ダウンビート



ネットやサブスクの普及と並行して、レコードやCDを販売する大型チェーン店や中古ショップが次々と街から消え、アナログ盤や小洒落た紙ジャケットCDを愛するものとしては、非常に寂しい状況となってきた。単に歳のせいとも思えないのだが、ネット経由で手軽に流れてくる音楽に、かつてのアナログ盤が持ちえた芸術性、創造性、神秘性を感じることはほぼない。大地真央風に言うなら、「そこに愛はあるんか?!」ならぬ、「そこに肝っ玉はあるんか?!」といった感じだろうか。

さて、先日コロナ感染状況がある程度落ち着いた時期に、久々に実家の小倉に帰った。昭和後期から鉄の斜陽と共にじわじわと衰退するかつての100万都市北九州。緩やかに変化を繰り返す駅周辺街において、タワーレコード撤退後、博多発祥のボーダーラインとともになんとか踏ん張っているいるのが、地元小倉の老舗ダウンビートである。

小学校3年の時に初めて京町の松田楽器で親に買ってもらったシングル盤が「もーれつア太郎」。続いて「走れコータロー」。その後はなぜか西部劇のスクリーンミュージックにはまり、退屈な文部省唱歌にはとっとと別れを告げた。フォークソング全盛の最中、ある夜突然ラジオから流れてきた「Black Night」に激震し、小学生の少ない小遣いを貯めて初めて手にしたLP盤が、ダウンビートで買った「In Rock」だった。そのレコードをレジに持って行ったときのときめきと、東映会館の本屋で岩下志麻の写真集を予約したときの恥じらいこそが、我が青春の金字塔であった。

さて、レコードやCD、本など好きなものを大人買いできるようになって、モノへの愛着が減ってしまったと反省しつつ、久々のダウンビートで物色。日本のロックコーナーに行くと、めんたいロックの充実は当然ながら、村八分、じゃがたら、頭脳警察、フリクション、萩原健一、ボ・ガンボスと、よくもまあ、自分と趣味が合うものばかり置いてあるなあと、思わず唸ってしまった。結局、Ry CooderのInto The Purple ValleyとGrateful DeadのAoxomoxoaのを手にとり、レジに向かおうとすると、どんとさんの生写真が目にとまった。さちほさんが写っているのもある。レジの女性に、「どんとさんお好きなんですか?」と尋ねると、「以前小倉でライブをやっていただいたんです」とのこと。「永井さんにもライブしてもらいました」、などボ・ガンボスのファンとしてはなんとも嬉しい発言が次々と。ついつい私も浮かれてしまい、「俺、生まれて初めて小遣い貯めてレコード買った店、ここなんですよ。当時は井筒屋の横に店がありましたよね」など、調子に乗ってどうでもよいことをしゃべっていた。

その後、店長さんらしき男性も交えて、しばしどんとさんの思い出やダウンビートの変遷の話に花が咲き、ひとりノスタルジーに浸りつつ店を後にした。以前からかっこいい店名だなとは思っていたが、ふとダウンビートってどんな意味だろうとググってみると、「音楽理論において、小節の最初の1拍のこと」とある。さらに、Down Beatで見ると、アメリカの音楽雑誌で主にジャズ、ブルーズ、そしてその向こうを専門に扱うとある。やはりなんかかっこいい。さらに横浜の野毛には同名のジャズバーもあり、オフィシャルや紹介サイトの写真を見ると、期待通り渋くていい感じだ。日頃から身体に馴染んだバックビートとは違うダウンビートに合わせ、うまい酒を飲み、知人らと語らう。歯に詰まる乾きもんはいらんけど、会話は粗野で乾いたものがいい。