遠山の金さん



皆さんは、遠山の金さんを知っているだろうか?本名、遠山金四郎景元。天保改革の時代(1840年頃)に活躍した庶民派の北町奉行で、老中水野忠邦のブレインの一人だった人だ(とは、すべて受け売り)。昔、TVの時代劇でやっていたので、おっちゃん&おばちゃんたちであれば、記憶にあるであろう。ドラマの内容はというと、簡単に言えば、水戸黄門と同じパターンである(というより、時代劇のほとんどが同じなのだが)。

さて、私は小さかった頃、近所の貴船神社という小さな神社でよく遊んだ。隣には、児童館が併設されており、カギっ子だった私は、児童館の学童保育に入っていたため、毎日親が迎えに来る夕方まで、そこで遊ぶことが日課となっていた。当時の遊びと言えば、「缶蹴り」「探検」「駒割」「カード飛ばし」「どっつん」など屋外のものがほとんどであった。中でも「屋根ホール」という名前の遊びが最も流行っていた。ルールは割愛するが、3回ボールをぶつけられると、さらに磔にされ、皆からまた1発ずつボールをぶつけられる、という楽しい内容であった。

貴船神社で遊ぶ我らが長浜少年団にとって、なくてはならなかったのは、「かじ」という名前の駄菓子屋であった。おそらく「梶」または「鍛治」という名字の家がやっていたのだと思うが、その店はかなり年輩のおばさんが店番をやっており、我々の間では「かじのおばちゃん」と呼ばれていた(まんまやがな)。「かじのおばちゃん」は、我々が住んでいた町には珍しく上品で優しい人だった。

そんなある日。いつものように友達と「かじ」に行き、ラムネで一杯やっていると、酔っぱらいのおいちゃんが店に入ってきた。おいちゃんの名前は忘れたが、近所でよく見かける人であった。その日は、いつになく上機嫌で、「おい坊主、なんか好きなもん買っちやるけ、なんでも言ってみろ。」と言ってきた。おそらく、競馬か競輪で当てたのだろう。すでに小学3年くらいになっていた私は、言われたことをホイホイ信じるような田舎坊主ではなかったので、聞こえない振りをした。また、後に線路の溝に転げ落ちることになる「あっちゃん」も、白々しくではあるが口笛を吹き始めた。

すると、「なんや、お前ら。俺が酔っぱらっとるっち、思っちょるんか!」と、おいちゃんは怒りだした。酔っぱらいはいつもこうである。「おいちゃん、ほんとにいいん?」「おう、俺がええっち言ったら、ええんちゃ!」あっちゃんと顔を見合わせる。困って「かじ」のおばちゃんの方を見ると、「ええよ、なんか買ってもらい。」と言ってくれた。僕らは、おいちゃんの顔色を伺いながら、「じゃあ、俺ミニコーラ買ってもらおっと。」「俺は、カバ屋のアイス」と素早く選んだ。おいちゃんは、あっという間に上機嫌に戻った。さらに「ほう、そうか!」と、嬉しそうにゲンコツまでくれた。酔っぱらいはいつもこうである。

いつになく喉ごしがスッキリしないミニコーラを飲みながら、ちらっとおいちゃんの方に目をやると、案の定、おいちゃんは金を払わず店から出て行こうとしていた。「おっ、おいちゃん!お金は?」私は勇気をふりしぼって聞いた。その美声が心を打ったのか、おいちゃんは足を止めた。あっちゃんと私は固唾を飲んで、おいちゃんを見つめた。すると、おいちゃんはゆっくりと振り向いて言ったのだ。「遠山の金さんにつけておいてくんない!」

おいちゃんの顔に、会心の笑みが浮かんでいたのは言うまでもない。遠山の金さんにつけておいてくれ?災難に巻き込まれたはずの我々は、なぜか爽やかであった。気がつくと、ミニ・コーラの喉ごしもシュッと来ている。酔っぱらいは、やはり馬鹿に出来ないのだ。見習うべきことは見習わなくてはならない。アドリブで「遠山金四郎」にツケるなんて、なんと見事な逃げセリフだろう。大いに気をよくして、悪びれず去って行く長浜の金さんを見送りながら、我々はポケットからお金を取り出した。すると、「かじ」のおばちゃんは言ってくれた。「いいんよ、お金は。」

年寄りは大切にするべきである。学校の先生は嘘は言わないのだ。飲み終えたミニ・コーラをケースに入れて「かじ」を出ると、楽しげに揺れる金さんの両肩が、桜ならぬ鳩のフンが舞い散る春の夕闇に消えていくところであった。