壇化粧の板石がある。礎石は60cm内外の不整円形を呈する。(塔よりかなり小さい)
基壇は東西7.8m、南北7mで、建物面積は塔より大きいが、基壇面積は塔より小さい。
なお建物中央部に1.3×1.0尺の礎石1個が遺存する。
 権現山廃寺仏堂跡実測図
 権現山廃寺仏堂跡状況1  権現山廃寺仏堂跡状況2  権現山廃寺仏堂跡状況3(上掲載の権現山廃寺塔跡状況1と同一とも思われる)
 権現山廃寺仏堂跡状況4  権現山廃寺仏堂跡状況5  権現山廃寺仏堂跡状況6  
◇講堂跡:
講堂かどうかは不明、現状基壇は明確に確認できない。建物規模は東西10m、南北8.4m。
講堂跡の礎石は地中に埋没しているものもあり、全貌が明らかでないが、桁行5間、梁間4間の建物である。
◇その他:
講堂跡すぐ西に3個の礎石がある。
講堂跡西約10mに4個の礎石がある。
仏堂跡西南方向に7個の礎石が確認できる。


2007/10/06作成:2016/06/06更新:ホームページ日本の塔婆