ヨハン・クライフ



1990年のワールドカップイタリア大会が終わった頃、会社のサッカー部でユニフォームを新調することになり、新米幹事の特権で、アズーリナショナルチームと同じdiadora製の青と白の上下にしたことがある。エンブレムは、おしゃれなスコットランドナショナルチームを真似て作成した。いかしたユニフォームには申し訳ないのだが、職場の健康維持をメインとする我がチームは、サッカー経験者もほとんどおらず、地域社会人リーグで1勝すれば大騒ぎだった。他チームに勝る点といえば、平均年齢と武道経験者(柔道、空手、少林寺など)の数くらいだったろうか。

さて、いよいよユニフォームが完成して、メンバーに配っていたとき、ある先輩から「お前いいなあ、背番号14か」と言われた。自分としては、フォワードの番号である9か11が良かったと残念がっていたので、「なんで14がいいんですか?」と聞き返すと、「クライフの番号だろ!」と呆れられた。そう、当時私はクライフのことを知らなかったのだ。ベッケン・カミヤマとともに西ドイツにうつつを抜かしていた九州の田舎もんには、トータル・フットボールやフライング・ダッチマンのことなど知る由も無かったのだ。

それから11年後の1989年3月12日、サン・シーロで当時最強のオランダトリオを要擁するACミランとユベントスの試合を運良く観ることができた。当時のミランは、アリーゴ・サッキ監督の下、ナポリにいたマラドーナ対策として編み出したゾーン・プレス、すなわち狭いエリアでプレッシングしてボールを奪って素早いカウンターを仕掛けるという、近代サッカーに大きな影響を与えた戦術で一世を風靡していた。もちろんこの戦術がはまったのは、フランコ・バレージをはじめとするほぼイタリア代表で固められたカテナチオと、オランダトリオの攻撃力があったからこそだった。近代サッカーを振り返るとき、このゾーン・プレスの対局として語られるのが、クライフが体現したトータル・フットボールとなる。

スポーツライター木崎伸也さんの記事によると、「ボールを奪えれば勝てる」と考えたサッキに対して、クライフは「ボールを奪われなければ勝てる」と考えた。サッカーは、両チームのミスの連続で試合が動くため、サッキの考えは理解しやすいが、クライフの考えは、そりゃそうだろうけど実際は無理やんけ、と普通は思ってしまう。では、天才クライフはどうすればボールを奪われないサッカーが出来るのと考えたのか?木崎さんの記事には、クライフの発想を読み解く興味深い言葉が紹介されている。「選手が1試合でボールに触れるのは約2分間だけ。残り88分間にどう動くかで、勝負が決まる。」すなわち、クライフは現代サッカーのキーワードとなっているオフ・ザ・ボールの動きを当時すでに重視していたのである。

トータル・フットボールを提唱したとされるオランダ代表監督のリヌス・ミケルスによれば、1930年代のオーストリアがすでにトータル・フットボールを実践していたと言っている。しかし、実際に世界レベルでそれを実践し、具現化したのは、クライフがいたアヤックスであり、オランダ代表であった。一般的に、トータル・フットボールは、全員がテクニックに優れ、FW、MF、DFのどのポジションも流動的にこなし、渦を巻くようにチームがダイナミックに機能するといった理解がなされていると思う。オシム日本代表監督時代の代名詞にもなったポリヴァレント(多様性)のあるプレーも近い発想かもしれない。しかし、90分にも及ぶ戦いを通じてトータル・フットボールを実践し続けるためには、チーム戦術としてのオフ・ザ・ボールの共通認識こそが鍵だったということが、クライフの言葉からわかる。

以前、滋賀竜王のアウトレット・ショップでクライフが現役時代から立ち上げたフットウェアブランド"CRUYFF"の靴を偶然見つけ、衝動買いしてしまった。濃紺と白のエナメル革を基調としたおしゃれなシューズなので、クライフ・ターンなどしたりはしないが、いやそもそもできないが、履いているだけでテンションが上がった。クライフのルックス同様、フォルムがかっこいいのだ。上記で紹介したもの以外にも、彼は多くの名言を残している。私が好きなものとして、「ボールを動かせ、ボールは疲れない。」「勝つ時は少々汚くてもいいが、敗れる時は美しく。」「ひとたびピッチに立ったら、人生同様、試合を満喫しないとね。」「ボールを奪われたら追うのは当然だ。でも60メートル走るなよ。6メートルでいいんだ。」中でも、秀逸は以下の言葉だろうか。「イングランドのフットボールは見ている分には最も面白い。選手が危険を冒し、たくさんミスをするからだ。」