みどり



みどり。どこの学校にも必ず一人はいそうな名前である。私が通っていた小学校にも一人いた。

小学校6年生のときだったと思う。その日は掃除係として仲間6人と放課後に便所掃除をやらなければならないという最悪の日だった。他の友達は、グラウンドで楽しそうに遊んでいる。小学生にとって、便所掃除係と給食の食器係ほど嫌なものはない。皆が食べ終わった食器を片付けるときには、必ず手や服が汚れるし、しかも当時の食器はとてつもなく重かった。もっと、綺麗に食べろよな!と心で思ったものだが、自分が係りでないときはよく残していたので、子供だった私は、そのような大人げないことは口には出さなかった。さて、みどりと便所掃除について。

便所掃除係の3人の女子の中にみどりがいた。苦痛きわまりない便所掃除をとっとと切り上げ、皆でモップを股に挟んで遊び始めた。小学生の頃というのは不思議なもので、女子も男子の遊びに結構参加してくる。モップ遊びに飽きた私は、幅15cm程の階段の手すりにまたがり、後ろ向きに滑り降りて遊び始めた。いわゆる股間滑りである。滑り終わって、次に誰かが降りてくるかなあと上を見上げると、なんとみどりがこちらを見て微笑んでいた。

ここで、みどりについて少し説明をしておかなければならない。クラスの中ではおとなしく、勉強も普通で、足がやや速いくらいが特徴のみどりは、比較的目立たない存在であった。しかし、なんとなく大人びたところがある彼女は、小学校低学年から高学年へとなるにつれ、本人の意思とは裏腹に頭角を現し出し、「お前、どの子が好きなん?」とか言う話になると、必ず一人や二人は「そら、みどりっちゃ」と言われるような存在になっていた。中には、「あいつのお母さん、すんげえ美人っちゃね。」と将来性を見据える奴も出てきて、なかなかの人気もんだった。

こちらを見下ろしていたみどりは、大方の予想を裏切り、ためらいもなく後ろ向きになったかと思うと、アプローチ、すなわち股間のセットに入った。その時、誰がGO!サインの旗を振ったのかはっきり覚えていないが、みどりは一気に手すりを滑り始めた。「おおぅ...」と一番背の低いヒロセが声を上げると同時に、私も迷わず焦った。上からみどりの尻が落下してくるのだ。バッチグーッのパンツ丸見えなのだ。残念ながら紺色のブルマを履いていることがすぐに判明したのだが、天から桃がどんぶらこ~の爺さんの如く、色めきたった。

思いがけずベストポジションを与えられた私は、こいつは何とかせんといけんちゃ!という突然の使命感に駆られた。もう眼前にみどりの尻が迫っている!今や最も旬なみどりの尻である。こいつもお母さんになったら、すんげえ美人になるのだ。

「あっ!」その声を出したのはヒロセではなく、みどり本人だった。しかも、あまり耳にしたことがないもどかし気な声だ。今だと適切な表現ができるのだが、あれは間違いなくうめき声だった。みどりは、私がとっさに突き出した浣腸マークの両指の先に、柔らかい穴をめり込ませていた。

すでに羞恥心が芽生えていた私は、その場で指先を臭うような大胆な行動はとらなかった。ただ、彼女が漏らした「あっ!」という声には、ただならぬイケナイ何かを感じた。残念ながら、あれ以来みどりとはしゃべらなくなってしまった。そう、人の出会いと別れは「突き」ものなのだ。皆と別れて家に帰った私は、ようやく人目につかなくなった玄関先で、両指を迷わず鼻の穴に突っ込んだ。小野田少尉がルバング島から帰還し、ガッツ石松が世界チャンピオンになった1974年のことである。