じじ



大学に入学し、初めての関西生活が始まった。ホームシックや五月病にはならなかったけれど、関西気質と関西弁にはかなり手こずった。1~2ヶ月経つと、友達もだいぶ増えて、「~やねん」「ちゃうでぇ」「ほんま?」というような表現も、自然と口から出るように なっていた。人間は臨機応変じゃなきゃな。

そんなある日。体育館の前で、なぜか男ばかりで輪になってバレーボールをやっていた。今思えば、ださいことこのうえないが、その時は初夏の日差しの中、大盛り上がりであった。そこで、私は小便に行きたくなったので、「すまん、ちょっと『じじ』行って来るわ。」と言って、輪から離れようとした。たったそれだけのことなのに、全くもって予想だにしていなかった反応が返ってきた。「何や、その『じじ』って?」皆キョトンとしている。途端に鼻の穴ピクピクのしてやったり状態へ昇華した私は、声高らかに言い放ってやった。「なんや~、おまえら関西出身のくせに、『じじ』も知らんとか?関西ではな、『ばば』が大便で、『じじ』は小便やねん」

皆さん、奈落の底というものを見たことがおありだろうか?わたしゃあるよ。こん時。しかも、かなりくっきりとね。私を取り囲んでくれたのは、柔らかな風でも希望に溢れた初夏の日差しでもなく、絵に描いたような爆笑の嵐。

皆、私があまりにも真剣に言っている姿を見て、こいつ、ほんとに信じとるでえ、と察したのだ。でも、九州男児は、女性にはめっぽう弱いが、男気は強いのだ。「おまえらが知らんだけっちゃ。だって、イノウエが教えてくれたんやでえ。」「ははは、アホやサカイは。」状況は一向に好転しない。

皆さん、とどめを刺さされたことがおありだろうか?わたしゃ刺さったよ。こん時。しかも、かなりぐさっとね。膀胱(ぼうこう)がテンパッテいるのも忘れて、関西軍団とやり合っているうちに、当人のイノウエがやって来たのだ。『メシアよ再び』ロイ・ブキャナンの曲に、そんなのがあったなと思いながら、孤軍奮闘していた私は、すぐさま救世主の元へと駆け寄った。

その前に、少しイノウエの紹介をしておかなければならない。彼は、大阪は高槻出身の歴(れっき)とした関西人であり、唇も厚いが、人情も厚いのである。しかも、結成したばかりのテニス・サークル「飛行船(なぜかヒコセンと読む)」の数少ないテニス経験者であり、当然、部長として満場一致で選任された男なのである。繰り返すが、唇も厚いが、人情も厚いのである。

そんなイノウエから、まさに2~3日前に、「なあ、サカイ、知ってるか?関西では、ウンチのことを『ばば』って言うやろ?だから『じじ』っちゅーのは、ションベンのことやねん」と教えを受けたばかりだったのだ。「いやー、俺もやっと最近関西弁がしゃべれるようになってきたねんけど、まだまだ知らん単語あんねんなあ~」そう応えながら、私は浜辺で新しいきれいな貝殻を見つけた少女のように、ほくそ笑んだ。

「いやー、よかった。イノウエ、こいつら『じじ』知らへんねんで。アホやろ?おまえから、教えてやれよ。」ほんとにアホなのは自分だと知るまで、この時点で残り5秒。そして、その貴重な残り時間の5秒は、イノウエの高笑いで費やされたのだ。

私は、あれ以来、バレーボールはやっていない。関西人を信用してはならないことも心に誓った。しかし、なんでションベンは、『じじ』じゃないんだよう~ ザ・モッズの名曲「ションベン」を聞く度に、今も膀胱が疼く。