エーゲ海に捧ぐ



バイオリニストの佐藤陽子さんが2022年7月19日に亡くなられた。私はクラシックを全く聴かないため、彼女の国際コンクールでの入賞歴やモスクワ音楽院を首席で卒業、マリア・カラスに師事してオペラ歌手として蝶々夫人を演じて喝采といった数々の実績が、如何に偉大なのかは全くもって理解出来ていない。そんな私だが、一度彼女にお会いしたことがある。1978年に小倉の井筒屋で開催された池田満寿夫サイン会に参加した際、彼女が同席していたのだ。池田満寿夫さんが「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞したのが1977年で、「テーブルの下の婚礼」を下敷きに映画化された「エーゲ海に捧ぐ」が公開されたのが1979年。1978年はちょうどその中間の年に当たる。ちなみに、ジュディ・オングがひらひら衣装を着て、『うんで・ほんで・そんで・えーげー おんなはうみ~』と歌った「魅せられて」を大ヒットさせたのは1979年である。

当時16歳の青草坊主としては、国際的な版画家で芥川賞も受賞した「時の人」マスオに会いに行ったのだが、会場にはジョンとヨーコよろしく、当然よといった感じでヨーコが寄り添っていたのだ。ポスター片手にいよいよ自分の番が近づいてきた時、間近でヨーコと目が合った。その瞬間、圧倒的な包容力というか高貴な微笑みというか、つまるところなんとも悶々とした色気に青草坊主はあっという間に魅せられたのだ。そこにはヨーコではなく、紛れもなく陽子という未体験の女性がいた。隣に座っていた満寿夫さんも終始笑顔で幸せそうだったことが強く印象に残っている。

一緒に行った友人のマツナガ君がまずはそつなく二人にサインをしてもらい、続いて自分の番が来た。ここは何かインパクトを残しとかんといけん!と思い、「すみません、サインはこんな感じで斜めに書いてもらえますか?」とリクエストをした。すると上機嫌なお二人が「変わった要求だなあ~ はっはっは」「多感な年頃なのね むふっ」と期待以上の反応が。爪痕を残せたっちゃねと有頂天になり、マツナガ君を誘って京町の「横綱」で天ぷらうどん定食を食って帰った。しかし、冷静に考えなくてもわかることだが、当時の満寿夫さんと陽子さんに青草坊主の爪痕など残るはずもなく、つくづくもアオハルとは勘違いの連続である。

さて、学生時代とは違い、社会人になってからは、部屋にポスターを貼るといった趣向も消えてしまったため、当時のポスターは納戸の筒の中に寂しく閉じ込められたままである。代わりということでもないが、壁には満寿夫さんの「七つのリトグラフ」を飾ってある。素晴らしい色合いと創造性に惹かれて、一目惚れで購入したものだ。一応エディションナンバーも書かれているので本物だと信じているのだが、満寿夫さんの作品にしてはちと安すぎやしないか?と思ったのも事実で、もしかするともしかするかもしれない。まあ、でも、もはや、そんなことはどうでも良いことで、お気に入りの作品を毎日眺められるだけで、幸せな気分になれる。今となっては、映画「エーゲ海に捧ぐ」の印象は、机の下と裸の女性と青い海しか残っていないが、このリトグラフを見ると、あの青い海と青草坊主のアホアホぶりが思い出され、甘苦いマーマレードな気持ちになる。陽子さんは、天国に着くなり満面の笑みでキュートな満寿夫さんに抱きしめられたことだろう。