あっちゃん



ベッケン神山とともに、私には忘れられない幼友達がいる。あっちゃんだ。幼稚園からの仲だったが、何事にも物怖じせず行動するあっちゃんは、私にとって一目置く存在であった。

例えば、小学校2年の運動会のこと。子供にとって運動会は、とてつもなく楽しく特別な日である。かけっこはあるし、親の前でいいとこ見せようと意欲満々だし、友達の家族とも会えるし、先生は優しいし、とにかく特別だったのだ。当然、その日は、あっちゃんも朝から絶好調だった。二人で運動場に出て、泣き虫の短パンを引きずり下ろしたり、女の子に浣腸したりして、視界は良好だった。

そんな中、コスモスの花にとまっていたミツバチを見つけたあっちゃんは、何のためらいもなく両手でバチッと叩きつぶしたのだ。あっ、と思ったと同時に、その勇気ある偉大な行為に私は唸った。男はこうあるべきだ!幼心にもそう確信させるオーラがあった。にやりと余裕の笑いを見せて、あっちゃんは手を開いた。予想通り、無惨な形でミツバチはその一生を終えていた。今考えるとむごい仕打ちだが、子供というのは残酷なもので、面白かったのだからしょうがない。

ところが、少しすると、自慢気だったあっちゃんの顔がゆがんだ。さすがに、心が痛んだんだろうか?「どうかしたん?」と聞くと、「刺された。」と、あっちゃん。「えっ?いつ?」「いま」「え?」「こいつを叩きつぶした拍子に、飛び出した針が刺さった。」「....うひゃひゃひゃひゃひゃ」クールなあっちゃんは、私の大爆笑にもニヒルな態度を貫き、一生懸命傷口に唾をかけていた。

そんなあっちゃんのことで、いまだに鮮烈に記憶に残っていることがある。私とあっちゃんが住んでいた町内を、博多まで東海道新幹線が通ることになり、あっちゃんの家は大丈夫だったのだが、私の家は立ち退かなければならないことになった。結局2つ隣の町内に引っ越したので、これまで通りあっちゃんと引き続きよく遊んだ。その頃は、新幹線開通に向けてすでに立ち退いた家々の跡地が、広大な空き地になっており、そこで基地を作ったり、野球をしたりして遊んでいた。

ある日、10人くらいで野球をしていたときのこと。私が打ったボールをあっちゃんが取り損ねて、後ろの線路(在来線)に落としてしまったのだ。当然、エラーをしたあっちゃんが取りに行くことになった。通常は、少し回り道をして階段を降りて取りに行くのだが、その時誰かが、「俺が、この電柱に掴まるけ、みんなで順番に手を伸ばして鎖になれば、あっちゃんが下に行けるやん。」と言った。線路がある場所は、我々が遊んでいた空き地から見ると、5mくらい下にあったのだが、皆すぐに手をつなぎ始めた。ボールを打った私がその責任を感じて、最後から2番目。エラーをしたあっちゃんが、最後のピース、人間鎖の先端となった。不思議なことに、揉めることも無く、この順番は自然と決まった。防人の血を引く九州の子供は、自然と規律が身についているのだ。

そうして、順番に一人、また一人と増やしながら、徐々に斜面を這い降りて行き、ついにあっちゃんの番まで見事に数珠つなぎが完成したのだが、あっちゃんが片手で私に捕まり、降りようとしたまさにそのとき、上の方にいた誰かが手を離してしまい、私を含め何人かが滑り落ちる格好となった。私までは、なんとか斜面の草や木に掴まって難を逃れたのだが、あっちゃんだけは、まるで巻き寿司のようにくるくるっと回転しながら斜面を転げ落ちて行き、最も近くにいた私は、その全容を目撃する形となった。

 あっちゃんの姿が見えなくなってしまった瞬間、思わず目を覆ってしまった私は、恐る恐る目を開けてみたのだが、やはりあっちゃんの姿が見えない。上の方では、誰かが叫んでいる。私は、そのとき不思議と冷静に、こうやって人というものは死んで行くんだなあと肌で感じた。がしかしである。下の側溝の水面が揺れたかと思うと、なんとあっちゃんがどぶの中から出てきたのである。見事幅1m程度しかない側溝にはまっていたのだ。しかも、あっちゃんは、照れ笑いまで浮かべていたのだ。

その場が、一気に安堵感に包まれた。そうだ、僕らはみんな生きている。生きているから歌うんだ。私たちもあっちゃんを囲み、手のひらを太陽に透かし、真っ赤に流れる僕らの血潮を分かち合った。

一通り、歌い終わると、私は頼りになるリーダー格のとっしんに言った。「とっしん、おばちゃんを呼びに行った方がいいんやない?」「わかった!」リーダ格のとっしんが、あっちゃんのおばちゃんを連れてきたとき、ヘラヘラ笑っていたあっちゃんの顔が一瞬にして強ばり、瞬く間に怒られるという恐怖心で泣き出してしまった。ところが、我が息子の変わり果てた姿に驚いたおばちゃんは、何も言わずすぐに家に連れて帰って、玄関先でホースで水をかけ始めた。そう、当時、我々のほとんどの家には風呂なんてなかったのだ。皆が見守る中、泥が徐々に流されていったあっちゃんだが、なんとその顔に血がにじんでいる。あ、頭から血が流れ落ちている!初めて、自分の頭が割れていることに気づいたあっちゃんは、当然ながら再び大声で泣き始めた。

結局、我々手のひら団は、おばちゃんに真実を明かすことが出来ず、ドキドキしながらあっちゃんがタクシーで病院へ連れて行かれるのを見送った。あっちゃんは、今でも頭の傷が痛むのだろうか?私は、あの事件から間もなくして、あの時の後ろめたい気持ちをすっかり忘れてしまった。今さらではあるが、やはりおばちゃんには、なんとなくすべてばれていた気がする。大人というのは、そういうもんなのだ。