フランツ・ベッケンバウアー



1975年、中学に入った私は、突き指ばかりして馴染めなかったバレーボール部をとっとと辞め、なぜか他の部を辞めた者たちが集まっていたサッカー部に入った。当時は、まだJリーグなどあるわけもなく、サッカーと言えば数少ない月刊誌に紹介されている程度であった。そんな時代にあって、我々小倉っ子に圧倒的に支持されていたのは、ベッケンバウアー率いる西ドイツチームであった。74年の自国開催のワールドカップを制し、どの雑誌をめっくっても西ドイツの記事に溢れ、西ドイツこそ最強のサッカーチームだと思っていた。

ところで、我々のサッカー部と言えば、今思うと戦術というものはほとんどなく、試合のハーフタイムになると、指導の「いわし(先生のあだ名)」が前半のプレーから、選手個々に付けたマイナスポイントに従い、その分だけケツバット(要は、尻を木の棒でぶったたくこと)を浴びせるという、今考えるとむちゃくちゃな指導方法であった。私は、1~2年生の頃はフォワードをやっていた。そんなある日、日も沈みかけた練習の終わり間際に、チームの一人が皆の前で「これからは、俺のことをベッケン神山(かみやま)と呼んでくれ。」と真顔で言った。ディフェンダーの控えであった神山君に、皇帝の名前をとられたことについては、チーム一丸で悔しがったが、先を超されたものはどうしようもない。キャプテンであった城(じょう)君は、人一倍悔しがっていたが、かと言って、後から「いや、それはキャプテンである俺のものだ!」というような大人げない態度をとることはなかった。我々は、このときすでにスージー・クワトロを聞くほどマセていたのである。

そんなわけで、私のフィールドネームは、西ドイツのエースストライカーであるミューラーにちなんで、ゲルトサカイにしてもらった。実に、気分の悪い響きである。ただ当たり前だが、誰一人試合中に「パスだ、ゲルト!」とか言ってくれる仲間はいなかった。ついでに今思えばなんだけど、ベッケンバウアーには、ちゃんとフランツという名前があったのだ。だから、ベッケン神山ではなく、フランツ神山と名乗るべきだったのだ。しかし、英語を習い始めたばかりの田舎の中学生はドイツ語の存在すら知らず、ましてやベッケンバウアーにフランツという名前があったなんて知ってる者はいなかった。どちらかというと、ベッケンが名前で、バウアーが苗字だと信じていた奴が半分くらいいた気がする。。。それにしても、なんてかっこいい響きなんだろう。「ベッケンカミヤマ」